11.拘束状態での拝謁(4)
広間をシフェルはまだ歩いていた。抱っこされる状態で歩かないからはっきりしないが、かなり距離がある。
霞んじゃいないが自転車で遊べそうな空間の先、段上にやたら背もたれの大きな椅子が2つ並んでいた。皇帝と跡取り、もしかしたら妻の席か。
よくRPGのゲームで、魔王が座る椅子が出てくる。人の背丈の何倍もある背もたれがついた立派な椅子だ。あれによく似ていた。横向きに倒して作らないと大変だと、変な心配をしてしまう。
よく背もたれの重さで後ろに倒れないもんだ……と以前も感心したが、実際にこの目で見られるとは思わなかった。まず、前世界でお目にかかる機会はない。
座るかと聞かれたら、はっきりきっぱりノーサンキューだった。肩が凝りそうだ。
「降ろしますよ」
そっと小声で告げられ、小さく頷いた。足を止めたシフェルが膝をつき、ゆっくりと絨毯に降ろしてくれる。柔らかそうだと思った絨毯は、本当に子供の足首に届きそうな厚みだった。
「陛下、異世界の子供をお連れしました」
跪いて声をかければ、椅子の上で子供が身じろぐ。
「ああ……シフェル、ご苦労」
はっ!? 驚きに段上の椅子を凝視してしまう。
響いたのは愛らしい子供の声だった。女の子だろうか、キレイな声をしている。いや、外見もすごく可愛い――美しいという表現が似合うかも。
「キヨ、膝をついてください」
誰の前でも敬語のシフェルに、七五三じみた服の裾を引っ張られ膝をつく。ぽかんと開いた口から零れたのは「皇帝陛下、女の子じゃん」という感想だった。
「残念ながら、女ではない。お前がキヨ――異世界人か」
固い口調で皇帝が視線を向けた。
ぞくりとする。
海、空、どちらとも違う蒼がきらめく瞳。日本人でも滅多に見ない見事な黒髪は烏の濡れ羽色だ。真っ白ではない象牙色の肌は、日本人なら美白の域に入るだろう。
なによりも顔の造作が整っていた。驚くほどの美人なのだ。同性なのが惜しまれるが、目を逸らすことが出来ない。
「ご無礼を」
キヨの頭を下げさせようとするシフェルの手を、鈴のような声が遮った。
「いや、よい。異世界人に我が国の作法を押し付ける気はない」
嫣然と微笑む子供を見つめたまま、無意識に膝をついた。これが皇帝――5つの国の中で最大の領地を統括する存在? 威圧感があるわけじゃない。子供の外見に似合わぬ、どこか浮世離れした感じはあった。
「すでに力を解放したと聞くが」
「はい、ご報告させていただいた通り、並外れた力を秘めているようです。急ぎ魔力の制御を学ばせる必要があります」
「ならば、そなたの隊に預けよう。しっかり教育するように」
頭の上で繰り広げられる会話をよそに、オレは食い入るように皇帝の顔を見つめていた。カミサマにお願いしたオレの顔とは別格の、本当にキレイな顔だ。好みとか関係ない。
誰が見ても美形だと言い切る皇帝は、シフェルの言葉どおり『規格外』だった。その整いすぎた人形のような外見、大きな領地を統べる能力、子供と侮られる年齢、部下を従える魅力も……。
「さて、キヨヒト――余がそなたの保護者となった。その類稀な能力で、余の治世を支えてくれ」
「は、はい」
失礼も無礼も忘れて、凝視しながらただ頷いた。そんなオレに誰も声を上げない。後ろに並んでいる貴族らしき連中も、足元で跪いて控えるシフェルも……。
「ご苦労であった」
下がれと命じることはしない。しかしこれで謁見が終わったのだと、さすがのオレも理解した。慌てて目を伏せて頭を下げる。
くす……かすかに笑った気配がして上目遣いで確認するが、椅子の上の皇帝陛下は無表情だった。
どうやって帰ってきたのか、まったく記憶がない。支度を整えた控え室で、心配そうに覗き込むシフェルが肩を揺すったところで我に返った。
「あ、謁見!」
「終わりましたよ。ちゃんとご挨拶したでしょう。覚えていますか?」
ひらひら目の前で手を振られ、抱きかかえて連れて行かれたことを思い出す。豪華で掃除が大変そうな広間で、すごい美人に出会った。何か言葉をかけられて………。
「……美人だった」
それしか覚えていない。
オレの感嘆まじりの呟きに、目を見開いたあと……シフェルはくすくす笑い出した。
失礼じゃないか? 引きこもり寸前だったオレにしてみれば、おそらく初恋なんだぞ? つうか、本当に初恋かも。
今まで好きだと思った人はいた。お付き合いしたいと望んだ相手もいる。でも、この感情とはレベルが違う。熱量が違うというか。
恋は奪うもので、愛は与えるものだ――かつて聞いたドラマのセリフだったか。それに当てはめるなら、オレは今まで恋しか知らなかった。
皇帝陛下にお会いして、人生観が変わる。
映画で、主のために尽くす騎士や他人を庇って死ぬ奴を見て「どうしてそんなバカなことするんだ?」と疑問しか感じなかった。でも、今……皇帝陛下を狙う輩がいたら、盾になって守るだろう。
己の命と引き換えになっても、あの人が生きてくれるなら構わないと思う。
「また、会えるかな」
何か功績を残せば会えるだろうか。切ない溜め息混じりに呟いたオレの頭に、ぽんとシフェルの手が乗せられた。
「浸っているところ申し訳ありませんが、これから陛下とお茶会です」
「お、お茶会…………!? 陛下、と? オレ? え!?」
驚きすぎて立ち上がると、覗き込んでいたシフェルの顎に頭がぶつかった。
「うぅ……痛い」
「ッ……痛いのはこちらです!」
キレたのか、シフェルの拳骨が頭に落ちた。
ちょ、そこ…今ぶつけたところ。同じ場所を狙った拳骨に、目尻に涙が滲む。生理的な涙は止める術がなくて、子供っぽいが涙が零れた。
「シフェル、許してやってくれ」
ひょいっと抱き上げる逞しい腕の持ち主が仲裁にはいる。
「ノア……痛い」
涙が落ちたのが悔しくて、顔をノアの胸に押し付けた。ついでにゴシゴシ拭いて涙を誤魔化す。