137.チート無効じゃん
飛び掛かったヒジリに倒され、ソファの上に転がる。後ろにいたシンを下敷きにしたオレは、慌てて立ち上がった。ヒジリを押しのけると、するりとソファの下に下り……いや、落ちるの表現が近い。
「ヒジリ?」
『主殿……伏せよ』
言われるまま、素直にソファと机の間に座った。きょろきょろ見回すと、全員が床に伏せている。シフェルは銃の安全装置を外し、どこからか引っ張り出した銃を握るレイルも床に這いつくばっていた。状況が理解できていないのはオレだけらしく、シンもソファからずるりと床に伏した。
「え? なに……」
意味が分からず、ずり落ちたヒジリに手を伸ばすと……ぬるりと濡れた。独特の感触は血だ。戦場で何度も触れたぬめりある温かな液体に、びくりとして肩を揺らす。ヒジリはじっと動かない。その背にもう一度触れた。
『大人しく伏せてろっての、主。狙撃だ』
ヒジリに伸ばしたのと逆の手を噛まれ、ブラウに床へ倒された。狙撃……つまりどこかから撃たれた。濡れたヒジリの背は、オレを庇って代わりに当たったのか。ぞっとした。銃声もなく、魔力も感知しない距離から撃たれたら……チートも役に立たないじゃん。
青猫は小型化するとソファの上に飛び乗り、コウコとスノーを床に引きずり落とす。そのまま影の中に収納し、自らも一度飛び込んだ。すぐに顔を見せ、ヒジリの尻尾を咥えて引っ張る。しかしヒジリは唸って尻尾を振り払った。
「ヒジリ、中が安全なら一度潜った方がいい」
雰囲気が緊迫しすぎてて、ぴりぴり張り詰めた空気が痛い。黒豹を押して影に入れようとするが、踏ん張るヒジリの爪が絨毯を傷つけただけ。唸りながら威嚇の姿勢を崩さないヒジリに、オレは眉を寄せた。再び甘い香りが鼻をつく。こんな場面で何だけど、苛立つ匂いだった。
聖獣だから死んだりしないと思うけど、盾になる気ならやめて欲しい。そこで思い出した。盾だ! オレは銃弾を防ぐ結界が使えるじゃないか。戦場を離れてすっかり忘れていた能力だが、ここで使わずいつ使う!
大急ぎで魔力を半円形のドーム型に広げる。透明で硬くて、魔法も銃も剣も防げる万能結界――イメージしながら魔力を高めて自分達を覆った。範囲は隣の床のレイル、向かい側のシフェル、シン、聖獣、オレだ。個々に覆うと複数制御が難しいので、ボールを伏せた形で家具ごと覆った。
「結界張った」
「遅えよ」
即座に文句を言ったが、レイルだってオレが万能結界張れるの忘れてたろ。覚えてたらすぐに叫んでたよな? まあ、それはシフェルも同じだけど。シンだけが事情を知らないため、不思議そうな顔をした。
ほっとした顔で身を起こすシフェルが銃の安全装置をかける。レイルは慣れた手つきで銃を民族衣装の胸元に隠した。王族がそんな場所に武器もってるの、おかしいぞ。夜会の入口で取り上げられちまえ。
「しょうがないだろ。忘れてたんだから」
言い返しながら、ヒジリの背中をチェックする。黒い毛皮が濡れているが、どこをケガしたのか見えなかった。ごそごそ撫でまわしていると、ヒジリがぺたんとお座りした。いわゆる犬のお座りの姿勢だが、ころんと金属音がする。
「ん?」
『主殿、もう銃弾は抜けたゆえ傷も塞がる』
「うん? めっちゃ強いな」
よくわからないんだが、今の金属音は抜けた銃弾が落ちた音か。きょろきょろと床を探すオレの前に、ブラウが銃弾を転がしてくれた。あれだ、ほら……猫が爪の先でちょいちょいとネジを遊ぶみたいな感じ。拾うとまだ少し温かく、ひしゃげた形に眉をひそめた。
こんなに曲がるなんて、めちゃくちゃ痛かっただろう。同情しながらヒジリを撫でると、ぐるぐると喉を鳴らして満足気だった。
「キヨ、結界について説明してくれ」
「え? レイルに聞いて」
シンの言葉を聞き流しながら、暇そうなレイルに役割を振った。魔力感知の範囲が一番広いのは、この場ではオレだろう。ひとつ深呼吸してから意識を集中した。普段展開する直径は20m前後だが、宮殿内は人の動きが多くて疲れるので10mに絞っている。それが裏目に出たのだ。
まずは放射状の網を放つイメージで探る。僅かに左後ろに反応したぴりぴりする魔力へ向けて、水の波紋を放った。網目だと穴が多くて見落としが出るが、広範囲が調べられる。波紋に切り替えると近距離のみだが、見落としなく確認が出来た。
状況に応じて使いわける魔力感知だが、最近になって波紋も方向や範囲を絞れば結構遠くまで探れることが分かった。左後方に感じた距離はおよそ60m……意外と近い。目を閉じて集中するオレに話し掛けられず、シンはレイルに詰め寄った。答える友人の声を聞きながら、掴んだ場所を確かめるために目を開ける。
「見つけましたか?」
「あっち、距離60mだけど……」
指さした方角にあるのは建物だった。オレの魔力感知だと高さが出ない。もっと詳細に感知する方法は模索中だが、戦場だと平面で用が足りるんだよな。複数階の建物だと屋上と1階部分の判断がつかず、困惑してしまった。
「十分です。あとはこちらでやります」
シフェルは襟につけた記章に話しかけた。方角と距離を指示して、流した魔力を断つ。話しかけるときだけ魔力を込めるのは、通信機能の電源が自らの魔力なのだろう。初めて見る魔道具にオレは興味を惹かれた。あとで教えてもらおう。
『主、僕が捕まえちゃった』
いつの間にか姿を消したブラウは、とんでもない発言とともに影から顔を見せる。巨大な元のサイズでのそりと部屋に現れ、両手で抱えきれない尻尾を左右に振った。




