15.訓練は、三途の川原でした(1)
翌朝、夜明け前にたたき起こされた。眠い目を擦りながら着替え、連れ出されたのは裏庭に広がる草一つない広場だ。茶色い土がむき出しで、昨日見た庭のような芝生はない。
「シフェル、ねむ…」
「寝ていると死にますよ」
物騒な言葉の直後、背筋がぞくっとする。咄嗟にとび退ると、足元にナイフが刺さっていた。一気に目が覚める。
「あっぶね……っ!」
「陛下に訓練を任されたのですから、本気で頑張っていただきます」
年下相手に丁重な言葉遣いだが、明らかに今のナイフは殺しに来てたよな? 避けなかったら重傷コースだった気がする。深々と刺さったナイフの刃がきらりと光り、顔が引きつった。
寝起きの人間にいきなりナイフが飛んでくるって、どうよ。訓練前に死ぬわ!!
「いやいや、今の殺しに来てたよな?」
「何を馬鹿なことを」
呆れたと顔を顰めるシフェルは、鮮やかな緑の目を眇めた。
「殺される恐怖がなければ、技術が身につかないでしょう」
うん……コイツ、頭おかしい。オレが知る軍隊は死なないように技術を覚えるんであって、死にそうな恐怖に震えながら生き残るサバイバル系じゃない。
普通は生き残る為に技術を覚えるのに、覚える前に死ぬ予感しかしない。
「本当に死んだらどうするんだ!」
「その程度の能力なら邪魔なので、さっさと死んでください」
「なっ……」
さすがに次の句が継げない。頭が回る奴なんだろう、それで強い。顔もいい、クリスみたいな美人の嫁がいる――絶対に殺す!
睨み付ける先で、シフェルが飄々と説明を始めた。彼が手招きすると、見慣れた連中が歩いてくる。傭兵だからなのか、ジャック達は制服を身に着けていなかった。各々好き勝手な格好をしている。
「銃をジャックとノア、爆弾の扱いをヴィリ、格闘戦はクリス、狙撃はライアン、剣術がサシャ、私は戦術講義を担当します。あと情報戦やナイフをレイルに頼みましょうか」
相手の肩書きに関係なく“さん”付けのシフェルだが、職務中は敬称略らしい。ほぼ知り合いばかりだが、途中で知らない名前が出てきた。小首を傾げる。
「ヴィリって、誰?」
「僕ですよ」
ジャックの後ろから顔を覗かせたのは、驚くほど黒い少年だった。真っ黒の肌、黒い目、黒髪、アフリカ系が近いが、分厚い唇に愛嬌がある。美形かどうか判断できないが、大きな目はチャームポイントかも。
「よろしく」
さっと手を出して握手を求めると、こちらの世界でも同じ習慣があるようで、彼は一瞬目を見開いたあと握り返してくれた。にこにこ笑っている姿は、どうやら気に入ってもらえたらしい。
「よく知っていましたね」
何かを褒められたが、シフェルの言う“知っている”がわからず無言で見上げる。口より目が物を言うらしいオレの疑問に、笑いながらジャックが答えをくれた。
「ヴィリは東の国出身だから、“握手”って習慣があるけど、この国にはないからさ」
「ああ、なるほど」
もしかして、東の国の習慣は日本に近いのか。でもアフリカ系の外見……うーん、わからん。オレの知る常識ならアフリカ系は南の国が該当しそうなんだけど。
南=暑くて日焼けする地域。そんな単純な発想は通用しないらしい。
「魔力の制御は誰が教える? 魔法関連や常識も指導が必要だろう」
ノアが指摘すると、シフェルは分かりやすく渋面になった。不満たらたらの態度で、嫌そうに振り返り……溜め息を吐かれる。
なに、そこまで嫌な奴?
「歴史や文化も含め、陛下が担当されると」
「「「「陛下が!?」」」」
驚いた周囲の声をよそに、オレは安心して頬を緩めた。
「なんだ、脅かすなよ。リアムなら安心じゃん」
「「「「え!?」」」」
ジャック達の驚き具合に、正直ドン引きだ。最高権力者が教師役は珍しいだろうが、リアムとオレは仲良しだぞ。しかも彼は暇らしいし。なぜそこまで驚く。まあ、一番失礼なのはシフェルの渋面か。
「愛称、か?」
「たぶん」
「あの陛下が…」
ひそひそ顔を突き合わせて話している彼らには悪いが、何も不安がない。気心が知れた友人――しかも眼福美人――が指導役ならば頑張れるぞ。
「っ!」
嫌な感覚を信じて左側へ逃げれば、足元に銃弾が撃ち込まれた。避けなかったら足の甲に穴が開くところだ。
銃声の直後、ジャックとノアは己の銃を抜いて構え、サシャやライアンも身を伏せた。ヴィリも手を腰に当てて姿勢を低く構えている。
「いつまで遊んでるんだ。忙しい中来てやったんだぞ」
文句を言いながら銃をしまうレイルが顔を見せた。呼ばれて顔を見せれば、訓練もせず世間話を繰り広げる連中に腹が立ったようだ。短い赤毛をかき乱した手を伸ばし、オレの髪を摘んで眉を顰めた。
「ふーん、かなり魔力を使ったな。バズーカ砲の次は大砲か?」
「情報担当なら、もう知ってるんだろ」
髪を引っ張る手を跳ね除けて、べっと舌を出して切り返す。くつくつ喉を鳴らすように笑ったレイルへ、シフェルが苦言を呈する。
「レイルさん、遅刻です」
え? そこ? 銃弾を撃ったことはいいんだ? 戦時中だから油断する奴が悪い、勝手に死ねって感じだろうか。本気で学ばないと死ぬな、これは。
老衰まで生き延びる決心を新たに、拳を握り締めた。
「ナイフも情報も実戦で覚えるしかないが、順番はもう決まったか?」
レイルが淡々と話を先に進める。議事進行役としては、真面目すぎるシフェルより向いてるかもしれない。自分勝手な奴みたいだけど、仕事に関しては信用できそうだった。
「短期集中、総がかりで行きます」
……は?
「あの、オレが死ぬ予感しかないけど」
「死んだら終わりです」
物騒な一言で切り捨てられた。
いや、ちょっと待て。異世界人は大切にしてくれるんじゃなかったっけ? 国の予算が付く、竜の純血とやらだろ! 珍しい異世界の知識がどうとか……え? マジで?
見回した先で、全員が視線を逸らす。シフェルに反論できない弱みでも握られてるのか、彼らは誰一人庇ってくれなかった。レイルだけは視線を合わせてくれるが、親指を立てて「頑張れ」と意味不明の激励を送られる。
「マジ、で?」
「はい。あ、私は戦術講義ですが戦闘訓練も協力して差し上げます」
満面の笑みのシフェルは、今までの仕返しする気なのか。初対面で投げたナイフの傷か? クリスの胸揉み、バズーカ砲事件、拝謁時のあれこれ……うん、心当たりしかない。
かつての己の言動を反省しようにも、後悔していない自分がいて。謝罪なんか今更通じないだろうし。
ここは、三十六計逃げるになんたら!
オレは背を向けると全力で走って逃げた。