310.預けた先で思わぬ事態
カレーを食べた時はいた。目の前で甘口をにこにこ頬張っていたが……その後どうしたっけ? カレーの激痛にノックダウンされワインで潰れたオレの記憶に残ってない。
青ざめて行くオレの後ろで、じいやがレイルに状況説明を始めた。それによると、カレーを食べ終えた少女は自分で入浴したらしい。オレが潰れている間に、クリスティーンに預けたという。若いとは言え少女なので、男所帯の傭兵集団と同じ官舎に泊めることは憚られた。
なんという気遣いの主! さすがは旅館のオーナーだ。完璧対応だった。侍女に取り次ぎを依頼し、クリスティーンに預けたため、現時点でも彼女の庇護下にあるだろうと締め括られた。
「じいやは完璧な執事だからね」
ふふんと得意げに鼻を高くしたら、レイルが摘んでぐいっと捻った。
「ぃ、ひゃぃ」
「お前の手柄じゃねえだろ」
離してもらえたが、鼻がもげたらどうしてくれる! 数少ないオレの取り柄だぞ。赤くなった鼻を撫でるオレと、ムッとした顔のレイルを見て、リアは嬉しそうだった。
「まるで実の兄弟だな」
「「げっ、冗談」」
思わずレイルとハモリ、顔を見合わせて大笑いする。気が済んだところで、騎士に警戒されまくりのレイルは身なりを整えるために、北の王家の控室へ向かった。後ろ姿を見送りながら、ご苦労さんと騎士を労う。
あの勢いじゃ、止めるのは至難の業だっただろう。追加ボーナスとか出した方がいいんじゃない? 首を傾げて呟くと、じいやは頷いた。良いアイディアですと褒められる。働いてくれる人の労には報いないとね。
「セイは人の動きや気持ちを読むのが得意なのか?」
「得意……民族的な特徴かな」
日本人は空気を読む。オレは読めない方だし、時々わざと読まないけど。じいやは典型的な日本人だと思うし、すごく気が利く。その辺は曖昧にぼかした。日本人会の話は、侍女や他の人がいる場所では厳禁だ。
リアも察したのか、曖昧に頷いた。
「レイルが戻ったら、嫁を迎えに行くぞ……っていうか、あいつ幼妻なのか」
ニヤニヤしてしまう。属性が違えばあり得る話だけど、牙同士だから完全に年下妻だ。それも犯罪的な年齢差だろ。婚約者じゃなく、嫁って言ってたし。もう籍は入れたんですか? って聞いてみるか。殴られるかな。
「セイ、悪い顔をしているぞ」
「うん? リアだって同じじゃん」
揶揄う気満点で、互いに笑いあう。実際はそんなに言えないな。アイツがあんなに必死になるくらい、大切にしてるお姫様だろ。オレにとってのリアと同じで、失えない人だと思う。何しろ、このオレに頭下げて頼むくらいだから。
王族云々じゃなく、レイルは誇り高い。自分の実力でどん底から這い上がった人間のプライド、持って生まれた才能と運に対する自信、そして周囲を黙らせるあの実力だ。組織の大きさより、彼自身が築き上げた信用は二つ名以上の価値があった。
「待たせたな」
「別に、待ってないよ」
くすくす笑って返せば、レイルはせっかく整えた赤毛を乱す。わかってる、早く会いたいんだろ。先に立ってリアに手を差し出し、じいやが椅子を後ろに引く。エスコートした婚約者と一緒に、メッツァラ公爵家が所有する部屋に向かった。
泊まり込みになる役職を持つ高位貴族は、宮殿内に部屋を与えられている。じいやがクリスティーンに預けたのなら、その部屋に泊まった可能性が高い。続き部屋があり、侍従や侍女を含め15人程が休めるそうだ。それってもう部屋じゃなくて、建物じゃね?
金持ちの感覚や規模ってズレてるな。豪華すぎる建物をぐるりと見回し、溜め息を吐いた。この建築費用はどこから出るんだ? 領地の皆さんが働いた税金だろう。無駄に凝ったアーチとか、普通に平らな天井でいいじゃん。
メッツァラ公爵家当主が留守なので、当然奥様のクリスティーンがお相手してくれる。皇帝陛下とその婚約者、北の王族と豪華な面々は客間に通された。人ん家の敷地に別宅建てておいて、客間って……どうなの?
出されたお茶を、まずじいやが確認する。オレ、レイル、リアの順で口をつけた。じいやには飲まないように言ってある。毒に詳しいのはオレとレイルで、本当ならレイルが毒見役だった。ただ、中央の宮殿内だと客人なのだ。難しい立ち位置をあれこれ検討した結果、毒見を始める頃にはお茶がやや冷めていた。
「うまっ」
なんとも言えないとろみがある。不思議な舌触りと芳醇な香り。本当に美味しいものを口にすると、素人でもグルメ番組のレポーター並みのコメントが浮かぶのは不思議だった。
「ふむ……ブレンドしてある」
後ろでじいやも口をつけ、半分はセイロンではないかと呟いた。残りが分からない。リアもレイルも首を傾げるが、お茶会じゃないからな? お茶の銘柄が出てこなくても失礼じゃないぞ。
「お待たせしました。こちらのお嬢様の件ですね」
騎士服じゃないクリスティーンは久しぶりだ。ドレス姿もいいが、今日はロングのワンピースだった。共布のボレロ、だっけ? 短くて腰と胸の間くらいの丈しかない上着を羽織っている。この場合、ワンピースの表現はおかしいのか。
手を繋いで入室したのは、愛らしい少女だった。こんな可愛かったか? カレーを頬張ってる時は可愛かったが、無口で無愛想な子だったよな。今は目をきらきらさせて、鮮やかな緑のワンピース姿だった。レースやフリルがふんだんに使われ、どこから調達したのか気になる。
だって預けたの、昨日の夜だぞ? シフェル達に子どもがいないのに、どうして女児の服があるんだ??
「クリス、突然ごめん。レイルのお嫁さんなんだって」
「婚約者ではなく、夫がいると聞いています。どうぞ」
あっさり手を離し、丁寧にお礼を言った少女がレイルの広げた腕に飛び込む。異世界で違法ロリコンの幼妻A Vが繰り広げられた場合、どうしたらいい? 下手に突っ込むと危険だ。本能が回避を要求する。
手を繋いだリアがきゅっと強く握り、ゆっくり首を横に振った。何も言うな、と示されて従う。
「よかった! アディ、いなくなったと聞いた時は心配した」
「ごめん」
なんだか、少年みたいな名前だな。ぼんやりとそう思いながら、お茶を流し込む。置かれた菓子を齧り、半分に割った残りをリアに差し出した。素直にぱくりと食べたリアの微笑みに、オレも笑い返す。うん、ただ現実逃避してたんだけどね。
親友がこんなに情熱的にロリ……げふん、幼女、でもないか? 中学生未満の少女を抱き締めるなんて。誰が想像できたか。
謝る少女の声が高くて、まだまだ幼いのだと主張してる気がする。オレやリアの婚約も、外から見たらお飯事に見えるのかも。
「保護に感謝する」
王族としてきっちり礼儀正しく、メッツァラ公爵夫人に礼を尽くすレイルは、まるで別人だった。オレが知るレイルじゃないみたいだ。
つんと袖を引くリアを振り返ると、くすくす笑いながら頬を指で突かれた。
「寂しいのだろう? 友人の知らない一面を見て、嫉妬してないか?」
「……してるかも」
小声で交わした会話は、じいや以外聴こえていない。あれだけ長く一緒にいても、喧嘩して仲直りしても、割り込めない場所ってあるんだな。
ま、オレとリアの間に割り込んだら、レイルでもやっつけるけどね。そう考えたらお互い様だった。




