331.犯人を追うか誘うか
毒殺未遂はいつものことだが、リアを狙われるのは気分が悪い。小さい頃から毒に体を慣らしたとしても、苦しいし痛かった。周囲も疑わなきゃならない。そんな嫌な目に遭わせたくないのは、当然だった。
「犯人探しはブラウに頼んだので、スノーはオレの護衛、コウコをリアの護衛につけよう」
『僕は……役に立たないのですか』
リアの護衛についていたスノーは対象変更や継続に頷いたが、子ども姿のマロンが鼻を啜る。かなり改善したが、やはり過去を引きずってるらしい。そんなマロンを手招きし、膝の上に座らせた。
しょんぼり項垂れた自分と同じ髪色のマロンに、笑顔で仕事を言いつける。
「マロンにしか出来ない仕事がある。この格好で、毒を飲んだフリで倒れてくれ。ベッドで寝てるところに襲ってくる奴を返り討ちにして、捕まえる危険で重要な役だけど」
『僕、出来ます! やります! 頑張ります!!』
3段活用みたいな返答に頷く。マロンの髪を撫でながら、よくよく言い聞かせた。どうにもマロンは自己犠牲が過ぎるので、一番は自分の安全、二番目に犯人確保を徹底させる。真剣な顔で繰り返す姿に、大丈夫そうだと安堵の息をついた。
「なぜ囮作戦を?」
「しばらく、オレは透明になってようかと思って」
笑顔でそう告げ、作戦の内容を簡単に説明する。頷いたリアが頬を緩め、オレは隠れたマロンと部屋を出た。護衛の近衛騎士と侍女に「毒」のことを手短に伝え、身辺に聖獣を増やしたことも付け加えた。それから具合悪そうに胸を押さえ、話の最中に何度も咳き込むフリをする。その芝居を続けながら、ヒジリの背に跨がる。
これで完璧だ。マロンは足元の影に一度隠れてもらったので、姿は見えない。官舎はやたら広く感じられた。今まで大勢いたジークムンド班が、ほぼいない。ユハが心配そうに二階の部屋まで運んでくれた。現時点で官舎に残る傭兵は少ない。ジャック班のいつものメンバーと、派閥に入らなかったユハ達数人だった。
「悪いけど、寝る」
わざと具合悪いのを強調しながら布団を被り、ユハが出ていくのを待った。気配が遠かったのを確認し、マロンと入れ替わる。立って歩いていたらオレとの違いは顕著だが、布団で寝てる分には誤魔化せた。それから自分に透過の結界を重ねる。
「いいか、頼んだぞ。危なくなったら?」
『影に飛び込む、ヒジリに助けてもらう』
「勝てると踏んだら戦ってよし」
頷くマロンが、くんくんと布団の匂いを嗅いだ。何? 加齢臭とかまだないと思うけど。
『ご主人様の匂いがしますぅ』
マロン、変態っぽいだぞ……じゃなくて、ブラウそっくりだ。残念な青猫みたいになるぞ。脅したところ、思った以上の効果があった。
青ざめたマロンは慌てて匂うのをやめ、首を横に大きく振った。
『ブラウになるのは嫌です』
「そう思っている間は大丈夫だ。マロン、気をつけてな」
『ご主人様も行ってらっしゃい。頑張ってください』
可愛い弟のようなマロンに見送られ、オレは気配を殺して廊下と階段を抜ける。大急ぎで駆けていくオレを見送ったヒジリが、のそりと寝そべった。オレから離れないヒジリがマロンの側にいることで、勘違いを増進するのだ。作戦の説明通りに振る舞うヒジリは、意識の半分を影に潜ませた。
その頃……何も知らずに犯人を探すブラウが、大きなクシャミを数回繰り返し「モテる雄は辛いぜ」と盛大に勘違いしたセリフを吐いた。近くにいた三毛の雌猫に白い目で見られながら。
宮殿内を自由に歩き回った。自分が透明になっても、物にぶつかるし躓く。当然刃物も当たれば切れる。相手に自分が見えないだけで、実体は存在するのだ。いわゆるSFで見かける、視覚を歪ませるイメージだった。
前に観たテレビ番組で、透明人間を作り出す理論をやってた。本当に透き通ってどこでも通過できるのは幽霊で、物体はあるけど見えないのが透明人間。オレの認識ではこの分類だ。だから足音も立てないように、音を消す結界を足した。
何かを踏んづけた時に叫んでも聞こえないように。普通なら自分の姿が相手に見えているから、向こうから積極的にぶつかってくるケースは少ない。嫌がらせで貴族が道を譲らないことは過去にあったけど。今回のように見えない状況だと、前後左右に気を配るので疲れた。
人の少ない中庭の片隅、茂みにごそごそ潜り込んで座る。休憩しながら、不審な奴がいないか思い浮かべた。食堂や厨房におかしな動きをする奴はいなかったし、侍女達も平常通りだった。執事のセバスさんに頼んで、急に休暇を申請したり休んだ者がいないか、調査してもらってる。レイルがいたら頼んだんだけど。
「……じゃない」
「だが……だっただろ」
男女が言い争う声に眉を顰める。宮廷の中庭で、痴話喧嘩ですか〜? 茂みの下から顔を出したが、慌てて引っ込めた。あっぶね……侍女のスカートの中覗くところだった。バレないとしても、リアに顔向け出来ないだろ。どうせDTの若造ですよ……小心者で悪いか。
近づいたことで、会話の声がよく聞こえた。
「あんな大きな騒ぎになるなんて、どうするのよ!」
「知らねえよ、金貨に釣られて協力したお前が捕まるだけじゃん」
「ちょっと! 私、しゃべるわよ」
「じゃあ殺されたい?」
肌が粟立つような魔力に曝され、思わず飛び出した。茂みを揺らす音に、男女ともに振り返る。咄嗟に口を手で押さえた。それから遮音結界があるのを思い出し、ぼそりと呟く。
「うわぁ……こいつらが犯人? ていうか、追いかけたブラウは何してんのさ」
犯人そっちのけでどこいった、青猫。女性は侍女、それも今日のお茶を皇帝専属侍女に届けた人だ。ワゴンごと渡したけど、お茶の毒味はされても蜂蜜は触らなかった。なぜなら、男の方は毒味役だ。見覚えがあった。人が良さそうな青年はまだ若く、どこかの子爵家の末っ子だとか。
末っ子という表現からして、跡取り以外にも上に兄弟がいる可能性が高かった。数人いるうちの一番下、つまり政略結婚もないから、毒味役に差し出されたのか。痴話喧嘩じゃなく、毒殺未遂の犯人なので、ここで捕まえるべきだろう。
透明マントを脱ぐ時だ! みたいな感覚に陥るが、まだ調査中だ。ここで彼らを捕まえるために姿を現すと、今後の行動に支障がでるかも。
茂みを揺らした音の原因を探す男の後ろから、侍女はさっさと逃げ出した。気づいて追いかける前に、ちょうど廊下を歩いていた騎士に駆け寄ったので逃げ延びた。知り合いなのか、騎士と親しげに話しながら遠ざかる侍女を、すごい形相で睨みつけた青年はいきなり空中を蹴り上げた。
うっかりオレの脛を蹴り飛ばしたあと、不思議そうに首を傾げる。弁慶の泣き所を蹴られたため、びっこを引きながら茂みの手前に蹲った。
「くっそ、マジいてぇ」
打身にも効く絆創膏もどきを貼り付け、肩を落とす。結界内は騒いでも音が漏れないので、悪態を吐きながら青年の背中を睨みつけた。
「ぜってぇ、痛いめ見せてやる」
毒味役と侍女の会話をメモして、オレはその場を離脱した。ブラウ、本当に何してるんだ? どこへ行った? 頼りにならない迷探偵猫に首を傾げながら、痛む足を引きずって官舎に戻った。