270.裁判開始、ざまぁしてやんぜ(1)
いつもより遅い時間に起きたオレは欠伸をひとつ。ベッドに座ったオレの髪をじいやが整える。用意された濡れタオルで顔を拭き、着替えた。親より至れり尽くせりなんですけど。
「じいや、そこまでしなくていいよ」
「生い先短い年寄りから、仕事を奪わないでください」
すごく悪いことを言った気がする。そっか、じいやはこの世界に来てから長いんだっけ。外見も老人だし、竜じゃないから寿命を読んでるんだろう。
「わかった」
任せると言った途端、じいやが躾けた女中さんに化粧された。なぜだ? 解せぬ……オレが化粧する必要って何よ。
「今までは子供ゆえ見逃されてきたようですが、皇帝陛下に御目通りする際の作法です」
得意げにじいやが取り出したのは、オレも勉強させられた宮廷作法の本だった。人を殴り殺せるほど分厚い電話帳もどきを、もう読み終えたの? オレ、1週間はかかった。遠い目になる。
そういえば、一番最初に御目通りした時は化粧された。大量の魔力抑制ジュエリーのせいで忘れてた。あっちの方が記憶に残ってる。ちなみに本日のお召し物は、北の王族の民族衣装ではなかった。
子供用だが七五三っぽいスーツだ。色は濃い紫と表現すると近いか? 紺ではない。瞳の色と合わせたんだろうけど。シャツが薄いピンクなのはちょっと……抵抗して無視された。あっという間にボタンが留められる。あれだ、撫でるように上から下に動く手の裏で、あっという間にボタンが閉まっていた。
凄技に感心している間にベストを着せられ、上着を羽織らされる。じいやは完成したオレの正装に、満足そうだった。まあいいや、普段は戦場でオシャレもへったくれもないし。
きちんとした恰好を見せたら、リアムが惚れ直してくれるかも。いそいそと準備したオレが下に降りると、本日の護衛役のジークムンドが立っていた。ごつい体を無理やり押し込んだスーツはぱんぱんで、あれだ。映画であるみたいな、体を大きくそらして深呼吸したらパーンと弾けそう。
「きつい」
「諦めて。今日だけだから」
これでも一番大きなサイズを借りてきたのだ。今後のために作らせると言ったら、全力で拒否された。そういう役目は、ジャック班に譲るらしい。今はまだ東の国にいるが、確かに彼らの方が慣れてそうだ。特にジャックは貴族様だった。
「出ようか」
肉を挟んだパンを平らげたオレが、ぐいっとミルクもどきで喉を潤す。紅茶の葉を切らしたの、忘れてたんだ。魔力が足りてると苦いから、珈琲はパス。魔力が不足しているとポーションみたいに回復機能があって、甘く感じるんだけどね。
「お迎えにあがりました、第二王子殿下」
「皇帝陛下のご好意です、こちらへどうぞ。エミリアス侯爵閣下」
……なぜか玄関で2台の馬車が喧嘩していた。
ぎりっぎりの位置で停まる2台は、どちらも豪華な仕様だった。背伸びして覗いた感じだと、北の国は中が臙脂系だ。逆にシックな紺色で纏めた中央の国……どちらも王族や皇族用だと思う。これだけ魔法が発達した世界で、馬車。あれか、駐日大使が馬車で皇室に向かうのと同じだ。古き良き伝統ってやつ。魔法陣でも持ってくればいいのに。
「両方要らない」
どっちに乗っても角が立つ。ここでどうしても選ぶなら、未来のお嫁さんのリアムの馬車だが。今回シンにお願い事してるから、今は機嫌を損ねたくなかった。にっこりと笑って両方断るのが正解だろう。後ろでじいやが興味深そうに見てるから、失敗は避けたい。
「魔法で飛ぶ。それぞれに帰ってきて」
ショックを受けている御者や騎士を見て、主君に叱られる心配をしてるのかな? と気づいた。これはますます片方の馬車に乗れない。というより、選ばれなかった方の従者が叱り飛ばされるパターンだろ。
「シン兄様と皇帝陛下には、オレが説明するから安心していいよ」
付け加えた言葉に「ありがとうございます」と深々頭を下げられてしまった。逆にこっちが申し訳ない。我が侭な兄と嫁に振り回される彼らを労い、じいやを手招きして腕を掴んだ。
「触ってないと飛べないから」
結界で包んで飛ぶからさほど危険はないが、触れていた方が成功率が高い。オレの付属品扱いが一番安全だった。失えない大切な執事なので、安全確保はオレの役割だろう。頷いたじいやを連れて、ぱっと転移する。
何度も行った作業だから、淡々と手順を踏んだ。もちろんミスって異空間にじいやを忘れる失態はない。完璧だった。目を閉じて開けたら、宮殿前……。
「これが魔法による転移ですか。便利ですな。魔法陣は使用したことがございますが……」
オレは魔法陣なしだからね。一度来て覚えてる場所なら飛べる。だがじいやは、淡々と別の指摘をした。
「本日は裁判所に集まりますので、あちらですぞ」
指さされた方角はちょっと遠かった。だが裁判所は行ったことがないから、転移の対象じゃない。見える場所ならいけるか? オレだけなら無事だと思うけど、じいやを連れて賭けはちょっと。うーんと唸ったオレの足元から、ヒジリがのそっと顔を見せた。
『主殿、乗っていきますか?』
「あ、そうか。聖獣がいた。マロン」
オレはヒジリに乗るとして、成人男性のじいやも乗せたら重量オーバーだ。ならばここは、栗毛の馬一択! 巨大トカゲになるスノーは絵的に無理だし、コウコは皇帝陛下の警護中だ。青猫は論外。
『ちょ、いま……僕をディスらなかった?』
「カンのいい猫は嫌いだよ」
某アニメのセリフを舌打ち付きで改変したら、じいやに「舌打ちは品がありませんぞ」と注意された。ごめんなさい。舌打ちまでセリフとセットだから、これは譲れない。
「ブラウは好きにして」
『ご主人様、僕に乗るんですか?』
目をきらきらさせるマロンは、角が立派な栗毛馬状態で現れた。興奮してるところ悪いが、乗るのはじいやだ。絵的にオレと逆は厳しい。
「今日はじいやを乗せてくれ。マロンだから頼れるんだ」
「……聖獣たらし、ですな」
じいや、余計な事言わない!! キッと睨んで、マロンの機嫌を取る。いつもならゴネそうなのに、今朝は上機嫌だった。
『僕は頼れる聖獣ですから』
「うん、さすがマロンだ」
さらに煽てて、木に登るところまで持ち上げる。得意げに首を反らせたマロンは、文句を言わずにじいやを乗せてくれた。聖獣って基本的に単純だよな。失礼なことを考えながらヒジリに跨った。
「あっちにある裁判所まで」
タクシー感覚で指示すると、ヒジリは場所を知っているらしい。詳細を聞かずに走り出した。横を駆ける青猫、後ろにじいやの乗る裸馬……鞍が見当たらなくてね。次から収納に入れることにした。ちゃんと収納用メモに記載したぞ。
多くの貴族馬車が連なって順番待ちをする群れを通り過ぎて、建物の入り口まで横づけである。馬車が入れる場所はもっと手前だが、間にあるゲートをひとっ飛びされた時は、ひゅんとしたよ。これは男にしか分からない場所だ、うん。じいやが複雑そうな顔をしてたから、頷きあう。
「キヨヒト・リラエル・セイ・エミリアス・ラ・シュタインフェルト様です」
先に降りたじいやが当然のごとく紹介役を買って出てくれた。おかげで自分のフルネームを言わずに済む。近々、また変わるから。最終形態だけ覚えておけば問題ないと思う。
「こちらへどうぞ」
すでにシフェルかウルスラが手配していたのだろう。オペラハウスみたいなステージがある舞台の客席を回り込み、上階にある個室みたいなところに通された。ここ……たぶんオペラハウスじゃないか? 本当に裁判所? 個室には高貴な人も来るようで、カーテンまで用意されていた。
裁判所でカーテン下ろして見物するなんて、被害者や加害者の家族くらいしか思い浮かばないけど。まれに高貴な方がお忍びで来られるのかも。リアムが来たら裁判も大騒ぎになるから、特別な時以外はカーテン越しに見てる可能性はある。
個室の中には、ある意味想定通りの人たちが待っていた。