207.もっと気楽に行こうぜ
あっさり白状したため、シフェルは疑っている。その視線を正面から受け止め、オレは目を逸らさなかった。嘘をついてないと示すためだけど、これは意外と苦行なんだ。
日本人なら同意してくれる人多いだろうけど、他人の目を逸らさず見つめるのは勇気がいる。やましい気持ちがなくても、そっと視線を外しちゃう。猫じゃないんだからさ。欧米人はじっと覗き込んで話す人多い気がする。映画のイメージね。
「わかりました。信じましょう」
「うん。それでレイルの報告待ちなんだ。もう料理に戻っていい? 途中だから」
「ええ。構いませんが、お言付けは後でいいのですか?」
「ダメ」
即答だ。降りようとした人間椅子ベルナルドに座り直した。外れ掛けた腕ベルトも戻しておく。わざわざ拘束されるオレの姿に、シフェルが吹き出した。
「ではお伝えしましょう。『早く帰ってきてくれないと寂しい』そうです。それと東の国を落としたら、キヨは皇族に格上げとなります。エミリアスは分家ですから、本家への養子縁組とします」
あっさりと皇族になる話を聞かされたが、オレの意識はその手前の「早く帰って、寂しい」しか記憶しなかった。ぼうっとしながら、赤くなる頬を両手で包む。照れてしまう。そんな可愛い発言をしたリアムを見たかった。
シフェルは見たのか? いや、侍女やウルスラ経由の可能性もある。ヤキモチも過ぎると嫌われるっていうし、重い奴だなんて告げ口されたら嫌だ。いろいろな感情を吐きそうになり、飲み込んでいる間に話は終わった。
「というわけで、キヨ。陛下を泣かせるわけにいきませんから、生きて戻ってください」
「あっ、はい」
途中を全然聞いてなかった。でも人間椅子のベルナルドが居たから大丈夫だ。食事の際に彼に聞こう。リアムからのお言付けに浮かれたオレは、ベルナルドと手を繋いでテントへ戻った。
『こういう場面観たことある。えっと……あれ? 何だっけ』
青猫が思い出せないと唸る。その横をすり抜けながら「ボケる年齢か」と揶揄う。思い出そうと躍起になるほど出てこないんだよ。にやにや笑いながら、大人しく手を引かれるベルナルドと鍋の前に戻った。見た目はシチューだ。
サシャから返してもらった杓文字を掴んでかき回すと、底に何か沈んでいた。ねちゃっとした感触に、嫌な予感がする。力任せにかき回そうとして、後ろで興味深そうに見ているお爺ちゃんに杓文字を渡した。
ラスカートン前侯爵ベルナルド。立派なお名前の元騎士は反射的に受け取る。鍋の底を示して、かき回すように頼んだ。
「底に溜まってる何かを混ぜて」
「はぁ、承知しました」
元騎士の筋肉が唸る。頑張れ、お爺ちゃん! 底からこそげ取ってくれ。願いながら応援していると、突然泡が浮いてきて、巨大な塊が浮かんできた。
底に沈んだ小麦粉が取れたのだ。杓文字を止めてもらい、取り出した小さめのスプーンで突つく。表面はシチューによく似ていた。どろりとした何かが弾けて、ぶわっと……うん、ただの小麦粉だ。疑う余地もない小麦粉がそのまま。表面だけ濡れると小麦粉って固まるんだな……。
小麦粉を拡散するかき回しが終わってから、話し合いに入るべきだった。あの僅かな時間で、小麦粉は大変なことに……祖母が作ったすいとんを思い出す。だがあれは練った小麦粉だったはず。明らかに形状も食感も違うだろう。
「参ったな。混ぜる方法か」
うーんと唸り、試しにブラウがよく使う風で回してみることにした。小麦粉の塊を空き皿に回収し、混じった分をかき回すのだ。べちょっと皿に伸びる小麦粉に、周囲から「失敗か」と残念そうな声が上がった。
まあ確定じゃないけどね。小麦粉を取り除いたことで水位の下がった鍋を、風で拡散したら……熱い飛沫が散った。慌てて結界で防ぎ、次の策を考える。
「風だと散る……うぬぅ」
やっぱり杓文字しかないのか? そう悩むオレの肩に飛び乗るスノーが、鍋を覗いて提案した。
「あの……水流を作ったらどうでしょう」
「水流」
「渦のがわかりやすいですか? こういうの」
言いながら、スノーが鍋に渦を作り出す。綺麗に中央が窪み、すごい勢いで攪拌された。そうか、鍋の中身は汁物なんだから……風魔法じゃなくて水魔法の領域なんだ。
感心しながら見つめる間に、攪拌は終わったらしい。スノーを抱き寄せ、小さな頭を撫でてやる。
「すごいぞ、スノー。ちゃんと混ざったかな」
お玉を取り出して、掬ってみる。傾けるとどろっとした液体だった。間違いない、オレが求めたシチューっぽい。半分ほどに減らしたお玉を口に近づけ、熱そうなのでふーっと冷まして飲んだ。
「これだ!」
牛乳とバター、間違って入った小麦粉! そういえば、市販のルーは白かった。きっと材料的に合ってるんだ。にやにやしながら鍋を見つめる。向かいにいる連中には、さぞかし不気味だろう。
「出来たのか? ボス、運ぶぞ」
ジークムンドが慣れた手つきで鍋を移動させ、ノアが新しいお玉を入れて器に盛る。その姿に違和感を覚えた。どろどろした白い汁物がお椀に入り……具がない、だと?!
「ちょ、待って。え? 具がない」
慌てて覗き込み、スプーンでかき回す。どろりとしたシチューっぽい汁物は、想像と違った。ガッカリしながら、配る許可を与える。くそ……やっぱり途中でシフェルに呼ばれたせいだ。
ぶつぶつ文句を言いながら、目の前に置かれた器の汁物に八つ当たりする。ぐるぐる掻き回すオレの複雑な気持ちをよそに、聖獣の評判は上々だった。具が溶けていると、味はしっかりしてるのに飲みやすいらしい。確かに舌で舐めながら飲む獣だと、具が混じってるのは飲みにくいかも。
「キヨ、これうまいぞ」
「俺はもう少し塩味濃くてもいい」
調味料のハーブ塩を振りかけるジャックをよそに、ノアはご機嫌だった。サシャは胡散臭そうに眺めていたが、口をつけると一気に流し込む。ライアンはパンを浸して食べていた。
「お代わり」
「俺も」
飲みやすさからパンを食べる際の飲み物がわりにされた汁物は見る間に減った。もう捕虜もいないので、全部食べ尽くしてもいいけど……。ちらりと隣を見ると、ベルナルドが上品な仕草で流し込んだ。
スプーンの扱いはすごく品があったのに、減っていくお代わりに気付いて残り半分を皿から直飲みしたけど……この人、侯爵だったんだよね? 美味しい物食べ慣れてるだろ。こんなシチューの失敗作を流し込まなくても。
呆れ半分で口に運ぶ。適度な塩味とほのかな野菜の甘味……あれ、こんな感じの食べたことある。冷たいやつで、上におしゃれパセリを散らしたスープ。唸りながら思い出したのは、ビシソワーズだった。
確かにジャガイモっぽい根菜類入ってた。それが粉砕されて、さらに小麦粉やバターでトロミやコクがでたのかも。
「キヨ、終わりそうだぞ」
お上品にパンへ染み込ませて食べていたら、ライアンが手招きする。残った鍋がもうひとつあっただろう。そう思いながら残りを口に入れて近づいた。
「ほへはへれはひいひゃん」(これ食べればいいじゃん)
「何言ってるかわからん」
悪いジャック。飲み込むから少し待って。
「お行儀が悪いですぞ」
お前が言うな、ベルナルド。スプーン放り出して流し込んだくせに。
口に詰まったパンが消え、残った鍋を覗くと中に白い汁物が入っている。何が気に入らないんだ?
「こっち食べれば?」
「「「そっちは具が残ってるから違う」」」
口を揃えた傭兵たちの顔を見ながら、内心で「ああ」と納得した。これはあれだ。カレーを前にした小学生の群れ……既視感のある状況に、あははと乾いた笑いが漏れた。
「具を粉砕して……同じ味になるかな」
首をかしげるオレは失念していた。小麦粉やバターの量が目分量だった。小麦粉に至っては袋半分入って、その後にすいとんのなり損ねとして回収されて目分量すら通用しないことを……。
なんとか作った2つめの鍋が不評だったのは、言うまでもない。




