208.シンプルとは程遠い
東の国を攻め落とすまで、オレの護衛としてラスカートン前侯爵が同行する。これは決定事項だ、そう宣言したシフェルの前で正規兵が一斉に敬礼した。
「そうなの?」
「ご安心ください。この身に変えてもお守りしますぞ。皇家のご養子ですからな」
ああ、なるほど。『支配者の指輪』絡みじゃなくて、リアムの婿になるオレは支配階級の頂点に立つわけか。それは護衛の1人や2人つけないと中央の国の面目が立たない。まあ聖獣がいるし、万能結界もあるから……護衛がお爺ちゃんだとオレが守る側だけど。
「ご養子……キヨはまた名前が変わるのか」
スノーが調達した果物をデザートに休憩する傭兵達が「なんだ、なんだ」と集まってきた。ゴツい連中に囲まれるのも慣れたもんだ。抵抗があったのは最初だけ、気のいい奴ばかりで居心地がいい。気取った顔の裏で他人の粗探しに夢中な貴族の相手は、肩が凝るし疲れた。
読んだ小説の「ざまぁ」みたいで楽しいけどね。毎日だと飽きる。ああいうのは外から眺めるか、時々手を伸ばす娯楽だと思うわけ。
「名前変わるぞ、たぶん」
すでに皇族分家のエミリアスを名乗ってるのに、また名字が変わると……どこが変更になるんだっけ? 正直、フルネームすら覚えてないんだが。
「たぶんかよ」
げらげら笑うジークムンドの鼻先に指を突きつけ、腰に手を当てて暴露してやった。
「だって自分の名前、もう思い出せないもん」
「キヨヒト・リラエル・エミリアス・ラ・シュタインフェルト殿下、でしたか」
苦笑いしたベルナルドが、長すぎてオレ本人が忘れた名前を教えてくれた。
「サンキュ、よく覚えたな」
「我が君の御名とあれば忘れることはございませぬ」
白い髭を弄るベルナルドは得意げに胸を逸らすが、おそらく貴族以外のオレの部下は誰も覚えないぞ。
「今度はどこが変更になるんだろう」
うーんと唸る。北の王家シュタインフェルトは外交上の問題で削除できない。エミリアスは分家の名前だから変わるし、辺境伯の肩書も消えるかも。
「おそらくですが、殿下の御名はリラエルより後ろを変更する形になるでしょうな」
「リアムの名字って、コンセールジェリンだっけ」
皇族や王族の家名はやたら長い。舌を噛みそうな発音ばかりだが、これはオレが日本人だからだろう。西洋の人なら平然と発音しそうだ。
合っていると頷くベルナルドが、太くて大きな手で、ちまちまと果物を剥く。不器用なお爺ちゃんを見かねたノアが、ナイフで皮を剥いて皿に乗せて差し出した。礼を言って口にする……オカンがお爺ちゃんの面倒を見始めてしまったぞ。
「キヨはまた偉くなるんだな」
「今より偉くなる先があるのかよ」
確かに聖獣の主人なので、これ以上出世のしようがなかった。肩書をたくさん持っていれば、理不尽な貴族に絡まれた時に「ぎゃふん」出来るかも。お金と一緒で、持ってて邪魔にならない……と思う。
それにしても、また養子縁組だ。この世界って貴族階級の複雑なしきたりが多くて、これで3、4回目だった。最初は箔をつける為のアシュレイ侯爵、次が北の王族と同時にエミリアス辺境伯、今度は皇族の本家……回数なら3回だけど、4つの家を渡り歩いている。
「支配者の指輪が認めた主君だけのことはありますな、皇族の本家に入られるとは」
年寄りは涙腺がもろいのか、ベルナルドは感涙して手を目頭に当てた。
「あっ!」
止めようとしたが間に合わない。
「ぐぉおおお! 何だこれは、新手の攻撃か」
転げ回って痛みに耐えるベルナルドに、ぱちんと指を鳴らして水をかけた。頭がびしょ濡れになり、自慢の白髭も細くなる。ふかふかの手触りが消えて、三角に先細ると山羊みたい。
「柑橘系を食べた手で顔に触らない! ったく、今までどうしてたんだよ」
気分は介護である。濡れ布巾を作り、ベルナルドの指先をよく拭いた。げらげら笑うジークムンドは、割れてる腹筋をさらに割る勢いで倒れ込んで笑い続ける。苦笑いに留めたライアンが、顔を上げて後ろを指差す。振り返ると、見慣れた従兄弟の赤毛があった。
「なんか、騒がしいな」
「……レイル殿か。顔を触ったら激痛が」
訴えるベルナルドの前にある柑橘系の皮、手を拭くオレの介護姿に事情を察したレイルは、彼の隣にどかっと腰を下ろした。それから机の中央に置かれた大きめのミカンっぽい果物を手にする。慣れた手つきで皮に線を入れて剥き始めた。
「貴族じゃ仕方ねえ。料理人が剥いて綺麗に並べた皿の上の果物を、上品にフォークで食ったことしかねえんだから」
そう言われれば、確かにリアムと食べるときに丸ごと出たことはない。日本人だから柑橘系は食べ慣れてるし、何も考えずに皮を剥いたけど……そっか。貴族なら口に入れる前まで加工されるのが当たり前なんだ。レイルの説明にジャックが肩を竦めた。
「護衛の方が手がかかるって話か」
それは要約しすぎ。確かに生活基準が違うから、着替えや準備を含めてベルナルドは自分で出来ないかもしれないが……。これでも将軍職を務めたお偉い騎士様だから。自尊心を傷つけないで上げて。メンタルごりごり削れちゃうぞ。
オレの心配をよそに、ようやく痛みから解放されたベルナルドが溜め息をつく。親の仇のように柑橘を睨むが、意外な言葉を吐いた。
「確かに足手まといであろう。誰かが面倒を見るのが当然の貴族生活しかしたことがない。軍でも大差なかったゆえ……指導を頼む」
自分の子供より若い傭兵団へ向けて、平然と頭を下げた。驚いて固まったあと、最初に動いたのはジャックだ。ぐしゃりと茶髪を乱し、交換条件だと言い出した。
「だったら、悪いんだがコイツらに礼儀作法を仕込んでくれ。今後もキヨに仕えるなら、最低限のマナーを覚えてねえと邪魔になっちまう」
「ジャック……」
なんていい奴なんだ。気を使わない関係を築くため、お互い様だと話を纏めるなんて。感動するオレの隣で、剥いたミカンを口に放り込んだレイルが「そんなにいい話じゃねえと思うが」と肩を竦めた。
「任せていただこう」
請け負った時点で、ベルナルドはマナー講師のスイッチが入ったらしい。いきなりオレの肘をぱちんと叩いた。肘をついたオレの頭ががくりと落ち、慌てて姿勢を正す。
「まず、キヨヒト様は肘をつかない。ライアン殿はスープを飲む際に音を立てておられたが、問題ですぞ。ノア殿もカトラリーを置く際に音を響かせた……次の食事からマナーを直せば、東の国を落とし終わる頃には作法も身に付きましょう」
「え……そんなに長く東の国にいるの?」
オレは早く帰りたいんだよ、リアムが「寂しい」「帰ってきて」って言づけたんだから、可能なら今すぐ帰りたい。本音駄々洩れの疑問に、レイルが資料を取り出した。
「マナー教室は作戦終了後だな。作戦は3日間の短期決戦だ」
バンと音を立てて資料を広げる。途端に傭兵達のほとんどが果物片手に離れた。これは彼らのスタンスのひとつで、別に興味がないわけじゃない。情報漏れの可能性を減らし、内通者の疑いを向けられないための自衛行為だ。ボスが話を理解して指揮を取れば、作戦全体を把握する意味がなかった。
全体像を掴む人数が少ないほど安全……その考えは一理ある。傭兵は扱いが底辺だから、実際には正規兵や将官が内通者でも犯人扱いされるんだろう。今までに構築された彼らのやり方を批判する気はなかった。今後、徐々に変えていけばいい。
「ちゃんと勝てるのか?」
期間が短すぎないかと問うジャックへ、レイルが煙草を咥えながら笑った。
「問題ない。すでに情報部は動いてる」
「デマによる誘導、とか……痛っ」
そういうバトル物読んだな~程度の感想を呟くオレの足首をヒジリが噛んだ。……痛いからせめて予告しろ。覚悟が出来るだろ。話の邪魔をした自覚はあるのか、睨みつけると舐めて癒し始めた。




