268.皇帝陛下暗殺未遂?!
後ろ髪を引かれる思いって、こういうのを言うのかな。リアムの部屋から退出しなくてはいけない時間だが、すごく心配で出たくない。コウコが守ってくれてるし、大丈夫のはずだけど。騎士も山盛りに詰めかけてるけど……心配なのだ。
「何かいい通信方法なかったかな」
願うだけで繋がる、便利なワイヤレスイヤホンみたいなの。今度、魔道具の作り方を教わって極めるか。たぶん、チートで何とかなると思う。
じいやに押し出される形で、リアムと別れた。おやすみと挨拶を交わし、今はじいやに抱っこされての帰還途中だ。というのも、オレがリアムの手を離そうとしないため、侍女とじいやに引き剥がされた。そのまま捕まえて移動となったんだが、拗ねたオレはリアムの部屋の扉を見ながら唇を尖らせる。
「キヨヒト様は、よい相手を見つけられましたな」
ほっほっほ……好々爺の笑い方で、じいやは階段を降り始めた。年齢の割に足腰がしっかりしてるよね。さすがに降りる気になって、階段下で背中を叩いてみた。以心伝心、すぐに降ろされる。
見上げたじいやは少し皺のある顔で笑う。
「じいやは誰かいたの?」
「好いた女性はおりましたよ。結ばれませんでした」
深く聞いていいのか、迷う案件だ。レイルの時は好奇心で暴き、ジャックは必要があって聞き出した。マロンなんて無理矢理に近い。日本人は空気読めるなんて気取ってても、こういう距離感がよく分からなかった。
「聞いてほしい?」
直球で尋ねる。首を横に振るじいやを見て「わかった」と返した。歩くオレの斜め後ろに従うじいやは、この世界に来て長い。恋もしたし、惚れた人もいただろう。でも今は独身で、女中さんを鍛えながら田舎に閉じこもってた。それが全ての答えのような気がする。
じいやは異世界で失恋した。心細かったと思う。自分が異世界から来たことで、疎外された気分も味わっただろう。その点でオレは本当に運が良かったな。常識が違うせいで騒動も起こしたけど、誰もオレを見捨てずに側に居てくれたから。
改めて運の良さに感謝しながら、廊下を抜ける途中で足を止める。官舎に向かうオレのいる場所は、宮殿の西側だった。この時間に武官と思われる、ごつい男が数人入っていく姿に違和感を覚える。
見張りの交代なら、彼らは近衛の制服を着ているはずだ。それに、夜の交代はすでに行われた。足を止めかけたオレを、じいやはさり気なく近くの客間へ誘導する。廊下に立っていたらいい目印だ。扉を開けて中に入り、隙間を開けて様子を窺った。
リアムの部屋へ続く階段には、数人の騎士がいる。彼らの対応を見れば、ある程度は状況が掴めるだろう。歩きながら騎士に手を振る男の袖が、きらりと光った。
「じいやはここにいて」
戦うなら周囲は敵だらけの方がいい。昔なら泣いて逃げる状況だけど、ある程度のチートと強さを手に入れると味方を傷つける心配の方が大きいからね。じいやを置いて地を蹴ったオレの隣で、ヒジリが飛び出した。
「散らすよ」
『承知』
ヒジリが一度影に潜った。足元から飛び出す作戦だろう。猛獣が攻撃したら飛び退くはず。空中に収納の出口を作ってナイフを引き出した。予備をベルトに差してから、鞘を残して1本手にする。剣と呼ぶ長いタイプは身長が低いと振り回すロスの方が大きかった。
「動くなっ!」
騎士に向けて手を伸ばした男の後ろから、首筋に刃を突きつける。びくりと揺れて動きを止めた男の仲間が、腰に手を回した。上着で武器を隠していたらしい。
「ヒジリ、ブラウ」
がうう……唸り声を上げたヒジリが、一番後ろにいた男の足を噛んで引き摺り込んだ。あの闇の中は生き物が入れないって……ああ、うん。まあ事故ってことで片付けよう。死体が出ないと殺人事件にならないって、前世で聞いたし。
『猫づかいが荒いんだからぁ』
文句を言いながら青猫が目の前の男に飛びかかった。爪で上着を裂くと、ナイフと銃が落ちる。ブラウは蹴飛ばして影の中に取り込んだ。これでほぼ丸腰だ。ぶわっと元の巨猫に戻ったブラウがにたりと笑った。
「やばい、奴は殺る気だ!」
これ使ってみたかったんだよね。止める気ないけど。何のアニメだったかな。もう覚えてないや。
我に返った騎士が、大急ぎで目の前の男の身体検査をした。袖からナイフ、足に小型拳銃、上着の陰にも拳銃で……最後に爆薬セットまで出てくる。どうやってここまで辿り着いた? 絶対に仲間がいるよな、それも顔の利く貴族だ。
「エミリアス侯爵閣下、助かりました」
「挨拶いいから拘束して。たぶんリアム……じゃなかった、皇帝陛下の暗殺が目的だよ」
そう思った理由は時間と連中の装備だ。宮殿に忍び込むにしては時間が遅い。貴族も巻き込むならもっと早い時間じゃないと、彼らも屋敷に帰っちゃうからね。それに装備がわりとシンプルなんだ。これは大勢を相手取って戦うのではなく、リアムを殺したらすぐ離脱する予定だから。
そう考えると、このナイフが滑って首切っちゃってもいいかな? と思う。だってオレの大切なお嫁さんを殺そうとしたわけで、それってオレを狙うより罪深くね? ぐっと腕に力を込めたとき、手首を掴まれた。
「キヨヒト様、このような輩を処分しても手が汚れるだけです」
じいやだった。何、そのカッコいい登場。しかも掴まれた手首が動かない。そっと引き剥がされて、肩から力を抜いた。だが自由になった男は反撃を試みる。筋肉が盛り上がる腕で殴りかかった男を、じいやは笑顔のまま地面に投げ飛ばした。
「え? いま……何した?」
「ほっほっほ、旅館の主人の嗜みですぞ」
え? それ、どんな旅館だよ。こええよ、やたら強い主人がいる旅館……よく反社団体が来てたのか? 引き攣ったオレの顔に、じいやは肩を竦める。
「合気道、とか?」
「残念ですな、柔道です」
「あ、そっち」
ちなみに柔道も合気道も、この世界にない単語だった。すでに聞いてみたから間違いない。なのにマーシャルアーツとか通じて、ちょっと遠い目をした記憶がある。オレとじいやの会話が暗号に聞こえたのだろう。騎士は怪訝そうな目を向けてきた。
「皇帝陛下の警護! 急いで」
言いながら自ら先陣を切る。一気に階段を駆け登るオレの視界に、別の男達が映った。勢いを殺さずに走り、後ろから首に腕を回して引き倒す。これ、運動神経悪いと自爆技になる。飛び退ったオレの足元から、ヒジリご登場。黒豹は唸ると手近な奴に噛みついた。
「あ、名誉の噛み傷」?
聖獣に噛み付かれるなんて名誉じゃないか。そう呟いたら、ぼきっと嫌な音がしてヒジリの咥えた男が動かなくなった。
『死ねば名誉も関係あるまい』
「ちょっ! 何殺しちゃってるの。黒幕探しするから最低でも1人は残して」
しっかり言い聞かせるオレの頭目掛けて、ナイフの刃が向けられる。ここで銃を使われたら結界による跳弾の心配があったけど、室内で狭いせいか使われなかった。ほっとしながらナイフの刃を蹴飛ばす。
跳ねたナイフをじいやが事もなげに受け止めた。さりげなく渋い動きでフォローしてくれてる。倒した男を踏みつけにして、見回すと騎士も長剣を振り回せずに苦戦していた。
これは今後の課題だな。見た目はいいけど、短剣や拳銃を持たせた方が良さそうだ。重装備になるが、敵を倒すのがお仕事なので我慢してもらおう。
「セイっ」
「リアム、そっちは無事?」
「大丈夫だ、いま開けるから」
「ダメ。コウコが許可するまでベッドの上で待ってて」
オレとコウコは契約してるし、他の聖獣経由で状況も掴めるだろう。まずリアムの安全確保だった。この扉は重いけど、その分衝撃にも強い。蹴破ろうとしても、時間がかかるはずだった。予備のナイフを掴んで引き抜き、オレは苦戦する騎士を襲う敵に突き立てる。
「ここから先は通さない」
オレにしてはカッコつけて、扉を背に守りながら敵に向き合った。




