表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/410

18.裏切りか、策略か(1)

 本気の殺気を向けられれば身が竦む。その言葉の意味を知ったのは、わずか数日後だった。重い足を必死で動かして逃げ続ける。喉が渇いて奇妙な音が零れ、今にも張り裂けそうだった。足も痛い、腕も……腹部も体中が痛くて涙が滲む。


 こんなに身体が乾いて辛いのに、涙が出るなんて……生理的な反応だがおかしくなる。ちょっと笑える自分に気付いて、まだ大丈夫だと言い聞かせた。


 冷静さを失えば一気に追い詰められるだろう。深呼吸して息を整えながら、木の(うろ)に身を寄せた。見上げた空は雲に覆われて方角が分からない。いっそ雨でも降ればいいのに……願いながら、疲れた身体を丸めて縮こまった。


 脳裏を昨日までの出来事が流れていく。


 ああ、昨日の午後に戻れたなら……こんな失敗は二度としないのに。







 リアムの家族の話を聞いてからも、魔法の授業は続いた。早朝の訓練もこなし、午前中はシフェルと議論を戦わせ、午後はリアムによる魔法の実践だ。歴史も作法も一通り終えたオレは、幸いにして転移前の数学や読み書きの知識のお陰で座学を終了していた。


 ちょっと調子に乗っていた自覚はある。魔法が使えるようになり、生活は格段に便利になった。早朝の訓練だって、欠伸していてもこなせる。もう一流の戦士になったつもりで、状況を読み誤ったのだ。


 昨日、午後の日差しを浴びながらリアムの魔法を見せてもらった。結界を張った中に水を満たして火をつける。水蒸気爆発に似た熱湯による攻撃を、外側の結界で防いだ。簡単そうだが難しい。常に複数の魔法を制御し続ける必要があるし、魔力も膨大に必要とした。


 同じ魔法を繰り出そうと外の結界を張ったところで、オレたちは攻撃を受ける。張ったばかりの結界を咄嗟に自分達に被せた。飛んできた炎を防いだ結界は、割れて消える。結界と一緒に、役に立たないオレのプライドも木っ端微塵だった。


「ちっ」


「しかたない」


 元から使用目的が違う結界なのだ。魔力の差で消されたわけじゃなく、単に別目的の結界を転用しただけだから、補強もない結界が砕けるのは当然だった。分かっていても腹が立つ。


「リアムは下がって」


 これが最初の失敗だった。


 背後にリアムを庇って矢面に立つ。この時点で下がらせるのではなく、まず逃がさなければならなかったのだ。愚かにも『護りきれる』過剰な自信があった。


「セイ、気をつけろ」


「わかってる。ちょっと待ってて」


 実戦の危険を理解していない子供の強がりを、彼はどのような想いで見送ったのか。リアムを幾重にも結界で囲い、自分だけが前に出た。飛んできた炎を左手で弾き、右手を翳す。続いた風の刃を水の盾で防いだ。


 オレの魔法は通じる。敵に勝てる。そう勘違いした。近くで蠢く薔薇が身動きしない違和も、後ろに庇ったリアムの声が聞こえないことも、まったく気付かずに暴走する。


 あの時、後ろで必死に止めようとしたリアムを振り返る余裕があったなら、結果はまったく違っていただろう。足元の芝がざわめく様も、怯えた薔薇の蔦が縮こまる姿も、気付けば違和感を覚えただろう。


 そもそも、なぜ便利な魔法を戦いに使わないのか。銃弾に魔力を込めて届かせる意味は? 魔法で焼き払えばいいのに、そうしない理由を……考えてこなかった。


「出て来い」


 睨み付けた先の茂みが揺れる。そこから一人……いや、一匹の獣が飛び出した。黒豹に似た外見の獣は大きく、見上げるほどある。睨みつける黄色の瞳は猫の目に似て、縦に瞳孔が開いた。


 ぞくっとする。背筋を這う悪寒が恐怖だと気付かぬまま、オレは空間から剣を引き出した。武器を手にした途端、獣の気配が変わる。低く唸りながら身を伏せた。飛び掛るタイミングを計る獣へ、一歩右足を踏み出す。


「っ、やばッ」


 足元の芝が黒く染まり、踏み出した右足が最初に飲み込まれる。タールのようなネバネバした液状の大地から足を抜こうと足掻くが、すぐに左足も沈み始めた。足掻くほど沈む黒い円の中、後ろのリアムを振り返る。


「逃げろ、リアム…」


 駆けつけたシフェルがリアムを保護するのを目にして、ほっと息をつく。ずぶずぶ沈んでいる状況で、本当にのんびりしたことを考えていたものだ。駆け寄るジャックが右足を踏み込み、焦って後ろに下がった。


「なんだこれ、キヨ。手を……」


「オレはいいから、リアムを頼む」


 格好いいセリフを口にしても、この状況を打開する手段がない。この黒い沼に嵌ってから、何も出来なくなったのだ。魔法は一切使えないし、手にした剣を突き立てても飲み込まれてしまっただけ。


 魔法が使えない所為で、サシャも手を出せずに道具を取りに走った。ライアンが背のライフルと腕の長さで必死に手を差し伸べるが、残念ながら届かない。ジャックが飛び込もうとするのを、ノアが引き止めていた。


「来るな、命令だぞ」


 黒い液体は口の下まで届く。あと少しで呼吸が出来なくなるだろう。恐怖が忍び寄る中でジャックに声をかけた。泣き出しそうな顔で芝に手をついたジャックに「大人なんだから泣くなよ」と呟いたのが最後だった。黒い泥の中に引き込まれる。


 息が出来なくて、泥の重さで動けなくて、死ぬなら一思いに殺せと叫んだ口の中にも泥が入った。どうしようもない状況で全身の力を抜く。肺を泥が満たしたのか、苦しさに喉を掻き毟った。


 こんな死に方するために、異世界に来たのか。






 ドンッ。腰に痛みが走り、手足が自由に動いた。必死に泥を吐き出す。書道の墨みたいな味がする黒い液体を吐きながら、なんとか呼吸を再開した。途端に激しく咳き込む。


 そりゃそうだろ、まだ喉や肺に泥は残っていて、息をすれば泥も吸い込まれる。気管に入った泥を吐ききるまで、何度も吐いて咳を繰り返した。


 時間の経過は分からない。ようやく正常な呼吸が出来るようになった頃には、体力を使い果たしていた。見回しても真っ暗な森だとしか分からない。


 ――死んでない、生きてた。


 寝転がって呼吸を整えると、体力を失った身体は急速に眠りを求めて体温を上げる。うとうとしかけて、木の葉を踏む音に肩が震えた。目が覚めたとたん、複数の人間が近づいてくるのに気付く。動物じゃなくて、人間だ。


 敵か、味方か。判断がつかない状況ならば、敵だと想定して動く。学んだ知識を元に、近くの茂みに身体を潜りこませた。出来るだけ音をさせないよう、慎重に手足を動かす。


「このあたりだろう」


「本当に成功したのか?」


 口々に聞こえる声に違和感を感じる。自動翻訳された所為で意味は理解できるが、おそらく言語が違うのだ。傭兵連中は東側のサーガ語を使うし、リアム達中央の国はシエラ語が公用語らしい。以前に倒した敵はラスア語だと聞いた。

 

 彼らの言語はそのどれとも違うのだ。内容は理解できるのに、聞こえる響きは初めて聞くものだった。言語が違う時点で、味方である可能性は限りなく低くなる。そのまま隠れることにして、息を潜めて様子を窺った。


「さっきから探してるが、いないじゃないか」


「おれにキレるなよ、すぐ見つかるだろ。皇帝なんて何もできないガキらしいからな」


 ……あ、これ、人違いだ。リアムを誘拐しようとして、庇ったオレを連れてきたってオチ。しかも間違いに気付いていないだけじゃなく、見失ってる最悪のパターンだ。


 見つかって、リアムじゃないとバレたら……殺されたり? するかもな。何しろ安全な日本と真逆な世界だから、人質としての利用価値を考えるより先に殺される予感しかない。


 震えそうになる身体を自分で抱き締めた。丸くなってやり過ごす方法しか思いつかない。動いたら茂みが音を出しそうだし、助けが来る状況じゃなさそうだ。黒い沼によって転送状態だったと仮定すれば、この場所を特定出来るのは沼を使用した連中だけだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ