337.これはさらに小物だった
『主ぃ、このおっさん臭い』
自慢の肉球が汚されたと嘆きながら、ブラウは床に飛び降りた。巨大猫姿で床に寝そべる。リアの部屋が広くて助かった。
「姿勢も悪い」
今度も指を鳴らしたが、聖獣ではなくオレの魔法が炸裂。組んだままの短い足を無理やり揃えさせた。ぐきっとか痛そうな音がしたが無視する。聞き汚い音なので、悲鳴は遮断した。
「腹はボタンが可哀想だし、ズボンも布が限界だ。あと、髪の手入れはきちんとしろ。麗しの皇帝陛下の御前だってのに、躾のなってない奴だ」
淡々と指摘しながら、その度に魔法を使う。上着のボタンがぽんぽんと音を立てて飛んでいき、ズボンは縫い目から裂けた。風の悪戯が光る頭頂部を掠め、はらりと髪が舞い落ちる。眩しいぞ。
「セイっ、その……これは一応、私の叔父だ」
「どこの分家のお馬鹿さんかな?」
「この通りの方なので、自由にしておられる」
母親の弟だから丁重に扱ったが、能力がないので分家すら預けられなかった、と。オレの自動翻訳も悪くないな。家名がないから名乗れないくせに、オレに食ってかかったのか。
「さて、名乗れだったか?」
ぎゃーぎゃー騒ぐおっさんに、収納から取り出した野営用毛布を掛けた。すね毛びっしりのおっさんの足とか、なんの罰だよ。目が潰れるっての。
「キヨ様、私がご紹介を」
じいやが笑顔で進み出た。有能な執事にお任せすることにして頷く。リアが驚いた顔をしている。尋ねたら、口の達者なセバスさんを外に放り出した叔父が、じいやを見落としたことにびっくりしたらしい。それで黙って残ってたのか。
セバスさんは事前に執事で立場も強く厄介だと認識されている。以前やり込めたそうなので、間違い無いだろう。その辺の事情から、理由をつけて早々に退室させたのか。うちのじいやに関しては情報がなく、壁際でひっそりと佇んでいたため見落とした。
馬鹿だな、有能すぎる最強のじいや様だぞ? お前の手に負えないっての。
「我が主君をご紹介させていただきます」
このセリフから始まり、つい先頃シフェルが紹介したのと大差ない、大仰な口上が続く。オレの正式名は皇族になったことで、セイが加えられた。肩書きも大量にあり、厨二な二つ名も披露される。
青ざめていくおっさんの顔を見ながら、ぱちんと指を鳴らす。青猫の脇に白いチビドラゴンが、続いて赤いミニ龍、最後に黒豹が現れた。全員聖獣……ん? マロンはどこ行った?
リアの護衛に残したんだよな? 不安になったオレの足元から、ちらりとマロンが顔を出す。
「どうした、マロン」
『あのおじさん、妙な気配がします』
怯えるマロンの襟を咥えて、ヒジリが引き摺り出した。床を大きく使用するブラウの上に放り出し、ぱしんと尻尾で床を叩く。
『主殿の聖獣なら、そなたも堂々としておれ』
『っ、頑張る』
いや、そんな気合い入れる場面じゃないと思うけど。聖獣勢揃いに、ようやく叔父を名乗る無礼者が腰を浮かせた。
「おやおや、どこへ行くんですかぁ? 皇帝陛下の叔父上なら、オレの叔父ですよね。交流を深めましょう、二度と逆らわないように」
にっこり笑って手を差し伸べれば「ひっ」と怯えた声を出してソファからずり落ちた。底の見えない笑みを貼り付けたまま、さらに近づく。
「どうなさったんです? 交流はお嫌とか言いませんよね」
シフェルの口調を真似ながら、ねっとりじっくり追い詰めた。と、突然胸元から香水のような瓶を取り出して、投げつける。足元で割れた瓶は、悪臭を放った。
『主殿! 毒ぞ!?』
「うん、わかった」
事前にわかっていれば、結界を張るのが一番早い。後ろのじいやや侍女ごと纏めて結界で包んだ。膨大な魔力の塊であるオレの結界は、魔力を込めたライフル弾すら弾くぜ? にやりと笑って見つめる先で、おっさんがのたうってた。
「あの人、自分で毒を撒いて浴びてるって……」
「自殺などさせるかっ!」
皇帝陛下バージョンのリアが叫び、扉を破って乱入した騎士は窓を割ろうとする。事情がよくわからないが、セバスさんがおっさんを捕まえて引きずる姿を見て、慌てた。
セバスさんが毒にやられてしまう! 自分達に張った結界とは別に、毒を包む結界を作るが、広まった分はどうするか。迷った一瞬の隙に、ヒジリが毒の瓶を叩いた。いわゆる黒豹による猫パンチだった。足元の影に吸い込まれた瓶から毒が噴出しなくなったため、割れた窓から吸い出すだけで用が足りる。
「ブラウ、吹き飛ばせ」
『あいよぉ』
気の抜けた返事だが、仕事はした。ぶわっと廊下側から空気が圧を持って吹き抜ける。テラスへ続くガラス窓が吹き飛んだが、ここは許して欲しい。緊急事態だからな。
窓枠まで落ちたのは、ちょっと勢いと計算を誤ってるんじゃ? と思ったが、一応礼を言っておく。
「助かった……毒を吸って具合悪い奴いる? いたら申告して。解毒するから」
あの毒は知ってる。本来は液体で使うんだが、暗殺によく使われ……ん? ここで気づいた。この状況はリアが仕組んだのか!
「リア、この状況は君が望んだこと?」
「そう、だ」
きゅっと唇を引き絞った彼女は、泣きそうな顔をしていた。セバスさんから引き受けた騎士が縛り上げ、おっさんは転がっている。睨み付けるリアの目が潤んで、頬を涙が伝った。
「兄の仇なんだ」
それだけ呟くと、また涙を零す。そんな彼女の前に立って視界を遮り、叔父が視界に入らないようにした。そのまま両手を伸ばして彼女を抱き寄せる。身長差はまださほどなくて、胸を貸すには身長が足りなかった。だからズルをする。足元を魔法で浮かせてみた。透明な踏み台、シークレットブーツ代わりだ。
「泣いていいよ。話は後で聞くから」
なんとなく想像はついた。それでも説明は彼女の口から聞きたい。オレの勝手な憶測じゃなくて、リアの感情も含んだすべてを知りたかった。
「これは……陛下! まさか」
「シフェル、後にしてくれる?」
転移による体調不良から立ち直った騎士団長が飛び込むが、責める響きに肩を揺らした恋人が優先だ。睨んでそう告げると、彼らしからぬ乱暴な所作でブロンズ色の髪をかき上げた。
「わかりました。この罪人は騎士団預かりで投獄します」
「絶対に逃がさないで」
承知したと頷くシフェルが付き添い、騎士に両脇を抱えられた元皇族の端くれは退場となった。喚き散らす声は徐々に遠くなり、聞こえなくなったところで彼女がくすりと笑った。
「どうしたの?」
「足下……」
ああ、透明の踏み台? ズルがバレた。一緒に笑った後、気まずそうなリアを横抱きにした。お姫様抱っこというやつだが、これ、意外と照れるな。魔法があるから重さは気にならない。
部屋はめちゃくちゃなので、少し離れた客間へ運んでベッドに横たえる。先導した侍女が一礼して、リアに上掛けを掛けた。ベッド脇に膝を突いて目線を合わせ、微笑みかける。
「今は休んで。起きたら話を聞く。このまま手を握ってるから」
こくんと頷いたリアが寝返りを打って、横向きになった。正面から見つめ合うと、美人さが際立つ。でも普段より幼く感じる。まだ24歳、竜属性なら子どもで親の庇護下にある年齢なんだから当然か。