332.舞い込む情報、解読できないオレ
透明なまま官舎にたどり着いた。庭から門を抜ける時だけ、どきどきしたけどな。結界内の音は消えてるので足を引きずっても平気だ。結界外の石や棒にぶつからなければ、発見される心配はない。門を通る人を見送って、合間を縫って通った。
痛む足で二階までたどり着き、マロンの足元で横たわるヒジリの視線を感じながら窓のカーテンを閉める。安堵の息を吐きながら結界を解除した。
『ご主人様、早かった……え?』
『派手にやったものだ』
言われて足を見たら、明らかにおかしい色をしていた。紫と黄土色と……赤? いや黒? とにかく酷い状態の脛をヒジリに差し出す。
「治して、マジ痛い」
『魔力強化した肉体による攻撃か。主殿らしくもない』
魔力強化? ああ、毒見役は貴族だっけ。一応魔法くらいは使えたのか。毒味に出されるくらいだから、無能だと思い込んでた。騎士のなりそこないの可能性もあったみたいだ。
珍しく噛まずに治してもらった。しっかりヒジリの頭を抱えて撫でまわす。次はマロンだ。ベッドに腰掛けて短い足をぶらぶら揺らす子どもを抱き締める。嬉しそうに手を背中に回すマロンは、思う存分甘えた。それを弟のようで可愛いと思う。弟妹を可愛がった記憶はないが……年が離れると単純に可愛いかった。
単にマロンが可愛いだけかも。いや、ナルシストじゃないからな?
『主殿は何か掴んだのか?』
「お茶のワゴンを押してきた侍女と、毒味役が暗殺を計画してた」
『ブラウは何をしておるのだ』
「それ、オレも思った」
ノックの音がして、慌ててベッドに横たわる。マロンを抱き締めて上掛けを被った。
「どうぞ」
「失礼いたしますぞ、我が君」
なんだ、ベルナルドかよ。焦って損した。びっくりしたじゃないか。近づく彼に安心しながら上掛けを捲る。暑かったのか真っ赤な顔のマロンが顔を出した。
「……っ、お取込み中でしたか」
「どこをどう見たら、取り込んでるように見えるんだよ。オレの身代わりをマロンに頼んでるから、同時に目撃されると困るだけ」
この世界、実はBなLの異世界知識もちこまれてね? パウラとか明らかに怪しい。身を起こし、影に放り込めばよかったものを……と呟くヒジリに「忘れてた」と返した。そうだよ、聖獣なんだから影に隠れてもらう手が使えた。人型してると、つい。
「毒を飲まれたとお聞きしましたが」
「ああ、解毒したから安心して。というか、誰に聞いたの?」
「調査中に飛び込んだ情報です。たしか、騎士の一人でしたな。彼の婚約者が侍女だとか」
変なところで繋がった。おそらくワゴンを運んだ侍女だ。保身のために情報をばら撒いたのかな? 事情はどうでもいいけど、あの時駆け寄った騎士は婚約者か。関係ないといいけど。
「その侍女と騎士の情報をちょうだい」
「承知いたしました。家系図は必要ですかな?」
「あれば……」
ないよりマシ。というか、元将軍ってそんなのも手に入るの? あ、侯爵だった頃のツテ? 脳筋扱いは改めた方がよさそう。再びノックされ、今度はベルナルドが応じて扉を開く。じいやだった。次々と情報集めに出ていた人が帰ってくる。
「キヨ様、新たな異世界人は日本人でしたぞ」
やっぱり。そう顔に書いて苦笑いすれば、じいやが手帳を取りだした。さらさらとペンを走らせ、その紙を差し出す。受け取ったオレは久しぶりの日本語に感動した。すげぇ、やっぱ同郷人はいい。
「ご理解いただけましたかな?」
「……達筆過ぎて読めませんでした」
日本語なのはわかるが、めちゃくちゃ筆字系だし。解読できなくて申し訳ない。筆記体の英語文面くらい難しかった。
呆れ顔のじいやが溜め息を吐く。
「今後の情報伝達のために、読み方をお教えしなくてはなりませんか」
「普通に日本語で書いてくれたらいいじゃん。どうせこの世界の人は読めないんだから」
「普通に書いております」
じいやの普通は、オレの非常識だった。汚い文字という意味で「ミミズがのたくったような」と表現することはある。だが、現代人に古典の原書を読め、は無理があるぞ。
「じいや、書道の段持ち?」
「誇るほどではございません」
なるほど。一段どころじゃない、もっと達人の域か。今回は特別ですと前置きされ、内容を口頭で教えてもらった。
「日本人会の中で唯一、異世界人がいるよと示す椿旅館に連絡を取ってきた若者がいた。その片方は黒い眼帯、もう片方は前髪で顔が見えなかった……ビンゴだ」
間違いなく今回探してる奴だ。シフェル達を攻撃した理由を探らなきゃいけないし。今後のことを考えたら、排除するか抱き込むか決めないと。
「じいやなら敵と味方、どちらに仕分ける?」
現時点で敵か味方か問うのではなく、今後どちらに分類する方が安全か。その意見を聞きたかった。最終的な決断はオレがするから、責任はオレが背負う。参考までに、じいやが仕分ける答えを聞きたかった。
「どんなに誠意を尽くしても、心の通じない相手はいるものです」
遠回しだが、敵か。オレと同じ結論だな。ベルナルドが唸るように「あれは敵ですぞ」と警告する。実際に対決してないから実力は分からないが、リアに攻撃を向けたのはアウトだ。そもそも異世界にきて己の立ち位置も決まらぬうちに、見境なく権力者に攻撃するのは危険人物に仕分けて問題ないだろう。
「うん、処分の方向で」
「よろしいのですか?」
試すようなじいやに、オレは無邪気さを装って笑う。
「何が悪いの? リアに攻撃するってことは、オレの敵だよ。異世界に来て、先にチート奪われたって騒ぐような奴は処分対象じゃん。早いうちに叩くよ」
『僕もぉ、あれは壊してもいい玩具だと思う』
のそっと青猫が足元から這い出てくる。言葉が軽いわりに、動きが鈍かった。途中で動かなくなったブラウを掴むと、ぬるりと背中が濡れていた。
「ブラウ?」
『主殿、敵は聖獣に攻撃を仕掛ける愚か者ですぞ』
ヒジリは牙を剥いて不快だと示した後、乱暴に転がした青猫の背中を治し始めた。ぺろぺろと舐めて癒す姿は、あれだ。青猫を捕食する黒豹……食物連鎖の図みたい。
『仲間を傷つける奴は、僕、嫌いです』
唇を尖らせたマロンがくしゃりと顔を歪める。泣き出す直前の子どもみたいだ。咄嗟に抱き寄せて、ぽんぽんと背中を叩いた。顔を埋めたマロンが鼻を啜る。ようやく聖獣達と馴染んできたマロンにとって、大切な存在を傷付ける者は敵なのだろう。
聖獣自身がこの世界の神という秘密と照らしても、神を攻撃する異世界人は駆除対象だ。
「よし、駆除するぞ」
処分という表現が一転、さらに物騒な響きに変わる。そのくらい心境の変化は大きかった。お調子者だが、ブラウの実力は本物だ。逃げるより回り込んで足元を掬うタイプの青猫が、背中を切られた。つまり戦う意思がない状態で、後ろから攻撃された証拠だ。
「お手伝いさせてくだされ、我が君」
「うん。それじゃお願いしようかな。シフェルやクリスティーン達を連れて、リアの警護。死ななきゃ治してやるから、遠慮なく盾になってくれ」
「……はぁ。そうではなく、我が君の背をお守りしたく」
「オレの背中はリアだよ」
言い切ったオレの目を見つめた後、ベルナルドはそれ以上余計な発言をしなかった。敬礼し、さらにじいやにも頭を下げる。
「聖獣大集合で戦うのは卑怯だろうか」
「キヨ様、戦いに卑怯はございません」
勝てば官軍――いいこと言うね、じいや。




