152.平凡と呼ぶには異常な朝
夜明け直後に飛び込んできた奇襲のナイフを避けて、ナイフ片手のノアを蹴飛ばす。転がって受け身をとったノアを避けて、窓の施錠を外した。以前は窓を身体で打ち破ったが、修理費が出るまで寒い思いをしたお陰で、建物は極力壊さない方向性で打ち合わせが出来ている。
昨日は昼間から貴族と口でやり合った。午後に義兄や従兄弟とあれこれ準備し、夜は踊る間もなく狙撃されたり毒を盛られる。いろいろ詰め込み過ぎの1日が過ぎれば、朝から日常の戦闘訓練が始まるのはお約束だった。
逆に、これがないと1日が始まった気がしない。
「いくよ」
開けた窓の下に声をかけてから飛び降りる。何も言わずに飛び降りて、下にいた奴を骨折させた経験が生きていた。飛び降りる途中で風の魔法を放ち、落下スピードを調整する。ついでに落下地点も変更した。
少し先の茂みの向こうに着地すると、すぐに転がって移動する。感じた魔力の主は、少し先の木の枝に陣取ったライアンだった。狙撃銃が狙う地点を予想して、もう一度地を蹴る。
「鈍ってるぜ、キヨ」
「そうでもないと思うよ?」
飛び退いた先でオレの小柄な身体を捕まえたジャックが笑うが、腕に囚われたはずのオレの手は、空中で取り出したナイフを喉に押し当てた。両手を離して「降参」と肩をすくめる強面に手を振り、次の攻撃に備える。
最近は互いに弱点を洗い出して、そこを徹底的に攻めるよう話し合いをさせた。傭兵は自己流の動きをする者が多く、騎士や兵士にはない強さがある。その分だけ癖が強くて、数回対戦すると癖が見えてくる。
彼らに言わせれば、同じ敵と何度も戦うことはないらしい。なぜなら敵は殺してしまうか、自分が死ぬためだ。どちらかが排除されれば、確かに同じ相手と戦う可能性は低くなった。
「もしもだよ? オレが敵で二つ名持ちの傭兵を殺そうと考えたら、使い捨ての駒をいくつかぶつける。離れて観察して弱点を見抜いたら、そこを突いて戦う」
そう告げたら、ジャックやジークムンドの顔色が変わった。彼らはバカじゃない。可能性をきちんと説明して、危険度を示してやれば、結論を導き出すことが出来るはずだった。
「ったく、元気だな。昨日はお披露目と夜会だったんだろ?」
呆れたとぼやきながら、銃口を向けるジークムンドへ、じりじりと距離を取りながら笑いかけた。寝起きで結んでいない白金の髪が、首筋の汗に張り付く。
「だから元気なんだよ。やることが見えたからね」
自分の役目がはっきりした。形になった目標を引き寄せるために、何が必要か判断できる状態になったのだ。
知らない場所に放り込まれ、常識も考え方も違う異世界で揉まれた。平和な世界から危険な命がけの戦場に来た変化も大きいが、守りたい人がいて、一緒に頑張ろうと思える仲間も出来た。
ぼんやり流されて生きていく時間はない。貴族の口撃だろうが、弾丸飛び交う戦場であっても、負けてやり直す余裕はないのだ。
ジークムンドの指が遠慮なくトリガーを引いた。
「よっと」
掛け声ひとつで、飛んできた弾丸を避ける。この世界の人間には不思議がられるが、銃口が向いている方向から己の身をズラすだけだ。これは勘のいいプレイヤーだと、サバゲーでも出来る奴がいた。
オレはこの世界でチートを得て初めて出来るようになったが、トリガーを引く瞬間の僅かな気配は独特だ。注意して見ていれば気づける。逆に言えば戦場ではあまり役立たなそうな能力だった。
混戦状態になったら、周りを観察して銃弾避けるより、万能結界を張る方が圧倒的に早いし確実だから。それでも今のように1対1なら使える技術なので、磨いておくに限る。いざというとき鈍ってたら目も当てられないぞ。
耳の脇を過ぎる銃声が熱を伝える気がした。ぞくりと背筋が震える。毛を逆撫でされる気分だった。銃弾が飛んできた方向へ、腰のベルトから抜いたナイフを投げる。反射的な行動は考えるより早かった。
「悪い!」
先に謝っておく。銃を狙ったナイフが、ジークムンドの手に掠めた。咄嗟でずらすのが間に合わなかったが、彼は赤くなった手で降参を示す。戦線離脱の合図だ。駆け寄って血で赤くなった手に、絆創膏を握らせた。
「本当にごめん。もったいながらずに使えよ」
部下にすると決めたからには、傭兵とのコミュニケーションを疎かにする気はない。彼らはオレの仲間だ。金銭面だけじゃなく、戦争で他国の兵士や騎士に負けて数が欠ける可能性なんて考えたくもなかった。必ず生き残るように、たとえ敵に捕まっても諦めないように、彼らに教えたい。
こうしてケガ人に絆創膏もどきを渡すのは、破格の対応だと知っていた。傭兵に大切な治療用品を渡す騎士や兵士はいない。そこらに生える薬草に詳しくなるくらい、物が足りない境遇で生き抜いた傭兵に「ちゃんと使え」と命令するのはオレの仕事のひとつだった。
命じないと、彼らは「もったいない」と保管するのだ。前に渡した絆創膏を使わない姿をみて尋ねたが「戦場で死にそうなときに使う」と答えられて、唖然とした。鳥属性で治癒を使える連中はいるが、数が少ない上に魔力を消耗する。金を払うか、同じ班を組んだ仲間でなければ、治癒魔法を使わない。
自己治癒力だけで生き抜くなんて、魔法のある世界とは思えないほど原始的だった。便利な絆創膏もどきは金で買える。多少高額でも、普段から使わせて生存率を上げるのは上司の役割だろう。
「いいか? 絶対に使え」
上司として命令し、ジークムンドが頷くのを確認して走り出す。まだ朝の訓練は15人ほど残っている。休みのメンバーもいるが、基本的に30~35人を勝ち抜くのが定番のコースだった。ちなみに今日は32人である。
少し先で3人が一斉に銃口を向けた。結界を張らずに切り抜けるため、地を蹴って飛び上がる。目線より上の敵は狙いにくいのセオリーに従い、彼らの頭上を飛んだ。持っていた銃口を左の男に向け、右手に取り出したナイフで牽制する。
手を挙げて武器を捨てた彼らに笑いかけ、そのまま近くの木の枝に飛びつく。ナイフを収納へ放り込んだ。枝に立ったオレは、後ろで聞こえた物騒な音に首を竦める。撃鉄を上げる音はいつ聞いても首がひやりとした。
「シフェル……?」
降参だと手を挙げたのは、ライフル銃が至近距離で突きつけられたため。ゼロ距離とは言わなくても、かなり近い距離で構えられたら降参だった。
「よく気づきましたね」
「魔力感知、切ってないから」
「だったら近づく前に対処してください」
「はいはい」
叱られながら戻ってきたオレに、傭兵達が口々に声をかけた。
「お疲れ、ボス」
「おはよう。今日の料理当番はボスだろ?」
「じゃあ期待できるな。頼んだぜ」
好き勝手なことを言いながら、泥や葉っぱがついた男たちが肩を叩く。頭をぐしゃぐしゃ撫でられ、乱暴に背中を叩かれた。しょうがねえ奴らだと思いながら、どこか嬉しく感じる自分がいる。こんな仲間、学生時代もいなかったから。
受け入れられた現状が、擽ったい。乱された髪を手で梳きながら、朝食のメニューを考えるのは気分がよかった。
「今日は魚のトマトスープと、キャベツのサラダ……うーん。肉は何があったかな」
保存した食材を思い浮かべながら、オレは調理場へ足を向けた。ついてくる傭兵達が口々に希望のメニューを並べるが、決定権は調理人にあるからな。いろいろな物を食べさせた結果、傭兵の舌が肥えたため贅沢なラインナップが普通になった。
教官としての役目が終わったシフェルがこの場にいる不自然さを見落としたオレは、調理を終えた食事を運びながら驚いて立ちすくむ。ごつい犯罪者を収容した刑務所の食堂みたいな光景に、可憐な皇帝陛下と煌びやかな近衛兵が混じっていた。
「な、なに、してんの?」
「セイが料理を振舞うのであろう? 余も食べたい」
ストレートに要求を伝えられ、熱いスープの鍋を抱えたまま……オレはへらりと顔を笑み崩した。よく料理や掃除は嫁の仕事だと豪語するおっさんが前世界にいたが、正直、オレは己に能力があれば「してあげてたい」尽くす男だ。
もちろんリアムの手料理も食べたいが、彼女が美味しいと食べてくれるなら頑張ってレパートリーも増やすし、調味料の開拓も全力で臨む。異世界のお約束は日本料理によるチートだろう。




