195.人質が大人しいとは限らない
前方の集団は南の兵士達だ。慣れた道をだらだらと歩く彼らの後ろを傭兵がついていく。その形を崩して戻ったのは、リシャールと1人だけだった。
つまり南の兵士のほとんどは、無関係という意味だろう。そんな意思表示しなくても、別に皆殺しにしたりしないぞ。今のところは……だけど。
一応人質としてやってみたかったことがある。両手を肩の高さに上げ、下にすっと身を滑り込ませてから一回転して後ろに立つ。前にアクション映画で見かけて、カッコいいなと憧れていた。
なかなか披露するシチュエーションがなくて、封印されたアレを……やるか?! ドキドキしながら肩の高さに手を上げる。首に触れた刃が少し動くが、まだ結界の存在に気付かれていなかった。
手に触れれば普通に感触があるし、髪も1本ずつ触れる。この世界の結界の常識は、リアム達から指摘されたので理解していた。ドーム状の半円が基本だ。オレの結界は薄い膜が全体に覆っているイメージだった。形状も性質も全く違う。
硬くて何でも弾く結界が主流の世界で、柔らかな薄いビニール状態の膜なんて、想定外だろう。オレがチートを気取ってられるのも、こういった彼らの世界との認識の差が大きい。
皮膚をもう一枚着た感じに這わせた結界は、危害を加えないと作動しないため、肌に触れてもわからなかった。
ちらっと視線を送ると、向かいでのんびりと香箱座りのヒジリが起き上がる。どうやら協力してくれるらしい。
『主殿を、離してもらおうか』
「う、うるさい。近づいたら切るぞ」
声が震えるリシャールは、ヒジリが魔獣ではなく聖獣だと知っている。逆らうことへの恐怖が肌を粟立たせ、指先を震わせた。
「ちょ……脅すと本当に危ないから」
結界の特徴として害意をもって刃を突き立てれば、しっかり弾いてくれる。しかし震えた拍子に切れちゃった、だと薄皮一枚くらいケガする可能性があった。リシャールの手が震える今の状態は、非常に危険だ。
「味方になるんじゃなかったのか?」
落ち着かせる目的で声を掛けると、リシャールの隣の青年が声をあげた。
「彼は悪くない、僕の妹……」
「それ以上言うな」
うーん、これは殺しちゃうと後味悪い感じの展開が待ってそうだ。チラ見せの複雑な事情にも興味があるし、ここは自力で行こう。目配せして傭兵達に手出し無用を伝えるが、全員揃って右手の親指の腹を向けられた。
信頼されてると考えたらいいのかな。非常識だから大丈夫と妙な太鼓判を押された気もする。複雑な気持ちで、呼吸を整えた。
1、2、3、今だ! 膝から力を抜いて崩れるように体を沈ませ、後ろに立つ2人の男の間を転がって抜ける。立ち上がったオレの手には、レイルから譲り受けた愛用の短剣が光っていた。
「はい、お疲れさん」
終わりと告げて、リシャールに従う男の首にナイフを当てる。人質が怯えて大人しくなるのは、お姫様ぐらいだからね。通常は暴れるし、泣き叫ぶし、お母さん呼んじゃうから。オレは自分で撃退する派だけど。
「ちっ、殺すなら俺にしろ」
「うん。そういうと思ったんだ。だから彼を選んだの」
リシャールは意外と人情派だろう。困ってる奴がいると手を差し伸べ、仲間のためなら命を投げ捨てる系のお人好し。生き残れたのは実力があるからだけど、彼が命を落とすとしたら部下が足を引っ張った時だ――今のように。
「キヨって時々残酷だよな」
「鬼だろ」
「いや、悪魔の微笑みってこんな感じか」
にっこり笑って、余計な口を叩く傭兵達を視界に収めていく。顔を覚えたぞ、と言わんばかりの仕草で頷いて眺めるオレに、慌てたジークムンドが手を振った。
「お、俺はそんなこと思ってないぞ……本当だ! ボスは強いし、ご飯も作れる。尊敬してる」
慌てて褒めるジークムンドだが、一応二つ名もちの有名な傭兵だろ? そんな簡単に子供に遜ったらまずいぞ。外聞悪いじゃないか。
そんな嫌味が頭の中を巡るが、口にする前に後ろで苦痛の声が上がった。
ぐぎゃああああ! ぎゃうう! ぐげっ!!
背の高い奴にナイフを突きつけるのも疲れるので、手を離して下がった。途端に飛びかかったジークムンドやノアが彼らを拘束する。それを横目に確認して振り返った先は、阿鼻叫喚の嵐だった。
先ほど飛んできたドラゴンが、すべて地に叩きつけられている。翼の真ん中に大きな穴が開いたり、付け根から切り落とされたりした彼らは、巨大トカゲの群れと化した。
地面から突き出た杭に刺さった仲間のそばで、おろおろするドラゴンの背にも氷の矢が刺さる。正確には矢と表現するより太く、杭や槍の方が近かった。
燃えている個体もおり、生きたまま焼くのはちょっと残酷すぎるんじゃないかな? と首を傾げて声をかける。
「楽しんでるところ悪いけど、やり過ぎっぽい」
『えええ!? 主人を襲ったのよ』
『もう片付けちゃったよ、主ぃ。遅いんだもん』
コウコの発言はもっともだが、ブラウは後で顔貸してもらおうか。体育館裏へ……と言いたくなるが我慢だ。奴は逆に喜ぶから。
『そうです! 私だって戦えます』
同族に見えるけど、やっつけてもいいのか? スノー。白トカゲは胸を張るが、色違いのお友達っぽいぞ。
『我は杭を作っただけだ。刺さったのは奴らが鈍い所為よ』
『ちゃんと全部追い立ててきました!』
責任転嫁を始めた黒豹の後ろで、得意げなマロンが角を振り回しながら興奮していた。褒めるべきか、叱るべきか……悩ましい。
唸るオレの様子に、聖獣達は顔を見合わせた。振り返るとジークムンドに縛り上げられたリシャールと部下が転がり、正面はのたうち回るドラゴン多数。前途多難だと溜め息をついたオレの肩をぽんと叩いたレイルが、肩を竦める。
どうやら情報収集を終えて追いついたらしい。いつも思うけど、情報屋って神出鬼没だな。オレの転移みたいに何か能力を隠してないか? 居場所がバレるのは赤いピアスのせいだとして、追いつくのが早すぎる。
「レイルぅ」
懐いてみたら、気持ち悪いと叩かれた。なぜだ、解せぬ。オレは美少年のはずだろう。しかも義理の従兄弟だし、もっと大切にしてくれてもいいんじゃないか?
「情報を持ってきた。こっち来い」
どうやら仕事モードだったらしい。素直に後ろへついていこうとすると、慌てたマロンが叫んだ。
『ご主人様、これはどうしますか?』
「使うかも知れないから、そのまま捕まえといて。絶対に逃がさないで」
ちょっと外道な作戦を思いついたオレの命令に、マロンは目を輝かせる。金の一角獣と呼ぶにふさわしい姿に進化――でいいのか?――した聖獣は、機嫌よく長い首を縦に振った。ほっとした様子で息をつくのはヒジリとコウコだ。スノーはドラゴンを威嚇して脅かしながら、彼らを一か所に集めていた。
行方不明になったブラウは、ちゃっかりオレの足元を八の字歩きして飼い猫アピールだ。さりげなく足に頬ずりしながら歩く青猫の脚を、わざと踏んづけてやった。調子よすぎるんだよ、お前。
「ここらでいいか」
開けた場所を選んだレイルに頷き、収納から取り出した椅子を渡す。自分の分も置いて、さっさと腰掛けた。ノアが用意してくれた水筒の麦茶を飲みながら待てば、煙草を咥えたレイルがちらりとジークムンドたちの方に視線を向ける。
聞こえない距離で、レイルは煙草を手にさりげなく口元を隠した。狙撃手のライアンは口元を読むからな。用心だろう。疑ってるからではなく、疑わないための先手だった。
「もう遅いようだが、リシャールの部下が裏切る話がひとつ」
「うん、襲われたね」
「簡単に言えば、病気の妹を盾に取られたらしい。貴族のやったことで、王族は絡んでなかった。他にも数件は同様の事案があるぞ。年老いた母親、嫁いだ姉の借金、婚約者もあったか……どうする?」
南の兵士を切り捨てた方がいい。戦力としての利点はないと告げる、レイルの判断はたぶん正しい。面倒事を内包して戦うのは危険だと忠告してくれた。その気持ちをありがたく受け取りながら、オレは飲み終えた水筒を彼に差し出す。
「オレが見捨てるのを待ってるんじゃない? 実力差がありすぎるんだし、ハンデあげてもいいよ。それと新しい武器も手に入れたから、色々と試してみたかったんだ」
にっこり笑って出来るだけ簡潔にソフトに伝えたのに、引きつった笑いで水筒を押し返された。




