288.転移したら雪国だった
一晩泊まって出発したのに、シンとヴィオラ、義父に絡まれて大変だった。本当はお茶の後で出かけてもいいところを、せがまれて翌朝出発に変更したのに。リアムとは部屋を分けられ、シンが寝るまで邪魔をした。寝起きの機嫌悪さも手伝い、早朝に押しかけたヴィオラを追い出したオレは、ようやく東の国に到着したことに安堵の息を吐く。
「朝から疲れた」
「大変だったな」
状況を把握しているリアムが苦笑いする。義理の家族がこれほど可愛がってくれるのは珍しいと話すパウラは、先程中央の国へ送り返した。もちろん伯爵令嬢一人で放り出すわけがない。騎士団に喝を入れるべくシフェルとクリスティーンが同行した。
「護衛はベルナルドに任せれば問題ないし、聖獣も揃ってるから」
そう言われるとシフェルやクリスティーンも引き下がるしかなかった。じいやとベルナルドを連れて飛んだ先は、思ったより肌寒かった。慌てて上着を取り出してリアムに着せ、自分も羽織る。後ろでベルナルドも防寒着を引っ張り出していた。
「じいや、寒くない?」
「ご心配痛み入りますが、問題ございませんぞ」
なんだろうこの人、某悪魔執事みたいにあれこれ超越してそうな感じがする。オレはとんでもなく有能で危険な執事を選んだんじゃないだろうか。
以前に来た時は雪が降っていたが、今日は晴れていた。シンシンと冷える外気に身を震わせ、結界で包んでみる。中に温風が満たされた空間をイメージした。あれだ、寒い雪道を走るエアコン全開の車内だ。
「さすがはセイだ。魔法陣なしで凄い」
褒めるリアムに風邪を引かせるわけにいかない。魔力はどうせ余ってるんだし、使わないと損だよな。防寒着を着せる前に気づけば、もっと完璧だったけど……じいやの「慢心大敵」と言いたげな眼差しに、にへらっと笑って誤魔化した。
「ここはどこだ?」
「うーん、ジャックの魔力を終点にしたんだけど、どこ行った?」
見回したオレは、魔力感知を波紋状にして確認した。足下、ほぼ重なっている。
「この下?」
大きな雪の塊の上に降りたと思ったけど、この下に人が入れる施設があるみたいだ。内部に転移しても安全ならいいが、人数も多いので自力で降りることにした。危険度を図るため、オレが最初に飛び降りる。
「我が君、そこは護衛が」
「護衛が沈んだら、誰がリアムを守るんだよ。今日のベルナルドはリアムの護衛も兼ねてるんだぞ? それに雪に埋もれても、オレなら脱出できる」
正論で反論を潰し、なだらな丘にしか見えない前方へ足を踏み出した。一歩、二歩……そして沈んだ。ずっぽりと頭の上まで雪の壁だ。落ちるとわかっていたので、自分を結界で包んでいる。窒息の心配はない。
もそもそと両手を動かして周囲の雪を潰し、押しやってスペースを作った。リアム達が待機する屋根らしき部分に向かって歩くと、すぐに壁に手が触れる。ぺたぺたと撫でるオレの頭に、スノーが飛び乗った。
『主様、雪遊びですか?』
「いや、この建物の入り口探してる」
仕事中だから、後で。
『吹き飛ばせばいいのではありませんか?』
「……なんでもっと早く言わなかった?」
魔法を使っておきながら、やはり魔法がない国から来たオレの発想は貧困だった。魔法を想像することは出来ても、日常的に使うイメージがない。スノーの言葉通り、吹き飛ばせば雪なんか消滅する。というか、溶かしてもよかった。迷うが、溶かすと水がびしゃびしゃになるので、足下が汚れるだろう。
「スノー、やっちゃって」
『はい、行きます!』
ぶわっと雪が飛ばされて建物が浮かび上がる――のを想像したんだが? 彼はなぜか雪の小人を作って歩かせる手法を選んだ。
「セイ、それ可愛い!」
小人を作るスノーがきょとんとする。特に意図したわけではなく、綺麗に雪をどかそうと考えただけのようだ。四角い塊に手足が出来て頭を乗せた状態で移動する姿は、ロボットだった。可愛いかどうかは微妙だが、頷いておく。
「お、扉だ」
目の前に出てきた扉を叩き、感知したジャックの動きに合わせてしゃがんだ。頭上に銃が突きつけられる。
「っ!」
「オレ、キヨだから!!」
声を上げた時、きっちりオレに銃口が向けられていた。オレは一応雇い主様だからな? 殺すなよ。
小屋はすっぽり雪に埋もれて、薄暗い。窓はなく、そのおかげで崩れずに済んだらしい。物置小屋より大きいが、人が住む設備はなさそうだった。
ノアは仮眠中、ライアンはいないがサシャは干し肉を齧っていた。口が塞がってるので、両手で手旗信号のように挨拶を寄越す。慌てずに食えよ。
「悪い、追っ手かと思った」
「なんで追われる事態になってる……っと、いけね」
ジャックに悪態つきかけて、屋根上のリアム達を下ろす方を優先した。安全だと合図を送り、大きく手を振る。しゃがんだリアムが飛び降りようとしたので、雪の階段を作った。これは北海道で見た雪祭りの光景を参考にしている。ちなみに実際に見たことはない。
安全第一、雪の階段を降りるリアムに手を差し伸べ、残り3段を飛ばす彼女を受け止めた。じいやとベルナルドが降りたところで、階段は崩す。それをスノーが外へ歩いてかせた。小人魔法便利だな。
「皇帝陛下? ラスカートン前侯爵……なんつう顔ぶれだよ」
追われていると言ったジャックは、頭を抱えるようにしてドアの内側に背を押し付けた。天を仰ぐ姿は嘆いているようにも見える。
「何があったんだ?」
ジャックもだけど、サシャも傷だらけだ。細かな傷がいくつも肌に残り、でも一番ひどいのはノアだろう。こんなに人が増えたのに、起きないなんておかしい。それだけ体力を消耗している証拠だった。
血の臭いが漂う小屋に、収納から家具を取り出していく。机はなくてもいいから、ベッドだろう。軍用の折りたたみベッドを並べると、ソファ代わりに腰掛けた。
「襲撃された」
「なんとなく、それはわかる。話す前に、今足りないものを言ってくれ」
ジャックがノアを折りたたみベッドに寝かせる。それでも起きない彼の腹部に滲んだ血を見て、オレは説明より要求を口にするよう求めた。
「絆創膏もどき、あるか」
「ある」
どさっと20枚ほど渡した。ジャックがサシャに分ける間に、移動したオレはノアの手に触れる。折りたたみベッドを4つが精一杯の狭い小屋で、僅かな隙間に膝をついた。
「ノア?」
「今は薬で意識を奪ってる。ノアのやつ、腹に穴が空いてるのに動こうとするんだ」
らしいなと思いながら、指を絡めて繋ぎ直した。祈るようにその手を額に押し当て、傷が塞がり治ったノアの元気な姿を想像する。治れ、治れ、戻ってこい。ふぅと長い息が漏れ、ノアの手が動いた。
「ノア」
「……キヨ?」
怪訝そうな声は、目覚めたら突然いたオレに対する疑問だ。今度は飛び起きようとする。彼の行動パターンはある程度知ってるから、手を解いて両肩を押さえつけた。
「起きてもいいから、ゆっくりだ」
言い聞かせて、頷くのを見てから手を離した。まだふらつく彼を座らせ、冷たい水を作って渡す。飲み干す様子に、空のコップにまた水を満たした。
「もう大丈夫だ」
そう言ってぎこちなく笑うノアを置いて、オレはジャックの前に座り直した。この状況じゃ、安心して飯が食える環境にいなかったな。紙のリストを取り出し、食べられそうな物を並べる。パン、焼いた肉、野菜炒めの残り……冷えているそれらを温めてから渡した。
いつの間にか、じいやがお茶を淹れ始めていた。その道具、収納空間に入って取り出したの? 気が利くじいやに渡された百合のカップに口をつけながら、オレは彼らが人心地つくのを待った。