149.いわゆる「頭が真っ白」状態
何が起きたのか――きょとんとして目の間のご老人を眺める。掴んだ手というより、指輪に頭を下げてる気がした。頭がぐわんぐわんして、何も考えられない。
「ワガキミって、誰?」
思わずカタカナになってしまった。指輪を見るなり跪いて忠誠を誓われても、意味がわからない。呆然とするオレをよそに、面白そうな見物人の顔でレイルが「ふーん」と声を上げた。固まったまま動けないシン、シフェルは怪訝そうで事情を掴めてないのが一目瞭然だ。
「あなた様ですぞ」
「ですよね~」
オレの手を握ってるんだから、そりゃそうだろ。じゃなくて!!
「あの、理由をお伺いしても?」
思わず丁寧な口調になるのは、取り乱してる証拠だ。ベッドに腰掛けて、やや足が届かない状態の子供に忠誠を誓う元軍人らしきご老人――うん、意味が分からん。後ろでブラウが大きく尻尾を振ったあと、飛び掛かるように背中から肩によじ登った。
「いてっ」
爪を立てるな、この猫めっ!! ブラウなりに気を使ったのか、小型サイズだった。大きかったら間違いなく顔面からベルナルド老人に激突してる状況だぞ。器用にバランスを取る青猫は、じっくりとラスカートン前侯爵の顔を眺めた後、興味を失ったように飛び降りた。
こういうとこだぞ、ブラウ。お前が大事にされないと嘆くのは、オレを大事にしない代償だと思え!! 爪が刺さった肩が痛い。
『それは使えそうだよ、主』
「人様に、ソレ呼ばわりするな!」
『聖獣だもん』
猫の癖に……あれ、この世界だと聖獣が一番偉いから、リアルに人間様より偉い猫様なのか? 混乱を極めるオレに、ご老人は苦笑して手を離した。丁寧に礼をして後ろに下がり、白い髭を手で触る。その後ろ姿へ、シフェルが質問した。
「ラスカートン前侯爵ベルナルド殿。あなたは皇族分家のキヨヒト様に忠誠を誓うと申されたが、今の発言に相違ありませんか」
「ありませんな」
当然の様に肯定する彼は、矍鑠という単語が似合う。いわゆる元気良くて丈夫そうなご老人へ使う言葉だが、背筋も伸びてピンシャンしてる。
ずっと黙っているリアムに気づいて問いかける視線を向ければ、口元に手を当てて考え込んでいた黒髪美人が顔を上げた。目があって反射的に口元が緩んで笑みを浮かべてしまう。同じように微笑み返してくれたリアムの可愛いこと……人目がなければ抱きしめたい。
目を細めたオレの耳に、扉の閉まる音と足音が飛び込んだ。窓際で火を付けずに煙草を咥えていたレイルが戻ってきたのだ。この場で事情を説明してくれそうなレイルに視線を向けるべきなのだが、リアムと見つめ合って動けなかった。
今のオレはリアム中心だ。
「ベルナルド殿は、陛下に忠誠を誓っておられたはず」
「そうですな。ですが、今は隠居の身です。老い先短い私が新たに仕える主を見つけられたのは、幸運でしょう」
遠回しに今後の主人はオレで、皇帝陛下じゃないと言い放った。その真意がわからず、困惑するオレ達の間に、レイルが割りこむ。
「指輪を見てその判断をしたのか?」
「そうですな」
全員がオレの指輪に注目した。この場で指輪の由来を知っていそうなのは、レイルとベルナルドだけだ。
「レイル、この指輪なんなの?」
聞き方は雑だが、得体が知れないものが指に絡まっている状況で、あまり理的な言動をオレに求めないで欲しい。いや、普段から理性ないんじゃね? とか言われそうだが。
「んん? そうだなぁ。この世界の奴なら大抵知ってるが『支配者の指輪』って名前がある」
「それがっ!?」
「え? なんでキヨの指に!」
「本当か?」
シン、シフェル、リアムの順で驚かれた。ちなみにオレは「何それ?」と首を傾げて終わる。レイルの言う通り、異世界人には伝わらない話らしい。
自動翻訳は『支配者の指輪』と告げたが、そもそも支配者って……偉い人的な意味の支配者か? だったらオレじゃなくて、皇帝陛下であるリアムの指に相応しいだろう。
「リアムにあげるよ」
「……譲渡できるなら、いいんじゃないか?」
意味深なフラグを立てるなっての、レイル。むすっと口を尖らせながら手を指輪に乗せて引く。動かないので、今度はぐりぐり回してみる。動いたから引っ張る……動かない。
数回全力で繰り返して肩で息をしていると、後ろからブラウとヒジリが覗き込んでいた。魔力のお漏らしを舐めるのは終わったようだ。
「あ、ちょうどよかった。ヒジリ、これ外せるか?」
『無理だ』
いきなり否定から入る会話は嫌われちゃうぞ。心の中で茶化しながら、ヒジリの前に手を差し出す。めちゃくちゃ痛いし、嫌だけど。
「噛んだら取れない?」
何をと問うなかれ。指を噛んだら、指輪が取れるだろ。その直後にヒジリが治癒してくれたら、指は治る!
賢いじゃん! オレだってただ黙って噛まれるだけじゃないんだぜ!?




