158.常識の違いはあちこちに
「おはよう」
朝の訓練をしながら挨拶をし、挨拶の相手にナイフを投げる。弾いたジャックが「おう、おはよう」と返しながら、銃口を向けた。物騒なようだが、日課なのでどちらも慣れたものだ。とんと地を蹴って横へ飛び、銃弾を避けた。
動体視力がよくなったのと、何より反射神経が異常なほど発達した。この世界のチートの恩恵なので、ありがたく享受している今日この頃……後ろから飛んできたナイフに、間に合わず結界を張る。キンと甲高い音がしてナイフが弾かれた。
「おっと、あっぶね」
転がって近くの茂みに飛び込んだオレは、真っ赤な短髪をくしゃりとかき上げる情報屋に銃口を向けた。彼らの結界は弾を弾けないので、ちゃんと足を狙う。が、トリガーを引くより先に後ろから首に剣先を突き付けられた。
ぴたりと肌に触れる金属が冷たく、びくりと首を竦めてしまう。
「はい、おわり」
レイルが終了を告げて手を叩くと、それを合図にぞろぞろと傭兵連中が出てきた。見た目はいつも通りの訓練だが、腕に巻いた赤と青のスカーフを外しながら集まってくる。色は違うが、紅白戦ってやつだ。前は鍛えるためにオレ対傭兵だったが、傭兵の人数が増えたこともあり2組に分かれて戦闘訓練を行うことを提案した。
普段は仲間の奴らと戦うと、自分が自覚していなかった欠点が見えて非常に効果が高い。
「はぁ……疲れた。腹減ったな、ベルナルドも一緒に食べてく?」
「よいのですか? ぜひ」
オレに剣を突き付けた男は、悪びれもせず鞘に戻した。近づいたレイルが呆れ顔で注意点を洗い出す。
「キヨ、後ろから狙われると左に逃げる癖を直せと言っただろ。右に逃げれば前侯爵殿に捕まる心配はなかったんだ」
罠を仕掛けたのだと言われ、なるほどと頷く。この癖が他者に知られれば、実戦でも危険に晒される。常に結界を張っていればいいが、気を抜いたところで今の様に癖を突かれたら危険だった。素直に意見を聞きながら、朝ご飯のメニューを考える。
「つい同じ方向へ転がっちゃうんだよな」
頭ではわかっていても、反射的に同じ方向へ逃げてしまう。対策を考えながら、残り食材をメニューに組み立てた。余った野菜のスープは昨日浸けておいた骨の出汁を使って、パンに焼いた肉を挟めばいいか。
「キヨ様は右足から踏み出す癖がありますね。左足を前にして構えてみたら、逆方向へ身体が逃げるかもしれません」
茂みに待機しながら観察していた元騎士ユハの助言に「おお、明日試してみる」と頷いた。すたすた歩いてきたが、足元を見て溜め息をつく。靴履いてなかった。
「オレ、寝室から飛び降りて裸足じゃん」
「なんで寝室で靴脱いだ?」
「履いたまま寝ればいいだろ」
不思議そうにジャックやノアに指摘され、逆に驚いた。そうか、日本人だから靴脱いでたけど……西洋系の文化圏である中央の国は靴履いてる……ん? 寝るときも?
ジャックやベルナルドを含め、全員が靴を履いている。煙草を燻らせながらついてくるレイルは当然だが、マジで履いてないのオレだけか。
「だってベッドで靴履いてるのかよ」
戦場でテントに寝た時は靴脱いでただろ。その指摘に彼らは顔を見合わせ、肩を竦めて「常識ないからな」とハモった。ディスられてるわけじゃないが、ちょっとムッとする。この世界の常識がオレの知る常識じゃないのは仕方ないとして、どこの小姑だと疑うような細かい部分も違うのが苛立つ。
呆れ顔のジークがぼそっと指摘した。
「ベッドの横に置かねぇのか?」
靴を置く場所らしいが、オレは部屋の様子を思い浮かべた。この官舎がまだ臨時宿舎呼ばわりされてた頃、部屋の壁は2日目くらいにぶち抜かれて寒かった。家具は机と椅子、硬いベッドだけ。まるで牢屋のようである。
現在はドラゴン殺しの英雄殿として帰還した上、北の第二王子をお預かり……という名目ができた。追加で皇帝陛下の分家で辺境伯家当主になったこともあり、ベッドに柔らかスプリングマットがつく。それから机と椅子は前と同じシンプルな木製だが、ソファも増えた。ついでに床に敷く絨毯をもらったのだ。
うっとりしながら、リアムに下賜された絨毯の手触りを思いだす。部屋の穴も修繕されたので隙間風もなくなり、快適な私室である。その部屋の入口に専用の箱を用意して靴を入れていた。下駄箱替わりだが、野菜を納品した農家さんの箱をお借りしてる。大きさがぴったりなんだよ。
「部屋の入口だな」
靴の置き場を答えると、ベルナルドが首をかしげた。
「部屋ではスリッパですかな?」
「いや、素足」
「「「はぁ?!」」」
めっちゃ「バカでしょ」という目で見られた。解せぬ。なぜ靴を脱いではならんのだ。部屋の中だぞ? オレの勝手じゃないか。そもそも日本人は靴を脱いで……ああ、この世界が西洋系だからか。くそ、どこかの国で東洋系があれば……。
「柔らかい絨毯もらったんだもん」
口調が幼くなったのは、あまりにも皆が驚いていて……しかも周囲に伝播してるから。さすがに太い神経のオレも傷つくぞ。ペタペタ歩く先で、ひとまず建物に入った。




