349.待ちかねた結婚式
控室の扉をノックした。薄く開いた扉の中を覗こうとして、後ろからシフェルに肩を叩かれる。
「何をしておいでですかな?」
「リアの愛らしい姿を一目……」
お願い。両手を合わせて頼んだが、首を横に振られた。騎士団長としての白い礼服を着用したシフェルは、伸びた髪を後ろで纏めていた。騎士服の時は、貴族のように結い上げない。後ろで結んで髪飾りを乗せただけだった。
クリスティーンはドレス姿のはずだ。公爵家の代表として貴族席につく。夫が騎士団長の職務に就くため、エスコートはベルナルドが行う。面倒なようだが、決まり事ばかりの貴族社会ってのは、そんなものだ。
「聖獣殿達はどちらに」
「ん? オレの控室にいるよ」
隣の控室に入ると、ヒジリが絨毯に寝そべっていた。ブラウは毛繕いに忙しく、スノーは鏡に向かって鱗を撫でる。あれも一種の身繕いか? マロンはポニー姿だった。ミニ龍のコウコは窓際で日向ぼっこだ。
『主殿、おめでとうございまする』
『おめでとう、主人』
口々にお祝いを向けられ、礼を言いながら照れる。今日は結婚式で、これからリアと愛を誓うのだ。ただの儀式だけど、これでリアはオレだけの伴侶で番だった。
シンは感極まって泣き、目元を赤くしている。飄々とした様子のレイルも口元が緩んでいた。みんなが祝福してくれる。傭兵達も制服を用意して着せたので、参列予定だった。
結婚しても寝室は別、もちろん成人するまで同衾禁止だ。それでもケジメがついて、ひとつの形が手に入る。この世界で生きていく覚悟を決めたのは……そんなに昔じゃない。魔法が使える世界と知って、チートだと浮かれた日もある。実際はいろいろ大変だった。
戦場の最前線に落ちて、誘拐されて死にかけ暴走し、聖獣に追い回されて噛まれ。ボロボロだったけど、思い返すと悪くない。そうさ、結末がハッピーエンドなら問題ない。
そういやレイルに嫁候補はいるが、シンはどうなってるんだ? 突如浮かんだ好奇心だらけの疑問を、こっそりぶつけてみた。
「シン、婚約してるのか?」
「ずずっ、シンお兄様と呼びなさい」
……ブレることなくブラコンだ。
「シンお兄様、教えて?」
可愛く見えるよう小首を傾げると、しゃらんと簪が音を立てた。
「婚約者はいたが、彼女の家が没落した」
あ、察し。北の貴族家のどこかだ。ということは嫁探しは……レイルが右手の親指を上げる。同じポーズで任せたと告げた。
「キヨ、簪がずれています」
傾けたせいで抜けかかった簪を、シフェルが手早く直す。青い魔石を中心に配置した簪と、琥珀に似た透き通った黄色い宝石、それから紫や赤も使われていた。簪は全部で5本、ピアスやネックレスも含めると相当な魔力封じを施されている。
以前は皇帝陛下の前で魔力を暴走させないための魔石だったが、今回は意味が全く違う。オレの魔力量がこの程度で抑えきれないことを示すためだ。ブローチやベルトにも魔石をあしらい、じゃらじゃらと宝石のトルソーみたいに飾られた。これだけ使っても、まだ怠さも感じない。聖獣コンプリートの恩恵だろうか。
「準備が出来たようですよ」
迎えにきたのはウルスラだ。部屋を出ていくシフェルが、リアを迎えて式場となる謁見の間へ向かう。先に入って出迎える側のオレは、緊張した面持ちのウルスラの手を受けて歩き出した。
身長差がありすぎ、エスコートというより子どもの付き添いだ。高い天井とステンドグラス、両脇に並んだ貴族が祝いを口にして頭を下げる中を進んだ。玉座は二つ、階段の手前でウルスラは宰相としての立ち位置に戻る。赤い絨毯の上に立つオレは、習った通りに胸を張った。
リアに相応しい男になるため、努力した。紫がかった紺の正装は軍服に似ている。金銀が織り込まれた生地は、北の国からの祝いの品を使った。金の房や縁取りが華やかな衣装に皺が寄らぬよう、気をつけて前を向く。正面の扉が開いたら、愛しいリアに会える。
「皇帝陛下がご入場なさいます」
いつもは玉座と同じ壇上を横から入る彼女が、大扉をくぐるのは珍しい。緊張したオレの心臓が高鳴った。
ゆっくり、音もなく開く扉……明るい光を浴びた彼女は、ただ美しかった。父親代わりを務める騎士団長でメッツァラ公爵家当主シフェルにエスコートされ、淡いブルーのドレス姿の彼女が足を踏み出す。揺れるドレスの絹は最上級の品質に相応しい、皇族の紋章が浮き出る逸品だった。ヴェールを被ったリアの顔は見えない。
俯くことなく顔をあげ、胸元までヴェールで隠した黒髪の美少女は一歩ずつ近づいてきた。オレと合わせ、金の飾りや魔石を散りばめたドレスが、ステンドグラスから差し込む光に眩く光る。女神の降臨のようだった。
腰の後ろで結んだレースのリボンは、ずっと後ろまで繋がっている。正装のため足首どころか爪先すら見えないドレスは、わずかに膨らみを持たせた。高い位置で腰を強調し、裾が足に絡まないよう作られている。一緒にデザインを選んだから、よく知ってるのに。リアが袖を通すとこんなに印象が変わるのか。
『失礼するぞ』
リアが半分近くきたところで、ヒジリが影から現れた。オレの斜め後ろに控える。その脇にブラウが巨猫で姿を見せ、スノーやコウコ、マロンも並んだ。それぞれにいつもよりやや大きめか。見栄を張った、とか?
聖獣の加護がある皇族が、聖獣全ての主君に嫁ぐ。その形をこれ以上なく視覚化した。
首飾りなのか、彼女の胸元がきらりと光った。リアは足を止めることなく、挨拶を受けながら進む。緊張でゴクリと喉を鳴らした。頭の中で、誓いの言葉を何度も繰り返し、間違えないように準備する。あと20歩くらいか。
刺繍や縁取りの模様が見える距離まで来て、シフェルが一礼して下がった。あと10歩もない。破れて飛び出しそうな心臓を落ち着かせるため深呼吸し、手袋に覆われた手を握る。待っているリアに向かって足を踏み出した。
迎えにいくのは花婿の役目、受けて身を委ねるのが花嫁の選択だ。あと5歩の距離で一礼した。胸に手を当て、深く腰を折る。軽く足を引いてバランスを取り、そのまま跪いた。
片膝を立てた姿勢で手を差し伸べる。ここで花嫁は夫となる男を見定めるのだ。拒むのはここが最後だった。この後は互いを愛することを人前式で誓う。ドレスまであと少しの距離で手を掲げて待った。
わずか数秒、しんとした広間の空気が痛い。重くて潰されそうだった。見上げる先でリアが微笑んだのがわかる。ヴェールの中で赤い唇が弧を描いた。どきっとする。いつもピンク系の紅ばかりだったから。大人びた彼女の指先が伸ばされ、オレの手に触れた。
ぴりっと電流が走ったような感動を覚える。選ばれたことを誇りに思う。リアの指に触れたまま立ち上がり、彼女の手を下から支えた。オレの震える指先が、彼女のヴェールを持ち上げる。王冠の手前にある小さなピンに引っ掛けた。
美しい顔には薄化粧が施され、赤い紅の唇が柔らかく口角を上げる。目元にピンクから薄紫へグラデーションがかかり、頬紅はオレがプレゼントした色か?
緊張しすぎて吐きそうだ。そんなオレの様子に気づいたのか、リアが小さな声で呼んだ。
――セイ
他の人に聞こえない音量で、オレの耳にだけ届いた、リアしか呼ばない名前。自然と頬が緩んで笑みが溢れる。この声がオレを呼ぶ限り、絶対に迷わない。真っ直ぐ前に足を踏み出し、リアを玉座まで導く。彼女が玉座の前でくるりと回った。それを確かめて、オレももうひとつの椅子の前で人々に向き直る。そこには……見たことがない景色があった。