17.教育は情熱だ!!(5)
「母を暗殺したのは父だ。その父を討った兄が跡を継いだのだが、2年前に毒殺された」
言葉もなくリアムの顔を見つめる。平然と言われた僅かな言葉は、逆に深い痛みを伝えてきた。母を殺した父――なにそれ、状況が理解できない。庶民の家に生まれたオレには皇族の柵とか悩みはわからないけど、いずれ殺す相手と結婚したのか? その女性との間に子供まで作ったのに?
しかも血の繋がる父を殺さざるを得なかったお兄さんの立場も、正直理解の外だ。求められる立場はわかるけど、どんな気持ちだっただろう。
自分に置き換えたら、とても出来ない。母を父が殺したのを目の前で見ても、オレに父を殺せるだろうか。今のオレなら殺せるか? でも他人と肉親は違う。リアムを狙った貴族の首を切ったみたいに、父親を刺せるわけない。
覚悟が出来ないのだ。築いてきた過去の思い出や記憶を共有する、自分を生み育てた相手を世界から削除する覚悟が持てない。
たとえるなら、出会ったばかりの頃にレイルを後ろから撃てたか? と尋ねられたら頷いた。だが教官として情報収集や取捨選択の方法を親身に教えてくれた彼を今、殺せと命じられたら首を横に振る。そういうことだ。
目の前のリアムの蒼い瞳は乾いていた。感情に揺れることも、滲んだ想いが瞳を潤ませることもない。過去と割り切ったのだとしたら、とても哀しいことだ。
「リアム…」
本人が悲しんでいないのに、同情なんて失礼な行為はダメだ。ぎゅっと拳を握って、ひとつ深呼吸した。後ろで丸くなった竜の背に再び寄りかかる。思わぬ話に身を乗り出していたことに気付いた。
「兄が毒殺されたので、皆が毒見役についてうるさい」
伏せた瞼の先で、長い睫毛が瞳に影を作る。リアムに対してシフェルがやたら過保護だった理由も、周囲の貴族がぴりぴりする状況も、あの愚かな自作自演野郎を即時処断した背景も、すべては殺伐とした過去が原因だったのだ。
いくら皇帝がすべての権限を持っていても、疑惑段階の貴族をいきなり切り捨てる判断はしないと思う。オレが知るファンタジーで独裁国家が出てきても、周囲が納得しない展開だった。なのに近衛である親衛隊はもちろん、他の貴族から非難の声は上がらない。これが答えだった。
この国はリアムの祖父の代で4つの小国を統合した。まだ歴史が浅く、足元は磐石ではない。リアムの帝政は、いつ倒れてもおかしくないのだ。ましてやリアムに他の近親者がいなければ、リアム一人を討てば戦は終わる。
ふと思い出したのは、無邪気な質問だった。リアムに謁見する前に、オレは何も知らずに聞いたのだ。どうして一番国力がある国が勝てないのか――シフェルの濁した答えがここにあった。
「オレは同情も共感も出来ないし、しない」
顔を上げたリアムの手から滑り落ちる歴史書を拾い、新旧の境目を開く。口元に意図して笑みを作った。強張るな、引きつるな、キレイに笑ってみせろ。己に命じて顔を上げた。
「オレが気にかけるのは、手が届く奴らだけだ。だからリアムは死なないよ。オレが付いてるからね」
ただでさえ大きな目が限界まで見開かれ、続いて泣きそうな顔で微笑まれた。今にも涙を零しそうな切ない顔なのに、口や目は笑おうとしている。その絶妙なバランスの上に成り立つ表情を――キレイだと思った。
ただ、美しいと見惚れる。
「そうだな…俺が育てた、俺の騎士だ」
「叙勲式でもする?」
「考えておこう」
礼儀作法や勉学だけでなく、魔法や常識にいたるまで……オレはリアムに力をもらった。戦う力でさえ、リアムが用意した教官と仲間に鍛えられたのだ。彼が育てたといっても過言ではない。
与えられた力を好きに使っていいなら、オレはリアムを護るために使いたい。
「ずっとオレが護る」
誓いはするりと口をついた。驚いた顔をしたリアムが「護ってくれ」と微笑むまで、オレはリアムの手を握っていた。
背中の竜が身じろぎする。先ほどから落ち着きがないのは、どうやらじっとしているのに飽きたらしい。仕方なくぽんと背を叩いて合図してやれば、大きなソファ代わりの竜が一鳴きして移動を開始した。のそのそ歩いていく姿は、大きなトカゲそのものだ。
「気をつけろよ」
竜に声をかけたそばから、足に薔薇が絡みついている。まあ千切って歩いていく様子から、たいしたことはないと見送った。
「お前に足りないのは実戦経験だけか」
「うーん、毎朝戦ってるからな」
早朝からドンパチして騒がしい上、建物も派手に壊していた。最近は防音系の結界が張られるほど、早朝の訓練は宮廷内で知られている。昨日も侍女に揶揄られたくらいだ。
「本当に殺気を向けられると身が竦む。いつもお前の後ろには俺がいると思え」
笑って心構えを伝えるリアムに素直に頷いた。