155.後出しじゃんけんは邪道
「は……え? なん、どっ?」
はい? え……なんで、どうして? 混乱しすぎて声が喉に詰まったオレの腕を引っ張り、ジークムンドが走り出した。すぐに自分で並んで駆けながら、状況を尋ねる。
「何が、あった?」
「いきなり変な貴族がきて、この土地は、渡せないって」
頭の中に様々な可能性が浮かぶが、あの土地はリアムが下げ渡した。皇帝が英雄に褒美として与えた土地なら、直轄地だろう。そうでなくとも、何らかの事情があって宙に浮いた土地だったはず。シフェルやウルスラが手続きをしたのに、手落ちがあったとは思えない。
「おい、キヨ」
「ジャックはシフェルに連絡! ノアはついてきて」
指示を出しながら足を進める。魔力感知を切らずに生活するようになったオレは、後ろにぞろぞろ連なる傭兵連中に喝を入れた。
「いいか! オレらの孤児院を守るぞ!!」
「「「おう」」」
事情を知るウルスラかシフェルが派遣されるまで、ひとまず「渡さないぞ」と意思を示す必要がある。一番最初に聞いた話では、宮殿と街の間にある土地はオレの屋敷を建てる予定だった。だから持ち主が名乗り出る筈がない。
オレの自宅予定地に、孤児院を建てようとほったて小屋を置こうとオレの勝手じゃないか。
駆けつけた先で、大所帯の貴族御一行様を発見した。すでに基礎工事を始めていた業者が、困惑顔で立ち尽くしている。
「ああ、エミリアス辺境伯殿か。わざわざのお運び痛みいる。シュタインフェルト王家の第二王子殿下とお呼びした方がよろしいかな?」
「シュタインフェルト家でもエミリアス家でも、あなたが上位だと思う方で呼んでいただいて結構」
わかりやすい嫌味に、笑顔で切り返した。全力疾走したが、息が切れることもない。それは後ろの傭兵連中も同じだった。鍛え方が半端ないからな、フルマラソンくらい毎日こなせるぞ。
どっちの名で呼ぶか、にやにやしながら待つ。両方の名を持つオレをやっかんで放った嫌味を、答えられない方法で切り返した。
北の王家の名を呼べば、自国の皇帝陛下を蔑ろにしたと取られかねない。だが皇族の分家を選べば、北の王族に喧嘩を売った形になる。どちらも口にできず、ぐっと詰まる男が押し退けられた。
別の男が進み出て、優雅に一礼する。傲慢に顎をそらして受けるが、身長差でどうしても見下ろされてしまった。くそっ、子供の外見は便利だが見下ろされるのは腹立たしい。
「英雄殿はこの土地を使いたいようだが、ここは先祖代々我らラスカートン侯爵家の所有だ。きちんと筋を通してもらおうか」
どこの893のセリフ? 下っ端が最初に脅して、親分がやんわり嗜める手法だろ? 使い古されてパターン化された手は通用しない。ただ、どちらの家名も使わず「英雄」と呼んだ点は合格だ。
がくんと下がったオレの下顎だが、慌てて手で支える。一人コントだが、後ろで戸惑うノアをよそに、傭兵連中がくすくす笑い出した。オレの顎が外れそうなのがそんなにおかしいか? おかしいだろうさ、こんなのオレだって笑うわ!
「……あんたが、ラスカートン侯爵? 違うじゃん」
貴族名鑑に乗っていた顔と一致しない。何より、ラスカートン侯爵の父親はオレに忠誠誓っちゃったんだけど? 知らないの?
オレの呟きに、男が眉尻を上げて不快だと示す。だが、間違いなく顔が一致しない。中央の国の貴族から覚えるのは基本だし、なにより上位貴族から覚えるから「侯爵」なんてシフェルと並んで、すぐに記憶した。
「まあ、ラスカートン侯爵ならそれでいいや。次の手は何?」
「……聞いていた以上に生意気、いえ口が悪いようだ」
「素直なだけで口は悪くない。どちらかといえば、性格が悪いんだと思うけど」
自分自身を貶すように切り返し、相手の反応を伺う。確かに貴族の反応だが……ラスカートン前侯爵ベルナルドに似てる気もした。遠い親戚かな? 程度には似ている。記憶をさらうが、すぐに出てこなかった。
くそっ、これじゃ役に立たない。いざと言うときに使えないなら、もう一度覚え直しだった。
ぶわっと生温い風が吹いた。首をすくめる冷たい風じゃなく、ねっとり汗を滲ませる熱い風でもない。気持ち悪い感じがした。首筋にかかる髪を手で押さえる。
「キヨ、どうする?」
「うん? どうもしないよ。こちらの自称侯爵家の皆様にはお帰りいただくだけだ。近衛騎士団長がそろそろ来るからね」
にっこり笑ってカマをかける。偽者だと公言された反応で、相手の正体を暴く気だった。しかし彼は平然としている。侯爵家に所縁の人物で間違いはなさそうだ。しかし貴族名鑑に乗らない貴族なんていたか?
笑顔を崩さないが、頭の中はフル回転だった。様々な可能性を考えるが、そもそも貴族階級なんてない世界から来たオレに、貴族の裏事情を思いつけるはずがない。
転生チートは、この世界にない知識や概念を持ち込むから強いんだ。元からある常識に、何も知らないオレが太刀打ちできるわけない。焦るが、こう言う時ほど無言の威力は大きかった。
帝王学の端っこを齧らせてくれたリアムとシフェルのおかげで、崖っぷちで持ち堪えるオレ――早く来い。強く願うオレの足元から、のそりとヒジリが顔を見せた。
『主殿、この者は……』
「うん? 知ってるの?」
黒豹は匂いを確かめるように鼻をひくつかせ、分かりやすく顔をしかめた。長い尻尾がぱしんと地面を叩く。
『この者は、あの……』
『ごついおっさんの弟じゃん』
ブラウが途中からさらったセリフに、全員が驚いて顔を見合わせる。
『ぎゃああ! ごめん、許してぇ……主、たすけ……っ』
ヒジリの話を途中で遮った罰として、青猫は首を齧られ影に引き摺り込まれた。どう見ても、黒豹に捕獲された獲物だ。ご愁傷様、ほぼ自業自得だろ。
影から飛び出したスノーが肩に乗り、コウコもするすると足を伝って腕に巻き付いた。
『あんなの怖くて見てられないわ』
コウコが逃げるような仕置きが施されているらしい。影の中を覗く能力がなくてよかった。興味半分で覗いたらトラウマになりそうだもんな。
「えっと話を戻して、ベルナルドの弟? あれ、オレが知る貴族名鑑に兄弟はいなかったけど」
第一、年の差がありすぎる。息子で通る年齢差だぞ。髭を蓄えたベルナルドの姿を思い浮かべた。変だなと唸るオレの独り言に、後ろから声がかかる。
「エミリアス辺境伯殿。これは亡き父と娼婦の間に生まれた婚外子で、侯爵家とは無関係ですぞ」
まさかのラスカートン前侯爵閣下の登場ですよ。ごつい筋肉のおじさんは、けろりと侯爵家の内情を口にした。傭兵連中がいても気にした様子がない。
ラスカートン侯爵家では、周知の事実なのだろう。だが、周囲のお取り巻き貴族は違ったらしい。青ざめて数歩下がった。
ラスカートン侯爵家が表に立つからと安心して、生意気な子供に喧嘩を売った。辺境伯で皇族の分家を名乗り、北の王族となった異世界のクソガキをやっつけるつもりで、目つきが悪い男の口先に乗ったのだ。飛び乗った豪華客船が、実は船底に穴の開いた沈没間際の小型船だったときの心境は,いかばかりか。
救助用の浮き輪を投げてやるほど、オレは親切じゃないぞ。溺れる敵は、頭を踏みつけて水底へ沈めるタイプだ。
「キヨ、何事……ラスカートン前侯爵ベルナルド殿もいらっしゃいましたか」
シフェルはわざわざ、ベルナルドを肩書き付きで紹介する。前侯爵本人が否定した以上、ラスカートン家の名を使えなくなった男は、青ざめた。だが逃げ出す様子はない。
何が目的か。あれこれと脳裏に浮かぶ仮定は、後でリアムを交えて答え合わせと洒落込もう。斜め後ろに立つベルナルドを振り返り、にっこり笑った。
「主として命令するよ、あのゴミを片付けて。オレの作る孤児院計画を邪魔したからね」