18.裏切りか、策略か(4)
中央の国の地図だから、当然中央の国が真ん中に描かれている。西の国の首都は下側の北の国寄りの中央方面だから……えっと、中央の国へ帰るには西の首都経由が近い。頭の中で整理した情報から、このまま首都近くまで運ばれてから逃げるのが楽だと気付いた。
「それにしても、綺麗な顔をしておる」
顔を近づけられて、オレは身を反らして息を止めた。おっさん、息くさい。おじさんと丁寧に呼ぶ気力を奪うほど、マジ臭い。
「首都に献上するのでなければ……ぐひひっ」
ぶひひっって聞こえた笑い声の意味は想像はしたくない。言わずもがな、オレもリアムも男だ。変態なのはおっさんの自由だが、あちこち触ったら殺す。絶対に息の根止める。
強い決意を胸に、おっさんを睨み返した。
「その尊大な態度がいつまで続くか」
言われた言葉で、リアムと勘違いされていたのを思い出す。そうか、予定通りリアムが攫われていたら、こうして臭いおっさんに顔を寄せられたのはリアムだったんだ。そんなの許さん。攫われたのは不覚と油断の結果だが、リアムを守ったと思えば悪くない。
とりあえず勘違いさせたままの方がいいだろう。違うとバレたら殺されそうだし、変な趣味を持ってそうなおっさんに襲われるのも嫌だ。だけど、どうやったら皇帝陛下らしく見えるんだ?
リアムらしく振舞う方法を考えながら、さりげなく顔を背けた。なぜこんなに生臭いのか、もしかして魚類か? あれ、属性に魚がいた気がする……まあ、おっさんが魚とは断定できないけど。
「言っておくが、西の国王は我輩ほど優しくないぞ」
聞こえた単語がツボに嵌った。崩壊した腹筋を引き締める。ついでに、崩れそうな表情筋もぐっと力を入れた。ダメだ、崩壊する。よりによって、自分のこと『我輩』って言った! なにそれ、ゲームの中でくらいしか聞いたことないし。普通に使う奴がいたんだ。
衝撃的過ぎる笑いのツボが全身を震わせた。ヤバイ、マジやばい。言葉が出てこないくらい笑える。そういや、前に二つ名を聞いたときも笑いを堪えたっけ――そんな思い出に意識を馳せて、ツボ過ぎた『我輩』を記憶から追い出す努力をした。どうしても我慢するとぷるぷる震える。
恐ろしさで怯えていると勘違いした領主は満足げだった。ちなみにオレの筋肉は限界が近い。
「しっかり拘束しておけ、だが丁重にな」
結局、オレは何も言わなかった。声を出してもバレないだろうが、下手な発言が命取りになる可能性がある。ここで似合う諺は『沈黙は金』だと思う。
連れてこられた屋敷は、テント村から近かった。
領主のおっさんが丁重にと命じてくれたおかげで、牢ではなく部屋に放り込まれた。ベッドと木製の小さなテーブルくらいしかない部屋は粗末な部類に入るだろう。装飾品や絵の一枚もない殺風景な部屋だった。狭い部屋は肌寒い。
最近は窓が割れたり壁が吹き飛んだ部屋で過ごしていたので、ぐるりと壁に囲まれて窓がちゃんとあるだけで嬉しい。隙間風があっても、壁が片面ない部屋より快適な筈だ。
……あれ、なんか可哀相じゃね? オレ。使用人レベルの小部屋で満足出来ちゃうって、哀れな気がする。環境に適応する能力が高いというか、高すぎて馴染み過ぎてたな。でも小部屋といっても6畳間くらいはある。
ちなみに部屋の大きさを示す畳は、当然ながらこの世界では通用しなかった。自動翻訳も役立ってくれなかった程だ。
「……着替えたい」
「だめだ」
そうだよね、そう言うよね。分かってたけど背中が冷たい。濡れたままの服じゃ風邪引く。この世界で身体能力高まったけど、毒も平気だったけど、たぶん風邪は別物だと思うわけで。頭痛や高熱に悩まされるのは御免だった。そこで粘ってみる。
「寒い」
ぼそっと文句をつける。じっと視線を固定して待つと、衛兵達が顔を見合わせた。丁重にと言われた手前、体調を崩されても困るだろう。きっと着替えをくれる。当然後ろ手の拘束も緩めるか、外される筈だ。
皇帝陛下という大層な肩書きを装うため、手の拘束を緩める間も動かない。とにかく偉そうに、何でも彼らにやらせるくらいの心持ちが大事だ。頭を下げて衛兵が動きやすくしてやる、なんて皇帝らしくない。
背を反らしたまま、姿勢よく待った。探った魔力から、大体の兵の配置を頭の中に描き出す。彼らの動きから、大まかな建物の形状を探った。これは、あれだ。中学校あたりの校舎の感じだな。北側に廊下が真っ直ぐに引かれ、南側へ部屋が並んでる形だ。
大きく見えるが荘厳さや豪華さは失われる。実用性は高いのかも知れない。逃げたり追いかけたり、移動するのに真っ直ぐな廊下は便利だろう。長方形の建物は建築も楽だし、使えない空間が出にくくて合理的だった。
大判のタオルを肩にかけられ、後ろ手の拘束を解かれる。ここですぐ逃げるような無駄はしない。このまま大人しくして、西の首都まで連れて行ってもらうのだ。それから逃げれば、すぐ中央の国との国境だった。
途中経路は楽をしつつ、策を練る時間に当てるのが正しい戦略だ。人前でも平然と着替えをしていたリアムには悪いが、タオルの陰でこそこそ着替えをする。兵も凝視しては申し訳ないと思ったのか、ちょっと顔を逸らしてくれた。
タオルの陰で与えられたシャツを羽織りながら、収納魔法でこっそりとナイフを取り出す。潜入に関する知識をレイルに叩き込まれたが、音を出さないナイフの方が銃より適した武器だと聞いた。しかも魔力を込めて銃弾を発する銃は、居場所を特定されやすいので危険らしい。
あれこれ教わったときは、そんな危険な場面にならないので不要だと思って聞いたが……こうしてみると、どんな知識でも蓄えておくに限る。知らないより知ってる方が強い。
取り出したナイフを腰のベルトに差し込んだ。見えないようにシャツをベルトの上に出してボタンを留める。着替えに時間をかけすぎたかと心配になるが、リアムは自分でボタンを留められなかったから……特権階級である皇族や王族は、一人で着替えなどしないのだろう。
もたもた着替えたように装い、背中の冷たさから解放された安堵に息をついた。
「終わった」
皇族っぽい言葉遣いは身についていない。臣下としての礼や話し方が出てこないように、ぶっきらぼうに短く話すことに決めた。これが一番バレにくそう。
「手を出せ」
後ろ手に再び拘束されそうになり、首を横に振った。手を前に出して両手をそろえて待つ。大人しく兵を見上げれば、彼は子供相手にバツが悪そうだった。頬に傷があり、黒髪の兵はジャックに似ている。身体はジャックの方が大柄で、人が良さそうな顔立ちだった。
「……まあいいか」
魔力を封じる文字が記された紐なので、前後どちらで拘束しても構わないと考えたのだろう。兵は特に警戒した様子はなく、手際よく紐を手首に巻きつけた。抵抗しない姿から、あまり危険視されていないのも影響している。
巻いた紐を縛った時点で、魔力が完全に封じられた。仕組みをしっかり理解したオレはひとつ欠伸をして寝転がる。とりあえず、眠い。黒い沼から出て、ずっと動き続けたのだ。咳き込んで苦しみ、泥を雨で流して、木の枝の上を走る追いかけっこもした。魔力も使ったし、当然体力も消耗している。
もう限界だった。領主の言い分では殺される心配も、貞操の危機もなさそうだ。意外と清潔な白いシーツの上に寝転がると、若い兵が上掛けをかけてくれた。
年の離れた弟を見るような彼の優しい目に、敵も悪い奴ばかりじゃないと今更ながらに気付く。西には西の理屈があり、中央には中央の考え方がある。互いにぶつかるのは仕方ないが、全員を排除すべき敵だと思い込むのは危険なのだろう、たぶん。
かつての十字軍とイスラム教徒の戦いなんかが同じだ。十字軍の全員がイスラム教徒を虐殺したり拷問したわけじゃない。逆にイスラム教徒全員が、キリスト教徒の巡礼を阻んだわけでもなかった。傷ついた十字軍を助けたイスラムの一般人だっていただろうし、隠れている敵を見逃した兵士だっていた筈だ。
「……ありがとう」
皇帝陛下を装うなら「ご苦労」とか言うのが正しかったかも知れない。だけど半分眠りかけたオレの口をついたのは、単純な礼の言葉だった。
若い兵士はかすかに笑ってくれた気がした。