251.唐揚げしたら手も素揚げ
「リアム、何か変な噂聞いた?」
「どうしてだ?」
何もなかったように微笑むあたり、さすがは皇帝陛下だ。オレじゃこうもスムーズにバックレられない。褒めている場合じゃないんだが、完璧すぎる笑顔に違和感を感じた。
これ、玉座に座ってるときに見せる顔だよね。オレが知ってるリアムの笑顔じゃない。誤魔化そうとしてるなら、騙される方がいい? それとも問い詰めるのが正解?
リア充ならどうするんだろ。オレはリアム獣だからなぁ……似て非なる生き物なもんで、気が利かないんだ。だから口に出ちゃう、ごめんね。
「隠すんだね」
強ばったリアムの顔に、失敗したと思った。黒髪の美人が目を伏せて、泣き出しそうになる。慰めたい。でも隠されるのは嫌だ。結局動けなくて、こういうとき引きこもりのコミュ障が表に出ちゃう。情けないと思いながら、揚げ物を始めた。
ぱちぱち響く油の音に意識を集中する。じゃないと、また余計なことを口にしそうだった。リアムが右肩に頬を押し当てるようにしたため、オレの心臓が軽く3秒は止まる。動け、動け、動け……よしっ。意識して心臓動かしたの、初めてかも知れない。
驚かなかったフリで振り返ると、リアムは腕も絡めてきた。私室の時と違い、布を巻いて隠した胸は硬い。それがすごく悔しくて、悲しくて、泣き喚きたくなった。当事者のリアムが我慢してるのに、オレが我慢できないなんてカッコ悪い。目を見開いて涙を誤魔化す。
「コッコ伯爵が……セイは東か南の王族に夢中になって、帰りたくないと言ってる、と。それと結婚して血を残すのが皇族の務めだと言って……っ」
思わず振り返り様、リアムの顔を覗き込んだ。血を残す云々は、もしかして知ってるのか? 女だってバレて、子を産めという意味?
「バレたの?!」
「わから、ない。ウルスラが調べてくれてる」
驚きすぎて声が裏返るリアムの様子に、護衛のクリスティーンが口を挟んだ。ついでに物理的に顔の間に手も入れられた。
「キヨ、近すぎるわ」
謝って一度距離を置く。でもすぐにリアムは手を繋いできた。右手を繋いでしまったので、左手を油の中に……あ!
「あちぃッ!!」
やってしまった。くそ……ヒジリが居ないってのに。オレは他人の治癒はできても、自分のケガはヒジリがいないと治療できないんだよ。
右手は結界で保護していたが、左手は何もしてなかった。忘れて唐揚げの油に手を入れたため、火膨れが出来る。空を滑空したスノーが慌てて左手を凍らせた。
『主様! えいっ』
見事な氷、おかげで痛みは軽減された。
「ありがと、スノー。マロンは悪いけどヒジリ達を呼んできて」
戻らない黒豹と赤龍の迎えを頼む。わたわたしながらマロンが馬姿になり、全力で空を駆けて上がった。声をかける間もなく消える。
「……なあ、影に入ったらすぐだよな?」
オレの認識が間違ってる? 首を傾げると、氷漬けの左手の上に立ったスノーもキョトンとしていた。
『慌て過ぎたんでしょう、すぐ気付きます』
あまり気にしないみたい。まあ空を駆けてったから、距離は短いと思うけど。
振り返って、なぜか軍服じゃないクリスティーンに今さら気づいた。氷漬けの手で指さそうとして、重さに諦める。スノー、氷でかすぎ。まあ火傷って冷やして乾かさなければ、痛みはある程度我慢できる。
「あのさ、クリスは公務? 私用?」
「公務だが、お忍びの付き添いだ」
尋ねたオレの意図に合う答えが返ってきた。つまり、中央の宮殿は現在危険なのだ。性別がバレたかどうかは別として、リアムを襲おうとする連中がいるってこと。しかもそれなりに地位のある連中だろう。
地位が低ければ、ウルスラが宰相の権限で片付けられる。その範疇からはみ出す奴らが、リアムの子供を自分の孫にしようとしてるんだ。ラノベでよく読んだ展開、そのものじゃん。
うわぁ……顔を顰めたことで、クリスティーンが苦笑いした。リアムも事情を察していたようで、小声で呟いた。
「最近、服が盗まれた」
ん……まさか下着? それとも夜着? どっちにしてもリアムの素肌に触れた布だろ! 匂いを嗅ぐのか、それとも頬擦りするのか。オレだってどっちも我慢してるってのに……許さんぞ。
「許せないな」
漏れたのはオレの長い本音の最後の単語のみ。ゆえに、誰もオレのダダ漏れの怒りの真相を知らない。リアムに知られたら恥ずか死ぬから、これは永遠に秘密で構わない。
「服を盗んで何かわかるの?」
「「さあ?」」
リアムもクリスティーンも首を傾げる。どうやらこの辺はよくわからないみたい。ただ魔術師に相談するわけにもいかず、最終的にリアムを逃すという物理に訴えたようだ。
「皇帝が宮殿にいない理由を何にしたの?」
「休暇」
「療養」
似て非なる答えが彼女達の口から飛び出す。おそらく、ウルスラが考えた建前は療養だ。領土が増えたことで書類の処理が続いた皇帝陛下に、空気の良い場所で療養していただく――外聞もいい。リアムは休暇と認識したわけか。
「事情はだいぶ掴めた。オレと一緒に宮殿に帰る? それとも寄り道しながらゆっくり?」
どこかに温泉とかあれば、のんびりしたいよね。リアムの答えはわかってる。宮殿は男装しないと歩けない上、どこで誰が聞き耳立ててるか。常に緊迫して、気を張った状態を強いられるんだ。
「少しだけ、寄り道したい」
「うん。オレもそう提案しようと思った」
微笑むと、頬を赤くしたリアムが距離を詰めてくる。これはいい感じじゃないか? もしかしたらキスのチャンス……。
『主殿っ! ケガをした、と……すまぬ』
足元から飛び出した瞬間、押されたオレはリアムの唇を奪っていた。初めてのチューが、まさかの聖獣による事故――ロマンチックな思い出が台無しだよっ!!
驚きすぎて、互いにすぐ離れた。温もりを感じる暇すらなかったが、柔らかかったな。にやりと顔を崩しながら、唇を指先で覆う。どうやっても顔が元に戻らない。真っ赤になったリアムは顔だけじゃなく、耳や首筋も染まっていた。
「事故か、故意か」
唸るクリスティーンだが、これがシフェルだったらもう撃たれてたと思う。
「恋です」
きっぱり言い切った。ただの恋愛なのでお構いなく! オレは聖獣様のご主人様なので、皇帝陛下より偉いはずですよ。こんな時だけ、身分制度を振り翳してみる。そうさ、人間なんて欲に弱い生き物だ。
「クリスは何も見ていない、いいね」
先にリアムが動いた。まさかの口止めである。クリスティーンは苦笑いして、肩をすくめた。
「仕事中でしたが、欠伸をしてしまいました。何かございましたか?」
見てないよと示す護衛騎士に、リアムは平然と切り返した。
「次から注意するように」
「かしこまりました」
これで事件は終わりらしい。宮殿方式は面倒くさいが、外で見てる分にはコントみたいで面白かった。見ぬフリの傭兵の顔がにやけてるので、オレは後でしっかり弄られるんだろう。
「ひとまず、リアムは着替えよう。皇帝陛下だとバレないように『女装』ね……いてぇッ」
彼女に似合うと思って買い込んだ服が役に立つ。そう思ったところに、話が終わったと感じた黒豹が動いた。ぼりぼりと音がする左手は、手首の下をすべて咀嚼されている。
『主殿、綺麗に治ったぞ』
「ありがとう……っていうべきなんだろうな、オレ」
治せない自分の傷を消してくれたのは感謝する。綺麗に治すには、大きく噛み砕くのが早いのもわかる。でもオレの痛みは誰も気遣ってくれない。滲んだ涙をシャツの肩で拭い、オレはリアムのために新しいテントを引っ張り出した。
よし! 女装だ! 化粧品の土産も渡せるし、大量に買い込んだ可愛い服も着てもらえる。靴は今履いてるやつで我慢してもらって、どこかから調達しよう。可愛いだろうな。
侍女代わりに着替えを手伝うクリスティーンが入っていった後、テントの周囲に電気バリアを張り巡らせた。これで誰も覗きすら出来まい。