15.訓練は、三途の川原でした(4)
確か、サシャは剣術の担当だった。戦場では銃を使ってたが……さて、どっちで来る?
この時点でオレは大切なことを忘れていた。そう、残りはサシャ1人じゃない。
「…っ」
肌が粟立つ感覚に、茂みの陰から飛び出す。外から見えるとか気にする余裕はなく、振り返らずに全力で逃げた。
さきほど蹲っていた場所に深々とナイフが刺さっている。もし避け損ねたら、完全に死亡コースじゃねえか!
汗が額を伝う。
肌が粟立つ感覚はもしかして、殺気を感じた時のものか? だとしたら、本気で殺しにきてる。
平和な日本人だった頃に一度も感じた経験がない感覚は、毛穴が一斉に開いて汗が噴き出すような、全身の毛が逆立つ恐怖があった。動物が驚いたり威嚇する時に毛を逆立てるイメージが近いかも。
芝の上に飛び出してしまった為、とりあえず全力で走り抜けて建物の壁に背を預けた。上下左右と視線を走らせるが、どこから狙われたのかわからない。
ぐぅ……。このタイミングで鳴る腹の虫に感心してしまう。腹は減ったけど、死ぬかも知れない状況で、空腹を知らされてもねぇ。
右手で腹部を押さえるが、よく見たら血に濡れている。
「え?」
誰かの返り血を浴びた記憶はない。ということは、オレがケガしてるのか?
建物の脇に立つ木の下に膝をついて、両手両足を確かめた。特に痛みは感じていないが……さっきのナイフだろうか。刃物が掠めた切り傷が右腕に残っている。
まだ血が滲んでいる傷は、さほど深くないようだった。おかしいな……違和感が広がる。
なぜ、痛みを感じない?
緊張してたり、他の物に興味が向いていると気づかないこともあるだろう。子供が遊んでいる時は痛みを感じないのに、血をみたら痛くなる原理と同じだ。だが、こうして血や傷を確かめたのに痛くない。
奇妙な傷に眉を顰める。すごく、嫌な予感がした。前に殴られた時や擦りむいた傷には痛みを感じていたのに。
くらっと目眩がして、片膝をついた姿勢が崩れる。とっさに手をついて身体が倒れないように支え、目元を押さえた。その手にひどい汗がつく。
びしょびしょになる大量の汗に、舌打ちした。
「まさかの、毒…?」
毒の授業なんてあったっけ? くらくらする身体を支えきれず、木の根本に転がる。平らな地面の上にいるのに、世界がぐるぐる回った。
吐き気がする。
「よし、仕留めたぞ」
レイルの冷めた声に、うっすら目を開く。喉が乾いて声が出ない。まだ世界が回る感覚が辛くて、すぐに目を閉じた。
冷たい手が額に触れ、今度こそ目を開いた。潤んだ視界で苦笑いするレイルが「悪かった」と呟く。
そのまま抱き起こして錠剤を口に放り込まれた。口の中が乾いていて、ぺたりと舌の上に張り付く。苦い味に顔を顰めるオレに水のコップが宛がわれた。
「ん……」
必死に冷たい水を飲む。ぺたりと張り付いた喉の奥が開いていく感覚が気持ちよかった。
これ、結構高い熱が出てるな。
水もレイルの手もやたら冷たい。オレが発熱している所為だろう。すり寄る仕草を見せると、背中を支えるレイルの手が動いて抱き上げられた。
そのまま立ち上がったレイルの腕の中で、もぞもぞ動いて向きを直す。ついでに腰のベルトに触れて、1本引き抜いた。
「レイルさん、やりすぎです」
「悪い、実戦用のナイフを使っちまった」
シフェルとの会話に気を取られたレイルの首裏に左手を伸ばし、彼の背に回した右手のナイフを放り投げた。陰で行った作業に誰も気付いていない。
左手の指に掠めたが、何とか落とさずに受け止める。
「どうした……、っ!?」
変な動きにこちらへ意識を向けた時は、すでに決着が付いていた。左手のナイフの刃を、レイルの喉に当てる。
ごくりと唾を飲む動きで、薄皮一枚切れたらしい。鉄錆た血の臭いがした。青ざめた顔で口元を歪めて笑みを作る。ここで弱みを見せたくなかった。
訓練なのに毒を使うほど、レイルを本気にさせたってコトだよな?
「……オレの、勝ち」
「はいはい。ったく、大したガキだ」
まだ戦う気なのかよ。そんなレイルの呆れ顔に、ぎこちなく笑う。ここで意識を失うわけにいかないし、具合の悪さを素直に教える気もなかった。
震える手で構えるナイフは、あっさりシフェルに取られてしまった。正直、ほとんど力が入らない。左手で受け止めた時、落とさなかったのが不思議なくらいだ。
「今朝はここまでにしましょう」
シフェルの宣言をもって、朝の訓練ーーと呼ぶには物騒すぎる実戦ーーは、ようやくお開きとなった。