16.食事をしたらお勉強(3)
とりとめもない考えが浮かんでは解ける。繰り返す考えと四散が眩暈を増長した。あ、林檎だ。見つけた果物に視線を送ると、気付いたノアが手を伸ばす。
「食べるか?」
ノアが林檎によく似た果物を手に取り、簡単そうに半分に割った。ほら、よく映画で見るやつ! 手の握力?だけで、ぱかっと林檎を割る技。コツがあって、できる奴は簡単そうにやるんだよな。
憧れたなぁ、あれ。ちなみにオレは出来なかった。実はスキップも出来なかったりする。別に不自由じゃないし、出来ないと生活に困るわけじゃないけどさ。出来ると格好いいじゃん。あ、片手でペンをくるくる回すのは出来たぞ。
「無理やり詰め込むなんて、コイツはまだ子供だぞ」
24歳でも外見から子供扱いされるのは、いい加減慣れた。同じ竜だからか、シフェルは外見に騙されてくれないが、さすがにやりすぎ感はある。
憤るライアンへ熱で潤んだ目を向けると、感極まったように髪をくしゃくしゃ撫でられた。乱暴だが、彼らしくて嫌いじゃない。この世界来てから、やたら撫でられてるよな。前世界で撫でられた回数を総動員しても、今の方が撫でられてる気がする。
痛みが和らぐと眠くなる。発熱した所為もあるんだろうが、とにかく眠かった。寝てもいいのかな? 寝たら死ぬ冬山とは違う筈……。
怒りに任せたジャックの声が耳に届いた。
「なんでここまでするんだ! 殺す気か!!」
「……オレ、シフェルに…嫌われ、てるのかな」
うとうとしかけたオレは、飛び込んだ言葉につい無意識で返していた。ほぼ自覚のない呟きに、なんだか悲しくなる。そのまま眠ってしまったオレは知らない。目の端に光る涙に気付いたジャックたちが、ある作戦を立てて決行した事実を――。
午後から歴史を習う予定だったが、顔を見せたリアムは首を横に振って「取り止めだ」と苦笑いした。シフェルから報告を受けていた可能性もある。
「今日は休むといい」
人前だからか、謁見時のように硬い口調を崩さないリアムに頷く。ぼんやりしたままソファに俯せで転がるオレの頭を、ひんやりした手が撫でた。
「あ、気持ちいい」
呟くと手が止まり、額の上に置かれた。花に似た良い香りがする。香水、だろうか? 目を閉じるとさらに香りが強くなった気がした。
「セイ、睫毛が長いのだな」
氷が入った袋を枕代わりに抱き締めているオレの額から、頬へ手が滑っていく。瞼に触れた指先が頬へ移動したタイミングで目を開いた。驚くほど近くに広がる蒼――滅茶苦茶、顔近いんですけど!?
おそらく動けていたら飛び退ったくらいの驚きで「あ」と間抜けな声が漏れる。
「…オレより美人に言われても」
掠れた声で返すと「それだけ話せるなら大丈夫だ」と笑われた。気付くと周囲にいた筈のジャックたちは全員姿を消している。皇帝陛下に気を使ったのだろうか。
「シフェルの術はキツかっただろう?」
少し口調が砕けたリアムに、感じていた不満が噴出した。
「キツいって言うか、嫌われてるじゃん。ただの仕返しじゃんか」
拗ねた子供の口調に苦笑いしたリアムの手が目元を覆い隠す。何も見えなくなって、でもリアムの手から香る花のような匂いに安心して力を抜いた。全身から力を抜いて、冷たい手に意識を集中する。
「そう考えるのも無理はない。あの術の返しは本当に辛いものだからな。だがお前のためだぞ。あれは誤解を恐れない稀有な奴だ。お前に憎まれても、殺意を向けられても、鍛えるつもりなのだ」
諭されている。リアムまでアイツを庇うのか? そう思うと悔しくて口を開けない。むっと尖らせた唇にオレの心境に気付いたらしい。リアムは溜め息を吐いた。
呆れられた。
「あと半月ほどで、おそらく北と西の国が同時に攻め込む筈だ。王宮に匿われても、今のお前が無事に生き残れる保証はない。潜在能力なら優秀だが……混戦となる最前線で死なぬように鍛えるとなれば。明らかに時間が足りないのだ」
言い聞かせる声が、荒れていた心を宥めていく。なんであんなに腹を立てたのかと不思議に思うほど、気持ちの荒波は穏やかに凪いだ。
「お前を嫌いならば、適当な授業をして放って置けばよい。前線で敵が勝手に殺してくれるだろう。シフェルが手を汚し、嫌われる必要はない。わかるか」
疑問ですらない。淡々と紡がれた内容は、すとんと胸の中に落ちた。そうだ、嫌われると承知で相手を教育するのは、一種の愛情だ。どうでもいい相手なら構わなければいい。無視して放置すればいい。その後に自滅する道が見えるなら尚更、構うのは悪手だった。
昔、『人間、叱られるうちが華』と聞いた。気にかけて叱ってくれる相手すらない状況は、確かに怖い。見捨てられたということだ。叱る価値すら見出してもらえなくなったら、異世界人である自分に生きていく術が残るだろうか。
感情に任せて『怒られる』なら反発するのが当然だ。だけど、オレの将来を案じて『叱って』くれるなら素直に受け入れるべきだろう。
そういや、前世界で親が最後に叱ってくれたのは……いつだった? 少なくとも引き篭りかけた頃は叱ってくれた。何とか外へ出るよう促して、一生懸命手を尽くしてくれたじゃないか。それを無視して、好き勝手した結果が『引き篭もり一歩手前のサバゲーオタク』だ。
もし引き篭もりかけの頃に、こうして諭してくれる人がいたら…オレは親を失望させなくて済んだかも知れない。逆に、諭す人すら失望させた可能性もある。
「……ごめん」
なんと言えばいいのか分からなくなって、口をついたのは謝罪だった。さきほどシフェルに向けた「ただの仕返し」なんて発言は、明らかに謝るべき言葉だったと思うから。
「まあ、俺から見ても焦り過ぎだとは思うが」
「え?」
「ここまで厳しくするとは聞いてないし、そもそも午前中の授業で寝込まれたら、午後は使い物にならないではないか」
「ソウデスネ」
何故だろう。リアムの言葉に震えが止まらない。
お前がやりすぎたから、俺の番まで玩具が保たなかった! そう駄々を捏ねられた気分だ。ちょっと涙がでちゃう、男の子でも。
「では、最初の仕事だ。お前の部下を止めて来い」
「部下…? 仕事……?」
熱で頭が働かないんだから、もう少し噛み砕いてください。派手に首を傾げて待つ。後ろで括った金髪がさらさらと流れた。
「ジャック、ノア、サシャ、ライアン。すべて一流の傭兵だ。お前の予算で雇ったから、お前の部下になった。彼らがシフェルに仕掛ける前に止めて来い」
しっかり逃げ道を塞いで言い聞かされ、ぱちくりと大きく目を瞬いた。目の前の黒髪美人は楽しそうに笑うだけだ。ひらひら手を振られて、ようやく内容を噛み砕いて飲み込んだ。
「うそ……痛ぃ」
飛び起きるが、頭痛と背中の引きつる痛みに呻く。再び身を起こして、抱いていた氷を放りだした。ソファから立ち上がると少しふらつくが、歩けないわけじゃない。
「行って来る」
「ああ、終わったら俺の部屋に来い」
「りょーかい!」
敬礼して部屋を出た。魔力を感知するのって、どうやったっけ? まだ教わっていないが、早朝の訓練と言う名の襲撃では感じ取れていた。確か気持ちを落ち着かせて、目を閉じて探す感じ……。
いた!! ジャックの魔力か気配を感じて走り出す。ふらついても急がないと危ない、と思えばあまり気持ち悪さも苦にならなかった。
音を立てて慌しく出て行った友人を見送ったリアムは、難しい顔をして呟く。
「了解、か。まず言葉から教えなければ」
シフェルだけではない鬼教官が誕生した瞬間だった。