176.しんみりする事情と
『主殿、我は主殿が初めての契約者ぞ』
ヒジリ、まさかの初契約だった。オレが最初なら、前の契約者の話も収納物もない。納得して頷き、詫びを口にして彼の黒い毛並みをモフる。
「ブラウは?」
『前の契約者ならいたよ。3人いたけど、1人目はすぐに死んじゃった。この世界に来たときに、すでにお爺ちゃんだったし……猫は膝に乗るものだって言いながら、庭の芝生で抱っこされたな』
懐かしむ彼の言葉に、浮かんだのは縁側でお茶を飲みながら猫を抱くお年寄りだ。あれか、最初の主人は日本人かもしれない。
『次が綺麗なお姉さんで、王様と結婚してたよ。そしたら僕のこと放り出して、ずっと宝石に夢中だったな〜。彼女の残した宝石は全部、3人目の契約者にあげた』
そこで懐かしむ目をして、青猫は空中を見つめる。よく猫が部屋の角を眺める仕草に似てた。何もないのにずっと見てるから、隣で眺めても何もないんだよな。本当に幽霊とか見えるのか。
『3人目が僕に、アニメを教えてくれたんだ。エロゲーの話ばっかりだけど、楽しそうに話してくれてね。彼がいなくなった後でこっそり覗きに行って、ハマったよ』
照れたように顔を洗い始めた青猫の頭を撫でて、喉も擽ってやる。ゴロゴロ言いながら腹を見せたので、もちろんモフておいた。
ブラウはふざけた奴と決めつけてたけど、しっかり聖獣してた時期もあったんだな。うるっと来ないけど、もう少し優しくしてやってもいい、と上から目線で思った。
しゅるりと腕に絡みついて登ってきたコウコは、爬虫類特有の大きな目を合わせて話し始めた。
『契約は何度もしたわ。異世界人は弱くて、助けてあげないとすぐに死んでしまうもの。いろんな知識を持っていて、あたくしのことも大切にしてくれた』
コウコが短い手の先で、くるりと輪を作る。
『このくらいのガラス玉を渡されて、握ってみてくれと頼まれたけど、喜んでたわね。何人目だったかしら』
うん、日本人か中国人じゃないかな。同じ世界から来た気がする。わかると頷いたオレの首まで移動し、コウコは寂しそうに呟いた
『主人の前の契約者が……別の世界へ続く穴に落ちたの。そのとき、引き継いだ宝も雑貨も、日用品も……すべて消えてしまったわ』
「落ちた?」
『あたくしもよくわからないけど、元の世界に帰りたかったみたい。転移魔法陣を改良して帰ろうと研究していたの。それで実験中に失敗したのね、どこかへ続く穴に落ちて、二度と会えなかった』
コウコはその後に眠りにつき、目が覚めたらオレと出会った戦場だったらしい。首に絡みついた紐の影響で我を失い、苦し紛れに周囲へ八つ当たりしていた。そう告げられると、冷たくても引き剥がせない。
さらりとした鱗を撫でて、最後の1匹に向き直った。
『私は……すみません。記憶が欠損しており、よく覚えていないのです。でも確かに前の契約者はいました。ドラゴンに喰われた時、記憶が飛んだみたいで』
申し訳なさそうに俯くスノーの様子に、逆にこちらが謝る雰囲気になってきた。聖獣達は契約してから楽しそうだ。ブラウやコウコも前の契約者の記憶を大切にしている。
なのに、忘れてしまったことを思い出させた自分の言葉が、ひどく悪いことに思えた。
「あの、オレこそ……ごめん」
『いえ、良いのです』
チビドラゴンは甘える仕草で足にしがみつくが、いつものように肩に乗ろうとしない。その控えめな態度が、さらに同情を誘った。全員がうるっときたその時、ブラウが空気を読まない指摘をする。
『記憶が欠損したのに、どうして前の契約者がいたってわかるのさ』
スノーの言い分はおかしい。そう矛盾をついた形の青猫は、ゆらゆらと身体を揺すりながら近づいた。これは獲物を見つけた時の、狩りに入る猫の仕草だ。
前足を低くして、後ろ足を少し持ち上げる。ダッシュで飛びつくための準備をして、もじもじと後ろ足や尻を左右に振った。もちろん尻尾も大きくS字にくねらせて。
「そういや、変だな」
言われてみれば、確かにおかしい。記憶が欠損して、前の主人がいたかどうか分からないと説明するならわかるが?
『……残ってたから』
「何が?」
顔を足に押し付けて、だらりと尻尾を垂らした姿はなんだか哀れを誘う。しかしスノーが隠している事実を聞いておいた方がいい。後になれば絶対に聞けなくなるから。
『収納の中身、残ってるんだ』
『だと思った。おかしいもん』
尻尾でぺしぺしと地面を叩きながら、ブラウがふんと鼻を鳴らす。我関せずのコウコが、赤い舌を覗かせながら口を挟んだ。
『何が残ってるの?』
全員の視線が集中する。
『僕が知るのは、宝石と金塊ですね』
マロンがさらりとバラした。すると無言を貫いていたヒジリが、耳の辺りをオレの腰に擦りながら告げ口する。
『我は、大量の火薬があると聞いた』
「……ひとまず、どうしてオレに収納物の話をしなかったのか。答えてくれる?」
足にしがみつくチビドラゴンを引っぺがし、尻尾を掴んでぶら下げた。じたばた暴れるが、逃げられないと観念したスノーが脱力する。
『えっと……主様、怒らないですか?』
「呆れてるけどね」
『忘れてました』
痛い沈黙が落ちた。




