330.間接キスは危険なお味
意外なことに犯人は捕まらない。オレが指名……名前が分からないから人相指定手配をしたら、ほぼすべての国が協力してるはずだが。
まさかっ! 普段は前髪を上げて生活してるから、捜索に引っかからないとか? 顔は誰も見てないので、他に手配のしようがないし。そうこうする間に1週間ほど過ぎた。何事もない平穏が一番だと聞くが、犯人が野放しの現場で安心は出来ない。
「そういや、ジークムンドが戴冠式するのって明後日だよね」
「はい。すでに準備は終えております」
じいやが穏やかに答える。昨日試着させられた、豪華な服は窮屈だが仕方ない。南の国に送ったジークムンドは、今頃もっと窮屈な服を着せられてるだろう。何しろ、王様だからな。協議の結果、南の国の名称はそのままとなった。混乱を防ぐ目的があるが、実態は傭兵の国だ。
ジークムンド班の大半が移住を希望したので、オレの権限で許可を出した。ついでに今までの報酬を持たせる。お祝いのつもりでボーナスを弾んだら、ほぼ全員が夕食時に金貨を返してきた。多過ぎるんだとさ。律儀に計算するのは偉いが、臨時報酬と餞別と伝えたら、餞別は通じなかった。
お金は余っても邪魔にならないというし、オレが危険に晒された時の駆けつけ費用と言い包めて持たせる。一度出した金を引っ込めるのもどうかと思うんだよ。だって働きに応じたボーナスだし、日本人なら門出の餞別は当然だから。じいやは苦笑いしながらも納得してくれた。
「セイ、この水色とピンクならどちらがいい?」
男の準備はわりと早い。今はまだ決まらないリアのドレス選びだった。どちらも可愛いが、ちらりと視線を落とす。暑くなり始めのこの時期なら、山吹色もいいんじゃないか? 黄色とオレンジの中間色で、黒髪とも相性がいいし。
「こっちはダメ?」
山吹色のドレスを手に立ち上がり、鏡の前で両肩にピンクと水色のドレスを掛けた彼女の前に翳す。さりげなく後ろから包み込むように囲い、くんくんと匂いを確かめた。変態っぽいのは分かってるが、すごく安心する。
「似合う、か?」
「とっても」
「なら、これにする」
途端に心得た侍女が、ピンクと水色のドレスを受け取り片付ける。だが予備としてピンクは持っていくそうだ。ドレスが決まれば、自然とお飾りも決まってくる。今回は銀の地金に紫の宝石を大量にあしらった大きな首飾りと、小さめの石がついた指輪だという。この世界でピアスは装飾品ではなく、装備品なので変更はしない。ドレスなどの色と合わせることは少なく、普段から同じ物を着けたままだ。
「こちらとこちら、どっちが好き?」
似合う? ではない聞き方は、どちらもこのドレスに似合うからだ。リアに似合わない装飾品は、最初から宝石箱にない。少し迷って、左側の首飾りを指さした。ごてごてし過ぎず、でも中央の宝石は大きい。ほんのりと力を感じるので、魔石だろう。ピアスが幾つ作れるか考えると、ゾッとするほどの高級品だな。
選び終えた装飾品やドレス、靴を侍女が片付ける。手際よくお茶が運ばれ、リアの私室でのんびりとティータイムと洒落込んだ。
「リアの着飾った姿、楽しみだな」
「私も……正装のセイと腕を組んで、公式行事は緊張する。きっとセイはモテるから」
「ん? その心配ならオレの方だけどね。リアの美しいドレス姿だぞ? 惚れた男がいても叩きのめす」
絶対に渡さないと言い切った。少し頬を赤くしたリアがお茶に蜂蜜を落とす。くるくると丁寧にかき回し、口をつけた。
「……妙な味が?」
言われた瞬間、彼女の手からカップを取り上げた。急いで治癒をかけるが、よく考えたら違う。解毒! 魔法で体をスキャンして、毒物を外に取り出す。複雑なイメージのせいか、すぐ発動しない魔法だが……少ししたらリアが咳き込んだ。渡したハンカチが湿ったのを見て、ほっと息をつく。
手にしたままのカップに口をつけ……固まった。あれ? これって毒入り……?
違う、そうじゃなくて――これ、間接キスだ。
驚いたら喉がごくりと動いた。口の中にじわりと苦味が残る。悲鳴を上げた侍女が、外へ助けを求めに行った。今から医者を呼んでも間に合わないぞ。
「あ、これ知ってる」
最初に痺れが来て、呼吸困難や脳神経の阻害が始まるタイプの速効性だった。青い瓶と茶色の瓶を同量混ぜて飲めば、消えるんだったよな?
のそのそと収納から道具を取り出し、レイル直伝の解毒剤を作ろうとしたら落とした。カシャンと金属音を立てる道具を拾おうとするオレに、リアが泣きそうな声で縋る。
「顔色がっ、やだ、どうしよう」
『問題ないぞ、婚約者殿』
黒豹ヒジリがオレの口元をふんふんと匂い、ベロチューかました。涙ぐんだ婚約者の眼前で、ねっとり口中を舐め回されて唾液を飲まされる。
「ぐっ……うぇええ」
『主殿、失礼であろう』
「悪い」
反射的に謝ったオレは、怠さも痺れもすべて取れたことに安堵する。だがベロチューはやめて欲しい。ジト目を向けるも、当人はけろりとしている。ぺろぺろと肉球を手入れしているが、お前……地面を踏んだ足裏を舐めたのに、ベロチューしたんだよな?
前に苦情申し入れをしたら、治癒はキスや噛む行為なしで行わないと宣言されたので諦める。諦めるけど……人前はない。それもリアの前だぞ。
「礼は言っとく。ありがとう、ヒジリ。正直助かった」
解毒剤の作り方を知ってても間に合わない事例もある。よく覚えておこう。そういう意味で、オレがリアの解毒を試みたのは当たりだった。症状が出る前に毒を消したから、顔色も……違う意味で青いけど大丈夫そう。
「よかった」
安堵の言葉だけを漏らし、リアがオレに抱き着いた。しっかり抱き締め返す腕に力が入る。背中をゆっくり撫ぜた。彼女は兄を毒殺されてるから、すごく怖かったと思う。
「安心して、オレは死なないよ。何しろ肩書きが片手に余る英雄で、リアの婚約者だ。こんな美人を置いて倒れる気はないさ。誰かに取られちゃうだろ?」
ちょっと茶化して軽い口調で告げると、ようやく顔を上げたリアが笑った。目元が少し赤いけど、唇を寄せて治癒で消していく。
「どっちを狙った毒かな?」
落ち着いたところでカップを眺める。リアとオレの前に置かれたカップは、どちらも同じ柄だった。念のため、解毒薬を調合してから自分の前のカップに口を付ける。何ともない。リアを狙ったのか?
首を傾げながら気付いた。同じポットからお茶を注いだんだから、中身は同じ。カップ自体に仕掛けをした可能性があった。レイル先生に仕込まれたので、毒に関する知識と処置はプロ並みだ。試薬で検査しようとしたら、匂ったヒジリが先に見つけた。
『この蜂蜜ぞ、主殿』
「蜂蜜……」
なるほど。オレはお茶を甘くしない。だから蜂蜜を入れたリアだけが被害に遭うのだ。リアを狙ったな? 目つきが悪くなるのが自分でも分かった。
「ブラウ、ちょっと探偵ごっこしないか?」
『真実はいつも二つ!』
「ある意味真理だな、そういう結論書いてるサイトがあった」
事実は一つだが、そこから見える真実は人の数ほどあるという、詭弁に近い理論だが面白かった。お前も読んだのか? 顔を出した青猫がにやりと笑う。
「向こう側の真実とやらを探ってきてくれ。これはお前にしか頼めない仕事だ」
『ラジャー! 死して屍拾う桃なし』
「者」
ぼそっと突っ込む。妙なボケにハマってるが、いつも何を参考にしてるんだ? 笑点とか観始めたんじゃないだろうな。沈んでいく青猫を見ながら、オレは首を傾げた後……大急ぎで証拠を収納に保存した。そこへ泣きながら駆け込んだ侍女と、引きずられる医師。悪いがもう出番はないぞ。




