255.ここは天国か
目が覚めたら……この出だしはいい加減飽きた。というのも、あちこちで気を失ったり倒れてきたからな。天井が違うぐらいじゃ驚かない。
そう、天井なら……ね。
「リア?」
「目が覚めたか、よかった」
微笑む恋人の顔、黒髪が縁取る象牙色の肌はほんのり赤く紅が差して、すごく可愛い。いや、いつも可愛いがさらに可愛い。ふわふわする頭では語彙は行方不明で、可愛いが連呼しながら踊りまくっていた。
都合のいい夢かと思いながら目を閉じ、もう一度開けてみた。やっぱり見下ろすリアの顔、ってことはこの柔らかな感触は膝枕か! 気づいた瞬間、クワッと目を見開いて堪能する。
いい香りがする。石鹸、プレゼントしたやつ使ってくれたのかな。ひっくり返ってぐりぐりと顔を太腿に埋めたいが、絶対他の連中がいるはず。
用心深く周囲を探っていると、リアムがオレの金髪をさらさらと指で弄った。何それ、刺激が強すぎて勃ちあがりそうなんだが? オレのオレ様が、我が侭を主張しそうだ。変態と罵られたくなくて、ぐっと我慢して欲望を抑え込んだ。
「みんな、どうしたの」
「聖獣殿は昼寝をするそうだ。隣の部屋を用意してもらった。侍女やクリスティーンは廊下に控えているし、レイル殿は黒い聖獣殿が咥えて運んでいった」
つまり、この部屋はオレ達だけ? 少しだけ首を持ち上げて周囲に誰もいないのを確認して、気配もしっかり探ったあとでごろんと転がった。
「っ、セイ?」
「うん。リアムだ、本物だ」
太腿に顔を埋めて彼女の細い腰に手を回す。誰もいない貸切だから、彼女は可愛い花柄の部屋着だった。それが嬉しい。キュロット風でスカートにも見えるパンツに包まれた太腿は柔らかくて、手を回した腰は引き締まっていた。石鹸の香りが心地よい。
「これ、オレのお土産?」
「石鹸か、そうだ」
「もっと柔らかく、リアで話してよ」
「う、うん。そう。キヨがくれた石鹸、すごくいい香りがするね」
じわっと涙が出てしまった。隠す間もなく、リアムのズボンに吸われてしまう。カッコ悪いなぁ、オレ。でもリアムが女性として過ごしたのなんて、オレが知るのは寝室に泊めてもらった日くらいだ。こうして彼女が彼女でいられる時間を作るために、ちょっと遠回りし過ぎた。
そんなリアムを狙う奴がいるんだよ。宮廷って本当に伏魔殿だと思う。だから掃除して、退治して、綺麗にして、リアムが安心してドレスを着られるようにする。それがオレに出来る精一杯のこと。こんなに可愛くて素敵な子をお嫁さんに貰うんだから、苦労なんて買ってでもするべきだ。
「セイ……」
「うん、ごめん。今だけ」
まずい、しんみりしてしまった。ここから巻き返す手法なんて、元引き篭もりにはないんだが。動けなくなったオレだが、予想外の乱入者があった。
『ご主人様! 元気になった?』
『やだ、人に言えない部位が元気じゃない?』
マロンはともかく、ブラウは蹴飛ばして遠ざけた。その勢いで起き上がり、そっとリアムの肩を抱き寄せる。オレにしたら最上級の対応だ。これ以上を求められても無理だからな。
騒ぎを聞きつけた廊下のクリスティーンが顔を見せた。何か言いたげだが、そこは飲み込んでおいてくれ。目を逸らしたオレに苦笑する雰囲気が伝わる。
「お食事を手配させましょう」
「あ、うん、頼む」
侍女が微笑んで立ち上がり、廊下を歩いて行った。あれこれ機密が多い部屋だから、入り口を守るのは重要な仕事なんだろう。侍女も騎士も大変だ。オレみたいないい加減な奴には無理だな。
「キヨ、いろんな話を聞かせて欲しい。聖獣様が増えたお話もだ」
「わかったよ、土産話はたくさんある」
セイと呼ばないよう注意するリアムの黒髪を撫でて、ふと気付いた。今は皇帝陛下としてじゃない。ただの少女で、オレの恋人という触れ込みのリアだ。
「クリス、みんなで食事をしよう! 全員で!!」
侍女も騎士も関係なく、隣国の王子だったレイルも含めて、聖獣も一緒に。皇帝陛下でも、ドラゴン殺しの英雄でもなくて、ただの友人同士として。
驚いた顔をしたものの、クリスティーンは反対しなかった。ここにシフェルがいたら、絶対に拒んだと思う。あいつはそれでいい。オレ達が間違った時、意見できる立場でいて欲しかった。でも今は間違ってても、止めないクリスティーンが嬉しい。
「構わないでしょう」
「やった!!」
「本当か」
興奮したリアと両手を上げてハイタッチして、笑いながら手を伸ばす。両手を繋いで輪を作って振り回しながら踊った。こんな経験もないみたいで、リアムは少し戸惑いながらくるくる回る。目眩がして酔う手前まで回って、ぺたんと座った。
「今のは楽しいな!」
「だろ? これからは何でも経験した方がいいぞ。オレが付き合うからさ」
「……うん」
はにかんだ彼女の笑みに、オレは調子に乗って騒ぎ続け、レイルに頭を叩かれた。くそっ、大目に見てもいいじゃねえか。リアムも笑ってくれてるんだから。
運ばれた料理は意外だった。日本料理風なのはいいとして、刺身がある。え? 二度見して皿を持ち上げて観察し、匂いを嗅いで確かめた。
「セ……キヨ、これは食べても平気なのか」
「うん。刺身だな。この世界にもあったんだ」
驚いた。そんな口調で料理名を口にすると、クリスティーンが目を見開く。公爵夫人でもある彼女は、「刺身」という単語を聞いたことがあるらしい。
「サシミという料理があると、他国の使者に聞いたことがある。生だったのか」
「うん。生魚で醤油をつけて食べるんだよ。好みで、このワサビを添えたり……あ、緑のは辛いから気をつけろ。最初は少なめが基本……」
注意したのに、後ろでヒジリが転げ回っていた。
『ぐおぉおおお! 主殿ぉ!!』
「はいはい。お約束すぎるんだよ」
文句を言いながらも、ヒジリに治癒を施す。自分自身じゃなけりゃ使えるんだよな。オレは不便だが、何かあれば周囲を助けられる意味で便利だ。道具ってのは一長一短、それと同じか。
ワサビの塊を舐めて苦しんだヒジリを見て、全員の顔が引き攣っていた。平然としているのはブラウだ。あいつ、悪食なのか? ヒジリが落としたワサビを舐めた後、あちこちの皿からワサビだけ失敬してるぞ。食べ終えて満足そうに毛繕いする姿は、激辛に対応した余裕が感じられた。平気ならいいけどな。
「ワサビの追加もらってくれる?」
慌てて宿の主人にワサビを追加した侍女は、覚悟を決めた顔で、刺身に手を伸ばした。ごくりと生唾を飲む姿から、毒見役をする覚悟らしい。
「見てて、こうやって黒い醤油にワサビを溶かす」
『主、それ邪道』
「うっさいわ! オレはこうやって食べるんだ」
テレビでお上品な奥様が食べてた時は、確かに刺身の上にワサビを乗せて、少し醤油に触れる程度で食べてた。だがオレはそれじゃ満足できない。辛いワサビをしっかり醤油に溶かし、色が変色するまで多めに投入。そこにべったり刺身をつけて、白米の上に置いて醤油を半分に減らす。そして醤油が染みたご飯ごと、刺身をぱくりが正道だ!! 邪道じゃないぞ!
うまっ! 白身魚のくせに、味がマグロじゃねえか! めちゃくちゃ美味しい。新鮮ですなぁ……。ご機嫌で纏めて3枚を醤油漬けにしてかきこむ。その姿にどうやら安全な食べ物と判断した侍女が、同じようにして口に運んで咽せた。吐き出しそうになって手で押さえるが、どうやらワサビ初体験者には無理みたいだ。
「ワサビは嗜好品だ。紅茶の砂糖ぐらいの感覚で、好き嫌いでつけなくていいからな」
説明を付け足すと、安心した様子でクリスティーンは醤油だけにした。オレの食べ方とクリスティーンの様子を交互に見て、リアムはオレの皿の濁った醤油を使う。ワサビたっぷりだから気をつけろよ。




