159.置いてきた黒歴史
傭兵連中の合宿所扱いなので、広い玄関ホールの右側は学食みたいな食堂だった。左側は風呂や私室が並んでる。正面は突き抜けて中庭になっていた。この建物のつくりは、何が近いんだろう……病院? ロの形になった建物の真ん中が中庭だが、ここがまた……宮殿ならイングリッシュガーデンにしたり、お洒落な空間だと思う。
リアムのバラの箱庭やお茶をしたハーブに囲まれた芝のお庭と違い、ただの土がむき出しの庭だった。もういっそ庭という肩書を捨ててもいい。あれだ、学校の校庭ってやつ。走り回って武器を振り回して訓練する場所でしかない。
「殺風景だな……花を植えてみようか」
中庭をにらみながら、食堂の奥にある調理場に足を踏み入れる。ちなみに途中で掴まり、部屋から回収した靴を履かされた。オカン属性のノアが消えたと思ったら、靴を取りに行ってくれたのか……優しいな。きちんと感謝してから足を浄化して履いた。
過去の世界なら、部屋にオカンが入ったら恥ずかしかったと思う。お姉さんの写真がいや~んな雑誌とかね。この世界だと収納魔法があるから平気だけど。
「あ!!」
いきなり大声を出したので、靴ひもを結んでいたノアが顔をあげた。材料の野菜や肉を切っていたサシャやライアンも注目する。
「オレの黒歴史が……ぐはぁ、もっかい死ねるぅ……」
不吉な言葉を吐いて蹲るオレの姿に、傭兵達は焦った。何か攻撃があったのかと周りを囲み、警戒を露わにする。ベルナルドは剣の柄に手を置き、ジャックは銃を抜いた。ノアはオレを守るように体を盾にする中……レイルがげらげら笑いだした。
「おまえ、本っ当に飽きない奴」
「いや、だってさぁ。転生する前の部屋にエッチな雑誌置きっぱなしなんだもん。絶対に親が見つけてるぞ。恥ずかしいとか通り越して、もう泣くしかない」
うるっと目が潤むくらいに衝撃は大きい。この場で危険が迫ったわけじゃないと知り、ジャックが「おまえな~、騒ぎが大きいんだよ」と突いた。蹲った状態で転がりかけ、ノアに寄り掛かる。苦笑いしたライアンがぼやいた。
「おい、キヨも手伝え」
野菜を刻みながら文句を言われ、気持ちを切り替える。もう戻れない世界の黒歴史を嘆いても、手は届かないし魔法も無効で何も出来ない。過去は捨てて前向きに生きよう! めっちゃ恥ずかしくて泣きそうだけどな。
「野菜はスープに入れるから……あ、昨日の鳥骨つけた鍋は?」
「あれなら洗ったぞ」
けろっと答える傭兵の……名前が出てこない奴の頭をぺちんと叩く。美しく磨かれた鍋が手から落ちて転がった。派手な金属音がしたので、食事係の傭兵達が振り返る。
「阿呆! あれは出汁を取るから保管って言っただろ」
「悪い、おれが捨てていいと許可した」
部下を庇うジークムンドをじろりと睨み、腕を組んで溜め息をつく。部下を庇う上司、非常に優しく美しい光景だが、失われた鳥ガラ出汁は戻らない……というわけで。今日のスープの味が落ちるのは確実なのだ。罰ゲームは免除出来ない。
「わかった。2人とも中庭を10周。全力でね」
軽くはないが、処罰というより悪ガキのイタズラを叱る程度の運動を言いつけた。オレの話を聞け、特に食べ物関係は大事だぞ。異世界チートの美味しい鳥ガラ出汁が……。
膝から頽れそうになりながら、磨かれた鍋にひとまず水を張る。そこへ野菜を入れ、細かくカットした硬い筋肉を放り込んだ。これで多少なり味がでるだろう。
「キヨ様」
「なに」
「……キヨ様が自らお料理を?」
愛用のエプロンを付けながら振り返り、少し首をかしげて気づいた。そうか、ベルナルドは初めてここに来たから、オレの日常を知らないんだ。ぽんと手を叩き、予備のエプロンを差し出した。嫌な予感に顔を引きつらせるお貴族様へ、にっこり笑う。
「ベルナルドも料理覚えようか。ひとまず、鍋の灰汁取りを任せる」
やり方を説明する役をノアに押し付け、手持ちの肉を確認する。宮殿の料理人から分けてもらう肉は、騎士団と同じレベルで柔らかい。煮込み用の硬い肉は鍋に入れたので、豚っぽい脂つきの肉を薄切りにした。まず魔法で宙に浮かせて、風の刃を使って薄く削いでいく。
魔法カットのよいところは、その間手元で別の作業が出来ることだ。手が増えた感じを想像すると近い。削いだ肉が手元に落ちて、用意した粉をまぶした。ちなみに片栗粉が手元にないので、小麦粉をまぶす。タレがよく絡めばいいんだから、どっちでも同じだろう。
ここで料理番組並みの知識があればこだわるかも知れない。焼き菓子用の粉を流用した手元の肉を、隣で待つノアに渡した。油を敷いた鉄板で肉が焼かれていく。両面焼けたら、さらに向こう隣でジャックがタレを用意していた。
どこの工場かと思うほど、手慣れた流れ作業だ。タレを潜らせた肉を、数人の傭兵がパンの間に挟んでいく。きゅうりっぽい何かを一緒に挟むよう指示したが、今日はレタス系の葉物野菜が未入荷だった。
今後はメニューに合わせて入荷をお願いしておこう。あれこれ改善点を確かめながら肉を削ぐ。考え事してても手を切る心配がないのも、魔法の便利で役立つ部分だな。振り返ると、後ろでベルナルドがあたふたしていた。
「ベルナルド、難しい?」
「どれだけ掬えばいいか、わかりませんぞ」
うーん、隣のボールを見る限り掬いすぎだよね。この勢いではスープ本体がなくなってしまう。そちらの手伝いに回るので、肉のカットを風魔法が得意な怠け者に任せることにした。足元の影に声をかける。
「ブラウ、手伝って」
『主ぃ、僕は聖獣様なんだよ?』
「わかった。じゃあ、聖獣様はお食事抜きで」
『ぼ、僕が仕事しなかったことあるぅ?』
間抜けな声で必死に追いすがる青猫に、にっこり笑って肉の塊を指さした。
「あれと同じにカットして」
『承知ですぅ』
青猫に任せて、ベルナルドの手元を覗き込んだ。ちょうどそこへ走り終えたジークムンドが戻ってきた。手を洗ってきたと示す彼とその部下を手招きし、ベルナルドの補佐につける。
「鍋の管理お願い。ちゃんと灰汁を掬うこと、量を出来るだけ減らさないこと、美味しくな~れと願うこと。以上」
「あいよ、ボス」
息を切らす部下と正反対に、けろりとしたジークムンドは簡単そうに請け負った。まあ彼は野営の時もそれなりに料理が出来たから任せても平気だと思う。いそいそと全体を見回し、手の空いてる連中を呼びつけて皿や食器の準備をさせる。
そろそろか……。
「セイ、おはよう」
黒髪の美しい天使が今日も舞い降りた。大急ぎで駆け寄り、収納から取り出したクッションを硬い椅子に敷く。シフェルはまだ調べ物をしているらしく、お供はクリスティーンだった。予備のクッションを彼女にも渡しておく。やはり女性に優しくは標準装備だ。
気づけば、毎朝一緒に食べるのが当たり前になっていた。よく侍女達から許可が出たと感心したが、リアムが脅したと知ったのは昨夜だ。なんでも「セイと朝食を食べてはいけないなら、食べない」とのたまったとか。ただでさえ細い身体なんだから気を付けて欲しい。
別に豊満じゃなくていいが、健康的なラインまでふっくらした方が可愛いと思う。毒見役を置くくらい狙われるせいか、食が細かった。だから彼女が食べるなら、場所はこの際目を瞑る決断をしたのだろう。侍女の方々に安心してもらえるよう、しっかり食べさせるつもりだ。
「皇帝陛下、ご尊顔を拝し……」
「はい、そこまで。畏るの禁止」
挨拶を始めたベルナルドを遮った。この場はいわゆる無礼講というか、階級で彼女を孤立させたくない。遮られたベルナルドはそれ以上余計なことを言わず、無言で頭を下げた。
ちなみに彼はオレの予備エプロンしてることを忘れてるんじゃないかな? 強面とエプロンは意外性があるけど、なかなか興味深い組み合わせだった。クリスティーンがくすくす笑ってるのは、絶対にエプロン姿だと思うぞ。




