144.失礼ながら……だったら口を慎め
小さな球体を作り出し、イメージを膨らませる。体のラインにぴったりと沿った薄い膜……でも硬くて防弾できる強度が必要だ。完全に透明で、気づかせないように張り付けた。
「キヨ、なんだこれ」
レイルが服の上をぺたぺたと擦る。当人は包まれている感覚があるのだろう。息が出来るように加工することも忘れない。あれだ、新素材で内側から蒸気や空気を通すのに外は完全防御。全員にまとわせたが、まだ魔力が余っている。興味半分でヒジリに巻いてみたら、拒絶された。
『主殿、ヒゲと耳はならぬ』
前に耳を摘まんで叱られたのを思い出し、聖獣だし死なないから安全だと結界を解除した。ふんふんと毛皮を匂った黒豹は、全身の毛づくろいを始める。なんか気持ち悪いんだろう。
「悪い、もうやらない」
『……だが、たまになら触れても』
触れないのはそれはそれで気に入らない。なんとも複雑な心境を呟くヒジリの頭を撫でる。それから後ろの5人を振り返った。リアム、シン、レイル、シフェルとクリスティーン。全員狙われる可能性が高いメンバーだ。今回の断罪っぽい口撃の助っ人や協力者なので、口封じされないための結界だった。
「結界張ったから銃弾は防げる。でも注意してね」
「あら、私にも? すごいわね、魔力量が増えたのかしら」
クリスティーンは久しぶりだから、オレの使う魔力の多さに驚いた様子だ。その隣で旦那シフェルが説明していく。そう、聖獣4匹と契約したために増大した魔力は余っているのだ。今や、この程度の使用量で魔力切れや魔力酔いを起こす脆弱キヨヒトではない。
「いい、特にリアムはシフェルから離れないで」
「わかった。合図を待つ」
恋人同士の甘い? 会話を邪魔するヤンデレ兄が「すぐに助けを求めなさい。側にいるから」と存在感をアピールした。それを「邪魔すると蹴られるぞ」とレイルが回収していく。意外といいコンビだな、あの2人――。
頷きあってヒジリと一緒に外へ出た。階段を下りるオレの右肩にスノー、左腕に絡みついたのはミニチュア龍になったコウコだ。ヒジリを連れて歩くオレの足に絡むように八の字歩きをする青猫ブラウが、時々尻尾や足の先を踏まれて悲鳴をあげた。
おかげでいい感じに目立っている。そもそも聖獣とは各国に1匹ずつ配分され、滅多に領域を移動しないらしい。それを4匹も従えた子供はさぞ目障りだろう。大陸最大の国の皇帝陛下のお気に入り、北の王族の仲間入りをしたクソガキ様だ。
さあ、仕掛けてこい。
「あの……キヨヒト様ですわね」
早速現れたお嬢さんに、笑顔で何も言わない。ご令嬢に挨拶せず、手を差し伸べるでもない態度は、貴族として不合格だろう。だが、これには切り返す理由が存在した。
「私とお付き合いいただけませんか?」
どういう意味で? そう問い返す顔をしながらも、また無言を通す。まるで言葉を忘れたように、口を開かないのが作戦のひとつだった。
足元のヒジリはそっぽを向いてしかめっ面で、ブラウは伸びをして身体を解している。いつでも飛びかかる準備はできているらしい。ちらちらと攻撃の合図を待つのはやめてくれ。
「にわか王族風情が、ラカーニャ伯爵令嬢に対し失礼だぞ。この方は……」
「あら、よろしいのよ。キヨヒト様は特別ですもの」
おおらかで優しい女性像を植え付けたいのか。愚かな自作自演の演劇をしっかり確認して、オレはようやく口を開いた。
「マナーの勉強をして出直されるがいいでしょう、ラカーニャ伯爵令嬢とお取り巻きの方」
ぴしゃんと言い捨てて歩き出す。この程度の奴を潰してもしょうがない。一応、あの黒いリストに名のある貴族だから、足を止めた。刺客としては役者不足も甚だしい。
「待ちなさい!」
後ろから伸ばしたお取り巻きの男性が伸ばした手は、髪か肩に触れる前にブラウが叩き落とした。低い位置でゆらゆら揺れる尻尾は、攻撃態勢に入ったことを示している。機嫌が悪いぞと示す青猫は、まだ小型化したままだった。
「ペットの躾は!」
「飼い主の役目、ですか? ならばお答えしますが、青猫は聖獣です。貴方より階級は上ですね」
「っ! 聖獣がこのような小型の猫のはずがない!!」
男を侍らすご令嬢の顔が引きつる。それを見て、形勢不利と判断した男は慌てて喚き散らした。おかげで衆目が集まる。
「ブラウ、元の姿に戻れ」
普段は使わない命令口調に、青猫はにやりと笑った。瞬きほどの時間で、猫は黒豹のヒジリと遜色ない大きさになる。
「納得しましたか?」
「だが、ご令嬢への態度は別だ」
なんとか立て直そうとする男の哀れな姿に、仕方なく付き合ってやることにした。大量にかぶっていた猫を脱ぎ捨て、口調もがらりと変えた。
「マナーどころか、常識まで弁えないバカに教えてやるよ。オレはにわかでも王族だ。お前達は一貴族であり、伯爵家とその腰巾着でしかない。勝手にオレの個人名を呼ぶ許しは与えていないはずだ」
まずはひとつめ。
「貴族階級の最低限のマナーとして、下位の者が上位者へ話しかける際は声がかりを待つ。どうしても話しかける用事があれば、先に名乗って発言の許しを得る――それも破ったな」
これがふたつめ。
「上位者が口を開かない拒絶を示したのに引かず、勝手に話し続けた挙句、オレの行く手を遮ろうとした。身体に触れる許可も与えていないぞ。だからブラウが動いた」
さて、どうでる?
「……上位者であってもご令嬢を侮辱するのは」
まだ食い下がってきた。あきらめの悪い男だ。ならば、お前が大切にする青ざめたご令嬢の名誉がズタボロになるまで、お相手してやるよ。引き下がっておけばよかったと後悔するのも、自業自得だろ。逃げるための時間も、言い訳もオレは見逃してやったんだから。
「ご令嬢? オレには、身もちの悪い女にしか見えないな。お前みたいにレベルの低い男を侍らせて悦に入る女など、社交界で相手にする意味はない。わからないか? お前が大切だと女を庇うたびに、女の価値は落ちてるんだよ。最初に言っただろ『お取り巻き』だと」
おべっかを使い、主人を持ち上げるだけの太鼓持ち。みれば彼女の後ろには、さらに3人もお取り巻きの男を引き連れている。これで「未婚の純潔」だと言われて信じる貴族がいるか? どう見てもアバズレの所業だ。
きっぱり切り捨てたオレに、ご令嬢とやらが泣き出した。その後ろの男が短剣に手をかけるが、あえて見逃してやる。切りかかれば不敬罪だけじゃなく、親族ごと巻き込んで絶滅させてやるからな。オレの視線の先で、男は怯えるように手を震わせた。
ほら、抜け。抜いてみろ。促すオレの視線に気づいたレイルがじりじりと位置を変える。いつでも飛び掛かれる位置で、すでに飛び掛かろうとしたシンを食い止めていた。
お兄ちゃん、暴走しすぎ。手出しするまで、待て!
『主ぃ、僕……お腹すいちゃった』
空気を読まないバカ発言ではなく、威嚇しつつ低い姿勢を保つ青猫は鋭い爪を見せつけながら舐める。どうやら襲う許可をくれと強請る配下を鎮めるご主人様を演じさせてくれるらしい。珍しく気の利くブラウに声をかけようとしたオレの前に、別の男が滑り込んだ。
「失礼ながら、いささかお言葉が過ぎるかと……」
「だったらお前も口を慎め」
反射的に言い返す。目を見開いた男は、初老と呼ぶには若く見えた。40歳代、男盛りの美丈夫だ。顔立ちは整っており、もう少し白ければロマンスグレーと呼べる髪は撫でつけられていた。額にかかる髪は黒に近い濃茶だ。
相手が名乗るのを待ちながら、オレは記憶の中から名前を弾き出した。
――リーゼンフェルト侯爵、今回の騒動の黒幕と目される大物だ。躾の悪い犬をたたけば、その飼い主が出てくるだろうと踏んだが、本当に出てきた。やっぱり「ざまぁ」系ラノベのテンプレはこの世界でも通用する。
顔の良さを生かした傲慢な態度で応じながら、オレは次の手を打つべく指先で合図を送った。




