140.作戦会議は夜会の片隅で
用意された茶菓子やお茶や酒を前に、誰も手をつけない。先ほどの毒殺未遂騒動があったばかりだから、毒味役が必要なんだろうと紅茶に手を伸ばした。
カップを持ち上げた途端、咎める眼差しと言葉が降ってくる。
「キヨ、やめなさい」
「お前は本当に懲りないなぁ」
シンとレイルの言葉の後は、呆れまじりの溜め息を吐いたシフェル。クリスティーンはくすくす笑い出した。そして誰より強烈なストップをかけたのは、隣にいるリアムだ。
ぐいっと手首を掴んで、首を横に振る。青ざめた顔色が心配になり、カップを置いて座り直した。リアムの顔がよく見えるように座ったので、兄シンに背を向ける。
「セイ……もうやめよう」
ぽつりと呟いたリアムが唇を噛む。悔やんでいる表情から察して、次の言葉をオレが先にさらった。
「オレが傷つくくらいなら、離反者探しはしなくていい? でもさ、オレはやられっぱなしで引く気はないよ」
「でもっ」
「考えてみて。ここでオレが手を引いたら、負けが確定じゃん。今後何をするにも、この負けは尾を引く。戦わずに引いたと言えばカッコ良い? オレには尻尾を巻いた負け犬にしか思えない。そんなのゴメンだ」
絶句する大人達を無視して、オレはにっこり笑って見せた。
「あと……忘れてるみたいだけど、有能で頼れるオレの聖獣ヒジリは治癒と解毒が専門だぞ。こんなの消そうと思えばすぐ消せる」
「なら消してくれ」
縋るようにリアムが悲痛な声を出す。やっぱり事前に相談するべきだった。前世界でもホウレンソウって言うじゃんか。何も知らなきゃ、事実と演技の境目がわからなくて、困惑するだろう。それだけ迫真の演技をしたと誇れる状況じゃない。
オレがしたことは、必要な手を打たずに恋人を不安に陥れた最低行為だった。
「わかった。全部話すし、これも治すから……作戦は続けるよ」
こくんと頷いたリアムの蒼い瞳は潤んでいた。ここでリアムの性別を知らない唯一の人間が騒ぎ出す。
「キヨ、やめなさい。同性同士は不毛だから」
「……シフェル、お兄ちゃんに話すぞ」
話が進むたび、無自覚に邪魔をされると困る。今後のこともあるし、説明すべきだと提案した。少し迷うシフェルはクリスティーンと視線を交わし、リアムへ決断を委ねる。彼女は意外なほど簡単に頷いた。
「重要な話するから、ちょっと結界張るよ」
イメージするのは、防音バッチリの曇りガラスの部屋だ。外から人影はわかるけど、それ以上は見えない。音も漏れない。魔力を注いで丁寧に結界を作った。ついでに防弾効果も付けておく。
この世界の結界は魔力が込められた弾丸を弾けないから、誰かが狙撃したら驚くだろう。
「シン、絶対に外へ出せない話をするけど秘密守れる?」
「……お兄ちゃんと呼びなさい」
ここで羞恥プレイを要求するとは、ヤンデレ兄は厄介だ。仕方ないので溜め息をひとつ。わざとらしく吐いてから言い直した。
「お兄ちゃん、絶対の秘密があるんだけど……」
「お兄ちゃんに話してごらん、秘密は守る」
「「「…………」」」
視線で尋ねるレイル以外の面々に、いちいち頷いてやった。あとで説明してやる。くそ、何かするたびにあちこちへ説明義務が付属するのって、カミサマの呪いか? 異世界人の宿命だったら嫌だ。
「ブレねぇなぁ、シン」
呟いたレイルが煙草を咥えるが、さすがに火をつけることはしなかった。咥えたまま様子を見ている。足元のヒジリを撫でて、いつの間にか長椅子の余りに座ってるブラウに苦笑いした。猫ってよく隙間見つけて割り込むよな~。
「リアム……皇帝陛下は実は女性なんだ」
「キヨ、幻覚や幻想は」
「本当です」
オレの告白に哀れみの目を向けるシンの気の毒そうな口調、彼に事実だと突きつける容赦のないシフェル。驚きすぎて絶句したシンは、オレを指さし、その後リアムも指さした。ぱくぱくと動く口は声を発っしない。あまりのパニック振りに「失礼だぞ」と注意する気もなく、彼が落ち着くのを全員で待った。
『主殿、時間があるなら傷を治すぞ?』
「あ、うん。頼む」
思ったよりシンの混乱が長引いたため、空気を読んでじっとしていたヒジリがのそりと起き上がった。……ん? ちょっと待て? この場で治す……ということは。
ヒジリが鼻を服の中に突っ込んだ。前に垂れてる布を押しのけ、下の着物を二つに割って足に湿った息がかかる。怖い、痴漢される女の子の気分がわかってしまった。相手がヒジリだと理解しててもこれだけ怖いんだから、知らないおっさんの手だったら声が喉に貼りつくのわかる。
「ヒジ、リ」
『大人しくしておれ』
何この傲慢さ。痴漢のくせに! 意味の分からない罵りをそのまま声にする前に、丁寧に血を舐め取られた。ふわっと痛みが消える。ほっとして力を抜くと、すぐにヒジリが出てきた。にやにやするブラウの鼻先を容赦なく叩く。
『主、ひどい』
「お前の顔の方が酷い」
ぴしゃりと切って、膝に手を置いてのそりと身を起こす黒豹に向き直る。やるしかないのか? ヤンデレ兄と恋人の前で……あのベロチューを……。
「ヒジリ、他に方法は?」
『我が吐いた唾か血を飲んでも効果がある』
「血で……お願いします」
寄ってきたブラウが風を操り、ヒジリの指先を傷つける。ベロチューなら痛くないのに、申し訳ないことをした。目の前にお座りした黒豹の手を持ち上げて舐めようとしたら……なぜかヒジリに飛び掛かられる。長椅子の背に寄り掛かったオレにベロチューするヒジリの口が生臭い。つうか、血の味がした。
「やめっ……こら……ぶっ」
流し込まれた血を飲んだオレの喉が動いたのを確認し、ヒジリがのそりとまた足元に座る。見るとブラウの切った傷が消えていた。
「おま……、え? なんで?」
血をオレに舐めさせるんだよな? 最終的にベロチューなら唾液でいいじゃん。むっとしながら言葉にならない文句を吐き出すと、ヒジリは不思議そうに首をかしげた。隣でなぜか感激して口元を手で覆って目を潤ませるリアムが切ない。婚約者が獣ベロチューされたら、怒って欲しかった。
オレが思うより愛されてないのか?
『主殿の希望通り、血にしたであろう。何が不満か』
「全部不満だよ!! オレの傷舐めた口でベロチューも、血をくれるって言ったのに唾液だったのも納得できない」
全力の抗議は、後ろで大爆笑したレイルに台無しにされた。
「あはははっ、おまえ……っ、マジ……もう、無理」
涙が出るほど笑いながら腹を抱えて苦しそうな男に、収納から取り出したナイフを投げておく。げらげら笑いながらも受け止めたレイルは、まだ笑いの発作が収まらないらしい。先日借りたナイフを返したオレは、傷が治った足を撫でながら紅茶で口を濯いだ。
ついでに開いたままの収納空間へ、ぺっと紅茶を吐き捨てる。最近知った便利な使い方なのだが、液体を捨ててもちゃんと単独で取り出せた。忘れて全部出す呪文を使うと、中に入ってた物が水浸しになるトラップ付きだが、ちゃんと使える。
「なあ、収納の絆創膏使ったらよかったんじゃないか?」
ようやっと一息ついたレイルの指摘に「あっ」と気づく。この世界に来たばかりの頃にお世話になった絆創膏もどきだが、最近は聖獣ヒジリが便利すぎて忘れていた。足の傷はすぐに貼ればもう治っていただろう。
「もっと早く言ってくれ」
「お前の収納見て思い出したんだよ。あと……」
「まだ何かあるのか?」
ケンカ腰の口調と尖った声に、レイルは肩をすくめて耳元のイヤーカフを弄る。あれは通信用に彼が使っている魔道具のひとつだった。何か情報が入ったのだろう。
「さっきの狙撃犯の黒幕、見つけたぞ」
お茶に手を伸ばしたシフェルが顔をあげ、リアムは息をのんだ。シンは黒い笑みを浮かべて先を促す。そんな緊迫した場面で、レイルは意味ありげに口元を緩めた。




