209.思ったより重い計画
ひとつ欠伸をして横になった。浄化魔法を掛ければ歯磨きや風呂がいらないのは便利だけど、日本人としては風呂に浸かりたい。疲れが取れる気がするし。特に嫌な話を聞いた今夜は、ゆっくり温泉でも浸かって熟睡したかった。
「重いなぁ」
聞いた話が頭から溢れて耳を伝って流れ出る気がした。マジか……そう叫んだオレに、レイルは頷いた。情報に関しては嘘は言わない。信頼できる情報源である赤毛の男は、とんでもない作戦を持ち込んだ。
――東の国クーデター作戦。南の国は長年の王侯貴族による横暴に民が耐えかねて決起した。その話を聞いた東の貴族や民が、王族の首をすげ替える計画を立てている。恐ろしいことに、オレが聖獣の主人であることが影響していた。
聖獣がいれば、王族の入れ替えが可能だ。その話を宰相家のご老人が知っていた。現宰相の息子も含め、さまざまな貴族からの相談を受けた老人は決意する。己の手でこの国の悪を裁こうと。それにより己が断罪されようと、すべての罪を背負って死ぬ覚悟を決めた。
「穏やかな老後を捨ててまで、か」
ひ孫は2歳。じいじと呼んでくれるようになり、孫娘とその婿は老体を労ってくれる。幸せな生活の裏で、東の臣民が味わう苦痛に目を瞑った。許されないと知りつつ、このまま死ぬ気だった。 残された僅かな余生を諦め、彼は反逆の決意を固める。その話を持ち込んだのがレイルだった。
嗅ぎつけた部下の報告に裏付けをとり、確証を得たからオレに話したのだろう。
「それが貴族の義務、ってやつさ」
同じテントのジャックが事もなげに呟く。その口調に苦い感情が滲んでいた。ずっと気になってたけど、ジャックって……どこかの貴族だろう。長男じゃないとしても、本来は孤児上がりの傭兵に混じる生まれじゃない。
「そう思うのは、ジャックが貴族だったから?」
するりと尋ねた。できるだけ重く深刻に聞こえないよう、独り言として流せるくらい小声で。
「なんだ、気付いてたのか」
「かなり前に、そうかな? と思った」
初対面のはずのシフェルと対等に口を聞いたあたりで「おやおや?」と疑問を持ったんだけど。やっぱり正しかった。こういうのって、当たっても嬉しくない。ジャックは隠してたんだ。
「ジャックならどう? 王族に明らかな不正があって、自分が臣下でさ。今の貴族の生活をすてて反逆できる?」
聖獣の主人であるオレが協力を断ったら、新しい王族は聖獣と契約を結べない。国として成り立つために、この世界で聖獣との契約は必須だった。今は南の国の王族代行として聖獣がいるからバランスが保たれるが、中央に戻るオレに従ってマロンが国を捨てれば……南の国は消滅する。
新しい王族がいずれ選ばれるまで、南の国という国家は存在できなくなるのだ。不思議なルールだけど、カミサマが決めたんなら従う。覆す権利も能力もオレに与えられるわけないし。
「俺も祖父さんと同じ道を選ぶだろう」
「ん?」
奇妙な表現じゃないか? 爺さんじゃなくて、祖父さん……血族か! 嘘、それじゃ東国の宰相、侯爵家じゃん。
寝転んだベッドから飛び起きると、苦笑いしたジャックも身を起こした。指先で外を示すので、後をついてテントを抜け出す。見張りをしてた連中が興味を示すが、ひらひらと手を振って無視するよう示した。
ついてきた聖獣はヒジリのみ。ブラウは影の中で、コウコとスノーは寝ている。マロンに至っては、外を走りに出かけていた。
大木の根本に腰掛ける。同じように大木に背を預けて立つジャックの顔は見えない。話が聞こえない距離で、護衛のベルナルドが銃を腰に陣取った。そういや、同じテントだっけ。今更ながらに、他の人がいる場所で話す内容じゃなかったと反省する。
「悪い、気遣えなくて」
「子供が気にするとこじゃねえ」
あっさり許してくれるが、ノアやライアン、サシャが動かないのは知ってるから? 聞いてもいいか分からないので、ジャックが話すまで待つことにした。少し風が冷たいな。足元にライオン寝したヒジリを手招いて抱き締めた。
「寒いか?」
きっかけを探してたのかも。そう思うくらい、どうでもいい会話から始まった。さっき「祖父さん」と言った時点で、因縁を話す気だったんだろう。そうじゃなければ、濁せばよかったんだから。仲間と認めてくれた証拠かな。
「うん、でも平気」
「さっさと話して暖かいテントに帰ろうぜ」
そう告げたジャックは、自分の生い立ちを簡単に説明し始めた。感情を抜いた話は、どこか他人事のような冷たさで響く。
東の国の宰相を務める祖父、跡継ぎの父、その長男として生まれた。早くに実母を亡くしたが、後妻に入った義母は優しかった。腹違いの弟と妹の双子がおり、幸せな幼少期だったらしい。自分の未来も、いずれ継ぐ地位のための勉強も苦にならず、すべてが順調だった。
ある日……王族が無茶な要求をするまでは。そこでジャックの口調が刺々しさを帯びる。殺しきれない感情が滲んで、ぎりりと歯を食いしばる音も混じった。
双子の弟妹は、美しい義母と顔立ちがそっくりだった。父が宰相を継ぐ頃、王子の話し相手として弟が王宮に呼ばれた。いずれは側近として育てたいと言われる。宰相を継ぐジャックと一緒に王族を支えると笑って出向き……冷たい物言わぬ姿で返されたのだ。
ジャックは兄でありながら、遺体との対面を許されなかった。斑らに赤い布に包まれ無言の帰宅となった弟を見ることなく、遺体は荼毘に伏された。
後になれば、見せないことはジャックへの気遣いだったと知る。
何があったか尋ねても、父は青ざめた顔で何も言わない。義母はただ泣くだけ。双子ゆえに感情を共有した妹は恐怖に震える。引退して別宅に住む祖父に幼い妹が引き取られた頃、ようやく事情が分かった。それは顔を出した夜会の噂話だった。
弟は、王子の誘いを断った――と。側近になる話ではない。顔立ちがそっくりな妹ともども、愛人になれと命じられたのだ。自分だけならまだしも、妹を巻き込めないと断った。直後、激昂した王子の剣に足を切られ……動けない状態で全身を刻まれて……穢された。最後は首まで切り落とされたという。
眉をひそめて話す貴族たちは、家族であるジャックが聞き耳を立てていると気づかず、最後にこう締め括った。他にも犠牲者が出ているが、王家に子供は1人だけ――どんなに暴君だろうと殺せない。
絶望した。自分が仕える主君は幼い弟を殺し、妹を襲おうとした存在なのに、罰を与えることさえ出来ない。王家が聖獣の契約を持つ限り、何をしても殺すわけにいかないのだ。父の次は自分が宰相となり、民のために尽くすのだと思っていた。その夢や希望を打ち砕く真実に、そのまま飛び出した。
二度と帰りたくなくて、森の中で彷徨っていたところを傭兵団に拾われたのだという。ノアとサシャはその頃から一緒で、途中でライアンが加わった。
壮絶な過去だ。彼自身が傷つけられたのは体ではなく、心だった。それを「軽い」と言える奴がいたら殴ってやる。悔しくて、悲しくて、自分が情けなかっただろう。兄として弟を守ってやれず、祖父に預ける形でしか妹を救えず……無力感に苛まれた。
「……オレは安い同情はしない。だけど、東の国の王家はスノーが契約を解除した。もう殺してもいいよ」
震えず、掠れさせず声を出せた。何度も舌で唇を湿らせ、喉に力を入れて呟いた声は無感情に響く。その意味に気づいたジャックの大きな手が、くしゃりとオレの髪を撫でる。
ああ、そっか。ジャックにとって、拾った頃のオレは弟の代わりだったんだ。だから面倒を見て、拐われたら必死に探してくれた。赤瞳の竜で暴走する可能性があっても、見捨てずに庇った。得心が行ったオレの頬に流れた一筋を、ヒジリが隠すように舐める。
「仇を討とうぜ、お兄ちゃん」
「……っ、そうだな」
照れ臭そうにジャックは足早にテントに向かい、振り返って手招きした。
「早く来い。風邪ひくぞ」
「おう!」
いつも通りに答えて、ジャックの姿がテントに入ったのを見届けて、もう一筋だけ涙を零す。乱暴に拭って、震える息を深呼吸のフリで誤魔化した。
「ベルナルド、戻ろう」
「はっ」
何も聞かないベルナルドを従え、オレはテントに戻る。すでに毛布を被ったジャックに「おやすみ」と声をかけて、言葉を発しないヒジリと一緒に簡易ベッドに横たわった。