285.返済したら断罪、これ常識
「か……数えてみないと返済を終えたかどうか……」
「分からない、と申すか。ならばこれを足そう」
リアムが収納から取り出した金貨をさらに追加した。明らかに返済額を超える量だ。
「リアム?」
「セイを婿に貰い受けるのだから、中央の国から婚礼金を出すのは礼儀だぞ」
あ、そういう名目ね。確かに王家の資産になる金貨だから、返済に使うのも自由だな。オレが身請けされる金額に見えるのは気の所為……そう、気の所為だ。シフェルが満面の笑みを浮かべ、ベルナルドはドン引きしてるけど、気の所為に決まってるさ。
それより重要なのは……。
「リアム、口調が戻ってる」
皇帝陛下に戻ってるぞ。間違いじゃないけど、可愛いリア姫でいて欲しいんだけど。首を傾げると、焦った様子で赤くなった頬を両手で包んだ。これは目の毒……いやご褒美です。頑張るからね。
「さっさと数えろ」
シンが吐き捨てるように告げた先で、公爵が金貨の前に膝をついた。え? 偉い人が自分で数えるのか? 驚いたオレをよそに、ヴィオラが何か筒状の物を投げた。
「貸して差し上げてよ」
上から目線で義姉が笑う。なんか悪い笑顔してるので、見なかったことにした。お姉ちゃん、怖いぞ。悪の総帥の傍にいそう。ところで今の何?
尋ねていいか分からず見ていると、アホラ公爵が筒に金貨を入れた。満タンになると麻袋に移していく。ああ、数える道具なのか。満タンで50枚とか、そんな感じで数えるらしい。思ったより早く数え終えたアホラ公爵が立ち上がる。こっそりポケットに入れた分は、利息ってことで見逃してやるよ。
残った金貨の方が、数えた金額より多かった。まあリアムの追加が大きかったけどね。あれがないとこんなに残らなかったし。
「借金の返済は終了、この場で書類にサインしてもらおうか」
借用証がないと聞いて、なんで踏み倒さなかったんだと義父を心で罵った。誠実なお人柄は、政では悪い方に働くことが多い。そのいい例だった。オレなら確実に翌日に踏み倒す案件だ。日本の正式な書類形式で、じいやに書類を整えてもらった。穏やかな物腰でじいやが渡した書類をじっくり読み、アホラ公爵が手を出す。後ろの侍従か執事のような人がペンを手渡した。
彼がサインするまで、基本的にオレ以外は言葉を我慢している。署名が終わり、慣れた様子で指輪を押し付けた。紙に指輪の紋様が移る。これって印鑑に似た習慣だな。受け取ったじいやが運んだ署名を、後ろからレイルが確認して頷く。
「さて、返済が終わったし……断罪に入ろうか」
怪訝そうな顔をするアホラ公爵の後ろで、貴族がざわつく。どちらに味方するか判断するには、遅すぎるぞ。もうお前らは敵認定したからな。ぎろりと睨んで黙らせる。
「断罪だと? 貴様、何様のつもりだ」
「そっくりお返ししようか。オレは聖獣達の主人様で、北の国の第二王子、皇帝陛下の婚約者で皇族だよ。たかだか北の国の公爵程度が、オレに話しかけるなんて無礼すぎるんじゃないか?」
にやりと笑って現実を突きつける。お前の地位や立場なんて、いつでも剥奪できるだけの権力者だぞ。貸した金でいい気になってたが、もうそれは通用しない。きっちり責任取らせてやるからな。
「それが国の恩人に対する態度か!?」
「偉い人を指さしちゃいけませんって、習わなかったのか? 親の顔が見てみたい。どんな躾をしたんだ」
教育レベルじゃなくて、躾だぞ? 犬だってそんな失礼はしない。そう嘲ったオレの前で、青猫がひゅっと風を操った。ぽとっと指が落ちる。
「うわぁあああ! 何を!?」
「こら、ブラウ。ダメだろ!!」
うちのペットがすいませんね。足踏んじゃって、くらいの軽い態度でブラウを叱る。くねくねと尻尾を揺らす青猫に、言葉を付け足した。
「そんなところで指を落としたら、残りの金貨に汚い血がつくじゃないか」
『ごめん、主ぃ。僕ちょっと気が短いんだと思う』
「次からは風で壁まで吹き飛ばしてから、千切るように」
いいか? すっぱり切れ味よく切ると、また指がくっついちゃうだろ。やるなら千切れ。しっかり指導しておかないと、またやらかすからな。青猫に言い聞かせてる間に、ベルナルドが剣を抜いていた。バーサーカーになるタイプの護衛ですが、何か?
「そ、その剣で、何を……ここは謁見の間ですぞ」
腰巾着みたいな貴族が喚く。それを聞いてからゆっくり振り返り、ベルナルドに言い聞かせた。
「ベルナルド、だめだろ。さっきブラウを叱ったのを聞いてなかったのか? ここで首を切ったら部屋が汚れる。それにあの金貨は北の国への礼金で、皇帝陛下の私財だからね。殺るなら汚さないよう、一発の突きで仕留めなきゃ」
剣を抜かなきゃ、ぶわっと血が出ることもないだろ。そう諭すと「さすがです、我が君」と感激したベルナルドの声が返った。シフェルがくすくす笑い出し、クリスティーンは淑女の微笑みを湛えている。
「リア姫、ごめんね。なんだか失礼な犬しかいないみたいだから、全部捨てて新しいペットを飼うことにしようと思う。こんな実家に連れてきたお詫びをさせて欲しいな」
膝を突いて愛を乞う。そんな雰囲気で彼女の手の甲に口付けた。頬を赤く染めるリアムは、目の前の惨劇は気にしないようだ。そのくらいでないと、皇帝陛下は務まらなかったんだろう。血を見て気を失うお姫様ってのは、よほど過保護に育てられるんだろうな。
「く、くそっ……金ぐらいで偉そうに」
「いや、お前が言うな案件だからな?」
思わずツッコんでしまった。金を貸したくらいで偉そうにしてたのは、そっちだろ。生まれながらに聖獣との契約を引き継ぐ、国にとって重要な血筋を軽んじた部下のセリフじゃないから。
「まだわからないのか? 金を貸したから偉そうに振る舞ってたけど、もし全部権利も義務も王族が放棄したら……この国は消滅していた。あんたらの大切な土地も金も家も消えるんだ。それを防いでくれた恩人に、詫びる言葉のひとつも浮かばないとはねぇ」
ああやだやだ、そう付け加えて肩をすくめた。すでにアホラ公爵は気を失ってるが、失血で倒れるほど血は出てないぞ。傷は浅い、安心したまえ。893は指の1本や2本なくても元気だ。
にっこり笑って一歩踏み出すと、貴族達が入り口の扉へ向けて後ずさる。それをもう一歩追いかけた。じりじりと距離を詰め、金貨を確保すると……足下の影に収納する。
「金貨は後で王家の国庫に収めるとして、ここからは賠償金のお話といこうか」
「ば、賠償、だと!?」
侯爵だか伯爵だか知らないが、筆頭のアホラ公爵が倒れたので、繰り上がったハゲが口を開く。分かりやすいハゲだ。時代劇の落武者……あれを彷彿とさせる髪型だった。残りの髪に未練があるのはわかるが、長く伸ばすと髪に引っ張られて毛根痛むんじゃね? いっそ短く刈り上げた方が髪も長生きすると思うけど……ハゲも目立たなくなるし、な。
落武者ルックのおっさんは、ガリガリに痩せていた。それがまた落武者感を加速させる。ただ無駄にじゃらじゃらと貴金属類をぶら下げ、指輪をぎらつかせて絹に身を包んでる辺りは、落武者っぽさから判断して減点対象だった。
「そこの落武者もどきは何で驚いてるのさ。王族と貴族の違いを説明しないとわからない?」
そこからか。そうか、そんなに馬鹿か。大袈裟に嘆いて、彼らのプライドと自尊心といったメンタルをごりごり削った。