174.知らない天井と収納物
目が覚めると……異世界物の書き出しに最高の一文だが、もう飽きてきた。何回も知らない天井ごっこしてきたし。なんか肌がベタベタする。
「起きたのか、ボス」
「酒はまだ早いぞ」
からかう傭兵達の声に左へ顔を向けると、真横におっかないオカンことノアが般若の形相だった。びくっと肩が揺れたものの、怖いものから目が離せない。あれって怖いものが見たいんじゃなく、目を離した瞬間に飛びかかられそうな恐怖が主体だよな。
「キヨ」
「……はい」
そこからがっつり叱られた。水を跳ね除けたオレの手をジークムンドが押さえつけ、暴れるオレの蹴りをかわしながら、ノアが水を流し込んだらしい。あまりに暴れるので、一発殴って静かにさせた後で鼻を摘んで飲ませ、最後にヒジリが治癒して終わったらしい。
肌がベタベタするのは、ヒジリの涎の可能性大か。彼がいない場所で浄化しておこう。聖獣の涎だから綺麗だろうけどさ、やっぱりどこまでいっても涎だよ。
説教が終わったところで、起き上がる気力がなくて天井を見つめる。折角出して用意したから、と連中はテントで寝るらしい。ここは寝る用に用意したテントの寝台だった。オレがもらった報奨金で買い揃えた簡易ベッドは、正規軍も使う組み立て式の軽いやつだ。寝心地も今までより格段に上等だった。
毛布を腹の上に乗せて、ぼうっと天井を見つめる姿に、心配になったジャックが近づいてきた。
「おい、具合悪いのか?」
「平気」
「だったら叱られたから拗ねてるのか」
「違う」
端的に返事をしながら、撫でてくれるジャックの手に目を閉じた。小型化したブラウが飼い猫のように顔の横に無理やり入り込む。猫って、どうして広い場所があるのに、わざわざ狭い場所で寝ようとするんだろう。尻でぐいぐい押して、オレの枕を横に押しやったブラウは、満足そうに「ふん」と鼻を鳴らした。
「ちょ、邪魔」
『押さないで、そこはだめぇ……やぁあん』
「うっさいわ」
丸くて青い毛皮を叩いた。足元に寝ているヒジリがのそっと起き上がり、ジャックの向かい側から覗き込んだ。
『主殿、治癒をしてもよいぞ』
「ありがとう。間に合ってます」
よくわからない返答に首をかしげ、ヒジリは再び足元で眠り始めた。あのライオンの昼寝みたいな格好だ。残りの聖獣は外にいるのか、影に入ったのか。姿は見えなかった。
ふと顔に影がかかり、目を開いた。青猫が上から覗き込んでいる。
『こんなとき、どんな顔をすればいいか。わからないの』
「笑えばいいと思うよ。こんな風に」
懐かしいネタに応えつつ、ブラウの両頬をビニョ〜ンと勢いよく引っ張った。オレの様子を窺っていながら酒を飲んでいた数人の傭兵が咽せる。咳き込んで苦しそうにしながらも腹を抱えて笑った。
「よかったな、ウケたぞ」
『主、僕はこれでも聖獣なんだよ』
「知ってるよ」
湯たんぽに猫を抱いて、ゴロンと横を向いた。怠くて、少し頭が痛い。ジャックの大きな手が触れた額の辺りが気持ちよかった。手当ては手を当てる治療からきた言葉だと聞いたことあるけど、本当みたいだ。
そういや、結界張ったっけ?
「ヒジリ、結界」
『さきほど主殿が張ったであろう』
覚えてないけど、酔っぱらう前に張ったらしい。それなら歯磨きがわりに浄化して寝ても問題なさそうだ。
浄化してそのまま眠ろうとしたオレの意識が、何か忘れてるぞと点滅信号を出した。何か食べ損ねた気がする。
「ジャック、オレ……何か食べ忘れてないか?」
「大丈夫、みんなで食べて片付けたぞ」
「そっか」
ん? ああああ! デザートの果物食べてない!! 慌てて身を起こそうとしたオレに、にっこり笑ったジャックが首を横にふった。
「安心しろ、洗い物は終わらせた」
「そうじゃなくて! オレ、果物食べてないじゃん」
そっと目を逸らされた。視線を巡らせたテントの中の全員が、オレの目を正面から見ない。なるほど、全員食べたのか。見た目はイモ虫の高級フルーツ『キベリ』を――。
「ひどい……」
「今度見かけたら買ってやるから」
慰めるオトンのジャックに、がしっとしがみついて尋ねる。
「今度っていつ? 明日?」
「子供みたいな駄々を捏ねるんじゃない。ほら、寝ろ」
ノアに無理やり寝かされた。オトンとオカンの連携がすごいな。
「ところで、不吉な名前の酒は誰のだったの?」
オレの手の届くところに酒をおいた奴の名を、聞いておこうか。別にやり返したりしないけど、おかずの肉を少なく盛る程度で我慢してやろう。そう尋ねたオレに帰ってきた答えは、意外なものだった。
「あの酒は――キヨの収納から出てきた」
「調味料と一緒に取り出して、放置したんで俺らが飲んだんだ」
「はへ? 知らないけど」
……意味がわからない。あんなもの収納したか? これはきっとまだ酔いが残っていて、だから奇妙な話が聞こえたんだ。そうだ、明日になれば解決するさ。
頭が働かない時は睡眠が足りないのさ。自分を納得させ、オレは結界内での安全な睡眠を貪ることにした。
「うそぉおおおお!」
ぐっすり眠った翌朝、オレの叫びで全員が飛び起きることとなった。
遡ること数十分前――夜早く寝たおかげもあり早朝に目が覚めた。夜明けと言ってもいい。外の空気はまだ冷たく、伸びをしてから身体を解した。
官舎にいない時は、早朝訓練という名の襲撃がない。時間が余ったオレは昨夜の酒の出所を思い出した。
収納空間はオレが入れた物が入っていて、オレの希望で取り出せる。ところが昨夜に取り出した酒に心当たりはなかった。入れた覚えのない物が入ってるのもおかしいが、取り出そうとしてない物が出るのはもっとおかしい。
首をかしげてからテントを振り返る。まだ彼らが起きてくるまで時間がある。危険なのは、ヴィリに預かった爆弾くらいか。あと、ライアンの銃も危険だな。
考えながら移動し、テント村と化した中庭の端へ移動する。武器だけ、着替えだけ、食料だけ、と細かく分類して取り出した。記憶とメモにある物をすべて出した後、魔法の呪文を唱える。
「空にな〜れ」
その直後、見たことのない物がどっさり積み上がり……朝の叫びに繋がった。
襲撃と勘違いした数人が銃を片手に飛び出す。見張りは慌ててライフルを構え直し、テントの一角が崩れた。
「どうした、キヨ」
「敵が戻ってきたのか!?」
駆け寄った連中は、大量に積まれた物資の前で不思議そうな顔をした。オレの収納が非常識なのはある程度承知していても、これほどの量を保管していたのは知らない。シフェルに秘密にしろと言われたのを今さらながら思い出した。
「……その荷物はなんだ?」
「オレの収納と、影の収納から出した」
ごめん、聖獣のせいにした。空気を読んだのか、聖獣は誰も出てこない。顔を出そうとした青猫を引き戻す黒い手はみたけど。
「ああ、なるほど」
「それで驚いたのか」
ほっとした様子で担いだ銃に安全装置をかける傭兵に「悪い」と謝罪した。早朝なのに大声出したのはオレのミスだ。ひらひら手を振って寝に戻る奴と、起きたついでに身体を動かす奴に分かれて解散となった。
「それで? 実際のところは何があった」
ある程度詳しく知っているジャック班に、オレは最後に出した荷物を指差した。
「オレが収納に入れたものは、自分でメモして管理してる。そんで、これはオレが入れてないのに、収納から出てきた物」
しーんと沈黙が落ちて、傭兵達は口々に好き勝手言い始めた。
「……昨日の酒が残ってるんじゃねえか?」
「二日酔いは辛いからな」
「寝ぼけてたのかよ」
ライアン、ノア、ジャックの順で理由をつけて片付けようとされたが、そうは問屋が卸さない!! この言い回しも、この世界で通用しなそうだが。
「違う! 本当にオレが入れてないんだ! 大体昨日の酒だってそうだろ。オレが自分で出したら気付くし、覚えてる。飲む前に酔ってたと言いたいのか!?」
力説したオレに、ようやくサシャが「確かに変だった」と理解を示してくれた。