17.教育は情熱だ!!(2)
ベッドの中で目が覚める。
過去のオレは早起きとは縁遠い生活をしていた。いや、はっきり言おうか。お昼まできっちり惰眠を貪る生活が日常だった。
部屋の中は薄暗い。ほんのり朝日が差し込みつつあるが、まだ早朝と呼ぶ時間帯のようだ。窓の外は青紫色で、朝焼けに移行し始めたばかり。目が覚めるには早すぎた。
背中の傷も『絆創膏もどき』のお陰でしっかり癒えたため、俯せではなく仰向けに寝ている。うっすら目を開けて探るが、特に奇妙なものはなさそう。とすれば、気配か?
魔力探知だか感知だか知らないが、網の目を広げるように感覚を拡散していく。これは説明されなくても勝手に使えた魔法だが、どうやら赤瞳の竜に覚醒してビルを溶かしてから敏感になったようで。
1回目のサーチには違和感だけ。少し考えて方法を切り替えた。絶対に何かいると本能に近い部分が警鐘を鳴らすのだから、感知の方法が間違っているのだろう。網の目は隙間が多いので、水の波紋をイメージした。さっきと違い、遠くまで伸びない。
遠方を調べるときは荒い網の目が向いており、近くを調べるには波紋が適してるらしい。頭の片隅にメモしながら、波紋を乱す4つの点に気付いた。
ジャック、サシャ、ノア、……たぶんシフェル。この部屋を包囲する形で潜む彼らの気配が、オレを眠りから覚ましたようだ。なんか人間離れしてきた。異世界にきた時点で、普通の人間はやめてるけど……。
サバゲーしてた頃に、この能力があれば便利だっただろう。少なくとも頭上の敵を見落として、転げた挙句に頭をぱっかんな目に遭わなかった筈。
――ところで、この後どうしたらいい? 昨日みたいに早朝の訓練と言う戦闘が始まるなら、飛び起きる。起こされるまで待っててもいいのか。迷う耳に、ガチャンと撃鉄を上げる音が聞こえた。
本来なら聞こえる距離ではないのだろうが、感知を切らずにいたため耳元で聞こえて肩を震わせた。枕の下に手を伸ばす。用心のため武器を隠しておいて良かった。
グッジョブ、昨夜のオレ!! 就寝時に銃を隠した自分を褒めながら、枕の下で安全装置を外す。銃弾は込めてある。ゆっくり寝返りを打つと、窓の外にいた気配が動いた。
朝焼けで真っ赤になった窓から光が差し込み、視界が眩む。逆光だ! 気配だけを頼りに銃口を覗かせ、引き金を引いた。
そして今日も――物騒な朝の訓練が始まる。
早朝から奇襲ありの戦闘訓練、携帯食との格闘タイムを経て午前中の勉強、昼飯抜きで爆睡(昼寝)、午後は作法や歴史といった教養の詰め込み、夕方から魔法(実践含む)、夕食は豪華なコース料理でマナー勉強、ここは風呂入る習慣がないので就寝――この生活がすでに10日近く続いていた。
書き出したメモを見つめて絶句する。なに、この分刻みのスケジュール。過去のオレに見せてやりたい、ニートがいかに恵まれた職業?だったか。
起きてる時間は食事、戦う、勉強で終わるし、睡眠時間も意外と少ない。
「……成長を妨げる要因ばかり」
干し肉を口に放り込む。朝食はいつも戦闘訓練後なので、全員が絆創膏を身体中に貼ったら食べ始める。湿布のように臭いがないのは救いだった。これで湿布臭かったら、悲壮感が漂いそう。
「何をわけわからないこと言ってんだ? それだけの教育を施されるなんて、幹部候補だぞ」
「そうそう、勉強出来るのは幸運なんだぞ」
ライアンとジャックの言葉を少し考えてみる。今の言い方だと、教育は一部の人しか受けられない特権みたいに聞こえた。
歯を折りそうな干し肉を口の中で転がしながら咀嚼を繰り返し、ようやく口の中が空になった。最近は食べ方が上手になったのか、顎が疲れにくくなってきた。単に慣れただったりして……いや、それはちょっと悲しいかも。
「だって『学校』とか行くだろ?」
貴族がいるなら平民もいるだろう。傭兵であるジャック達は平民で、他国出身の移民とかの可能性もある。それでも『異世界人の心得』を読んだのなら、読み書きは習ってる筈だ。
「『がっこう』って何だ?」
「へ?」
間抜けな声が零れた。大きく顎を開いた状態になったオレの口に、サシャが乾パンを突っ込む。咄嗟にもぐもぐ噛んで、硬さにミルクもどきを流し込んだ。無理やり飲み込むまで会話が途切れるが、同じ状況にある彼らは気にしない。
食べ終えるとひとつ息を吐き出した。なんだろう、栄養補給の筈の食事で体力が消耗する現状って……。
「うーん、読み書き習う場所だよ。計算とか」
顔を見合わせたライアンとジャックをよそに、ノアは肩を竦めた。サシャは話に興味がないのか、ナイフで裂いた干し肉を作っている。食べやすいように工夫した結果らしい。さきいかに似てる細い干し肉を横目に、オレは彼らの反応を待った。
時間がもったいないので、乾パンをひとつ口に投げ入れる。
昨日壊した窓枠がそのままの部屋は、2日前に足を壊した机が横倒しだ。かろうじて無事な椅子を机に見立て、床に座って食べる事態に陥っていた。
オレ用の予算はどうなった? 部屋を直してもらおうとシフェルに尋ねたのは5日前だが、返答は「まだ壊れるでしょう。最後に直しましょう」という合理的なものだった。最後に直すのはいいが、その『最後』が気にかかっている。
もしかして、オレが出て行って壊れなくなったら直すという意味じゃないか?! それじゃ、オレは壊れた部屋で寝泊りするしかないわけで……。
「……もしかして、計算が出来るのか?」
恐る恐るといった風情でライアンが聞く。何を問われたのか、他のことを考えていたオレは反応が遅れた。口の水分を怖ろしい勢いで吸う乾パンを飲み込み、ミルクらしき何かを飲み干す。
このチームのオカンであるノアが新しいミルクを用意してくれた。
「計算、できるけど」
「すげぇな!」
賞賛するジャックと驚いたライアンの顔を交互に見て、干し肉を噛み千切る。うん、硬い。残りはわずかだけど、サシャみたいに裂いて食べた方が楽かも。サシャがぼそりと口を挟んだ。
「異世界人は知識があると聞くが、計算も習うとは」
勉強を教えてくれるリアムも驚いていたのを思い出す。どうやら計算は高度な教育に分類されるようだ。そういえば、買い物をしたときにライアンは店の人に計算を任せて誤魔化されそうになっていた。
4本足が3本になった椅子が傾かないように気をつけながら、ノアに礼を言ってミルクに手を伸ばす。別に床に置いてもいいのだが、コップを床に置くのは行儀が悪いとサシャが嫌がるのだ。だが、誰も椅子を直そうと考えないところが……壊す専門家の彼ららしい。
「それで、読み書きはどこかで習うんだろ?」
「読むのは話せれば出来るぞ」
「文字が書けるのは貴族くらいだ」
話を元に戻そうと学校の存在を探っていたら、奇妙な言葉が聞こえてきた。意味がよくわからない。
常識が通用しないのは理解できてきたし、この世界の常識やらマナー、歴史もだいぶ習ったので詳しくなった。それでも基本的な部分で驚く状況が続いているのは、彼らにとって基本すぎて教える対象から外された事項がこうして発覚するからだ。
なんで『話す』と『読む』がイコールになるんだ??