282.アホを煽る簡単なお仕事
「北の国が滅びるところを救った救世主だ」
狂ってた聖獣コウコを救って契約した。王太子の命を助けた。そういう意味か。中央の国と同盟を結べたのも、オレがリアムの婚約者だからだもんな。
「お兄ちゃんも黙ってて」
きりっとシンが言い切ったところで、オレがぴしゃりと黙らせる。なんなの、玉座の脇で目を輝かせる義姉ヴィオラが怖かった。絶対に余計なところで口を開く気だぞ。
「我が君、さすがにこれ以上の侮辱は許せませんぞ」
ここでまさかのベルナルド! 護衛まで離反するのか。振り向いて睨むと、慌てて口を手で押さえた。そのまま塞いでろ!
シフェルが苦笑いして肩をすくめ、レイルはもそもそと情報集めの最中だ。じいやは飄々とした顔で、興味深そうに見ているだけ。クリスティーンは剣の柄に手を置いているが、まだ余裕があった。
「……まだ誑かされていない」
残念そうに「誑かして欲しい」と呟くリアムが可愛い。そうか、陛下という単語に反応しちゃったんだな。思わず手を繋いだ彼女の黒髪を撫でてしまった。なんて愛らしいんだ。
「貴様はなんだ」
「口を慎め、こちらにおられるのは中央の皇帝陛下にあらせられる」
オレより早くシフェルが牽制した。さすがに護衛で公爵で近衛騎士だからな。ここは譲ろう。クリスティーンも柄を握って……ん、二人ともせっかちだな。半分ほど刃が見えちゃってるぞ。
にやりと笑ってオレはアホに向き直った。
「し、失礼した」
やばいと思う意識は残ってるらしい。
「ふーん、この国の公爵って、他国の皇族の顔が分からなくても務まるんだね。随分とおバカ……あ、アホだったっけ」
丁寧な言葉遣いなんてクソ喰らえだ。この場で地位が高いのはオレやリアムの方だからな。最低限の礼儀を守れば、相手に合わせたレベルの応対で十分だった。自国や他国の王侯貴族の顔と名前を覚えるのは、貴族家の当主として義務に近いぞ。
明文化されてなくても、相手に失礼すぎるだろ。こういう奴に限って、自分が顔を覚えられてないとキレるんだよ。
静かな聖獣に気付いて周囲を見回すと、コウコは残ってるのにマロンとブラウがいない。ヒジリに念話で尋ねることにした。
『ブラウとマロンは?』
『さきほどコウコが飛ばした貴族を潰している』
家じゃなくて本人を物理的に潰してるのかな? まあいいや、更生の余地なさそうだし。処分でも処刑でも自由にしてよし。オレのリアムに失礼な口を利いた罰だ。
「っ! 聞いておるのか」
興奮して唾を飛ばすおっさんに、オレはにやりと笑った。
アホラ公爵が顔を真っ赤にして怒っていた。当然、念話に意識を集中したオレは聞いておらず、リアムの耳はクリスティーンが塞いでいた。きょとんとしてる。何、この可愛い表情。ハグしたくなるだろ。
「聞いてなかった」
素直に申告して煽る。よく頭がヤカンみたいに湯気ふくアニメ映像あるけど、あれに似てる。こういう時に使うんだろうな。
「成り上がり風情が、代々受け継がれた高貴な血筋に名を連ねるのは不遜だ。辞退するがよい」
公爵らしい傲慢な口調でオレをこき下ろす。うーん、微妙だな。もっと攻撃的になって自滅するか、いっそ頭脳戦を仕掛けて欲しかった。これじゃ、リアムの望むざまぁは無理か。
リアムの耳に汚い言葉が入らないようにする係は、いつの間にかパウラに交代されていた。クリスティーンは剣に手を掛ける。ベルナルドなんて、完全に抜いちゃってるし。元侯爵なのに堪え性がない。隣でアルカイックスマイルのじいやを見習え。
「この指輪を知ってるか」
「……かつて王弟殿下が……?」
この程度の認識か。まあ盗まれたり狙われないよう、何の指輪か言わなかったのか。そう考えると王弟はわりと賢かったっぽい。レイルの父親だから頭脳派みたいだ。
「支配者の指輪だ。この指輪を手に入れ、すべての聖獣を契約下に置いた。お前の言う尊い血筋より、オレが選ばれた証拠だよ」
「キヨ様は北の国を救って同盟を結び、西の国を支配する軍を率い、東の国と南の国を制圧なされた。中央の筆頭皇族家の当主になられた方だ。控えよ」
びっくりした。後ろから口を挟んだのはシフェル。オレを擁護することなんてなかったのに、淡々と事実を並べただけじゃなくて「キヨ様」って何? いや、他国の公爵と話をするのに呼んだだけだろうけど、マジびっくりした。
驚いた顔をしているのは、シンやレイルも同様だ。
「一介の騎士如きが、北の国の王家の血を引く公爵家に逆らうか!」
あ、そうか。このおっさん遅刻してきたから……さっきの断罪もわかってないし、目の前にいる人達の肩書も知らないんだ。ぽかんとしたオレと顔を見合わせ、リアムがにっこり笑う。可愛いけど、これ……皇帝陛下の時の笑顔に近いな。
どうやら見てるのに飽きて、自分が乗り出したみたい。こうなったらリアムにも見せ場を譲るのが、婚約者であるオレの度量かな?
「シフェル、よい。遅れてきた無作法者に名乗ってやれ」
完全に皇帝陛下の話し方で言い切った。
「かしこまりました。中央の国近衛騎士団長シフェル・ヴァロ・メッツァラ。公爵位を賜っております。こちらが近衛騎士副団長にして我が妻のクリスティーン・ミーア・メッツァラと申します」
夫婦でにこやかに一礼した。あのさ、この世界って出世魚みたいに名前が増えるんだな……ぼそっと呟いたら、パウラが事情を教えてくれた。貴族家でも個人名と家名のみだけど、当主とその妻はミドルネームみたいなのが増えるらしい。やっぱり出世魚だった。
同じ公爵でも国の規模が違う上、メッツァラ公爵家は中央の公爵家の中でも筆頭だからな。ここは完全にこちらのターンなので、控えていた護衛のベルナルドが進み出る。侯爵家の前当主、伯爵家のご令嬢、椿旅館のオーナー、ここまで名乗りが終わったところで止めを刺す。
「中央の国、皇帝ロザリアーヌ・ジョエル・リセ・エミリアス・ラ・コンセールジェリン陛下。お隣は、婚約者にして北の国の第二王子キヨヒト・リラエル・セイ・エミリアス・ラ・シュタインフェルト殿下でございます」
北の国の一公爵家当主程度が、図々しんだよ。そう告げるシフェルの口調は完璧だった。慇懃無礼さと、見下したような態度……嫌味がさく裂してる。そういや、このおっさんはどうしてこんなに偉そうなんだ? 北の国は貴族が増長して王家を押し込んだと聞いたが。
中央の国との同盟が結ばれた辺りから、シンがあれこれと手を回して貴族つぶしをしてるはずだ。レイルも協力しているし、王族の数も最低限確保されていた。そんなに貴族が増長する原因が見当たらない。中央の国へ戦を仕掛けた際の事情をもう一度聞いた方がよさそうだ。
「ご、ご無礼を……」
「本当に無礼であった」
普通なら「いえいえ、こちらこそ」みたいな挨拶があるところを、リアムが一刀両断にした。冷や汗をかくおっさんが、よほど腹立たしかったらしい。オレの方が冷静かも?
『主殿、この獣は仕留めても構わぬ獲物か?』
ヒジリが物騒な発言をした。聖獣の言葉なので誰も遮れないのをいいことに、コウコがぱしんと尻尾で床を叩く。苛立った猫みたいな仕草なのに、建物が揺れたぞ。
『あたくしの主人を貶めるんですもの。さぞ偉い肉なんでしょうよ』
獣、獲物、肉……呼び方がひどいけど、同情の余地なし。
『僕、人間を味見したい』
スノー、怖い発言をするんじゃありません。そのチビドラゴン姿じゃ迫力はないが、大きなドラゴンで牙を剥いて喋ったら……3日間の飯抜きにするぞ。うちの子達は主人思いだな。ブラウとマロンがいなくて良かった。忠義心が厚いマロンは襲い掛かりそうだし、ブラウは『楽しそうだから』程度の感想でアホな公爵に猫パンチくれる予感しかない。
「落ち着けって。こういうのの処理は、シン兄様……お兄ちゃんにお任せだろ?」
途中で呼び方を変えると、シンの表情がきらきらと輝いた。嬉しそうな顔で「任せろ、お兄ちゃんがきっちり息の根を止めてやる」と暴言を吐く。お前、一応王位継承権一位の王太子殿下だからな? 聖獣が殺すより、人間同士の刑罰の方がいいかと思って選んだ選択肢は――どうやらデスノートに名前書くくらいの即効性があったようだ。
「シンじゃなくて、王太子殿下。断罪は少しお待ちください。新たな罪状の追加がありそうです」
にやりと笑うレイル。向こうに不利な情報を得たらしい。機嫌よく赤いピアスを弄る指先が、オレを指さすように揺れた。結界を張れって? 言われなくても普段から張ってるよ。肩をすくめたオレの結界に、キンと何かがぶつかった。