136.ヤンデレの取扱説明書
「起きて……いい?」
上目づかいでお願いしてみる。自分で言うのも何だけど、着飾って薄化粧をされた美少年の外見はこういう時に威力が半端ないはず。恐怖に潤んだ目が庇護欲を誘うらしく、シンが冷たい指で乱れた髪を撫でながら首を横に振った。
「もう少し寝てなさい。毒で身体が辛いはずだ。そうだ、兄が膝枕をしてやろう」
めっちゃ首を横に振りたいが、逆らうのも怖い。葛藤で動けない間に、膝枕された。撫でる手は優しくて、少しずつ温もりが戻ってくる。あの恐ろしいヤンデレ状態を知らなければ、今まで通り優しくて大人な兄だった。
享年24歳だけど、外見に釣られて中身も12歳……だいぶ子供返りしたオレは、紫の瞳を伏せる。大人しく目を閉じて横になっていれば、シンも落ち着いてきたらしい。
「毒の種類はわかりますか?」
「赤黒の蛇毒だな。あれの甘さは独特だ……お茶がえらく甘いんで気づいた」
「熱に弱い毒をお茶に?」
シフェルが眉をひそめて首をかしげる。蛇毒は常温または冷やした方が効果が高い。温めると毒の効力は半減するはずだった。
「ん? 用意されてたお茶は冷たかったけど」
口を挟むと、シンの手が口元を覆った。黙ってなさいというように、ゆっくり首を横に振られる。だからお口はチャック――オレはもう何も言わない。
「夜会の控室に、冷茶ですか」
何かの隠語なのだろうか。レイルやシンが肩を竦めた。するとシフェルが丁寧に頭を下げる。礼儀作法の先生よりよほど洗練された、美しい貴族としての拝礼だった。あれ? 拝礼ってカミサマにしか使わないんだっけ? まあいいや。いわゆるお辞儀だ。
「北の王族シュタインフェルト家の皆様に対し、このような無礼を働く者がいるとは……まことに申し訳ございません。皇帝陛下を含め、わが国の総意ではありません」
「わかっています――が、愛する弟に危害を加えられて、黙って見過ごすことはできません」
なんだろう。この茶番劇……最後まで見ないといけないのか? 口を塞がれたまま、じっと目だけで3人の表情を見比べる。楽しそうな表情のレイルは鼻歌でも歌い出しそうだし、逆にシンは悲痛な表情を作ってた。向かいのシフェルは頭を下げたままだが、口元が嫌な感じに歪んでる。
絶対に三者三様に悪だくみしてる顔だ。
「お詫びを用意させていただきます」
「物は要りません。者なら受け取りましょう。どうぞ、誠意あるご対応を」
脅すようなシンの言葉に、顔を上げたシフェルが「これから悪代官に賄賂を渡す商人」みたいな顔で頷いた。この場に至り、彼らの茶番の内容に思い至る。
品物や金で誤魔化せると思うなよ、ちゃんと下手人を差し出せ。身代わりは許さん。直訳するとこんな感じだろうか。うちの義兄、想像より黒いな……王太子だから当然か。
「夜会はいかがなさいますか?」
「せっかくですから、皇帝陛下に拝謁させていただきましょう」
ようやくここでシンの手が口元から離れた。柑橘系のすっきりした香りがする手は、引いた血が戻ったのか温かい。ほっとしながら、シンの指先を握る。気づいて顔を向けた兄に、お強請り第2弾を発動した。
「ねえ、もう起きてもいい?」
「ああ、そうだね。身体は楽になった?」
「うん、ありがとう。お兄ちゃん」
解毒剤を使った設定なので、頷いておく。ついでに膝枕のお礼も忘れない。こういう部分の積み重ねが、ヤンデレに「待て」させる有効な手段だって、ラノベに書いてあった。
あのバイブル的なヤンデレ本、この世界に持ち込んで愛読しておきたい。逃げるヒントになりそうだもん。ブラウが前世界に顔を出すときに、ぜひあの本を探してきて欲しいものだ。まあ、タイトル思い出せないけど。
面白そうな顔でシフェルが見ている。絶対に後で「お兄ちゃん」の呼び名で弄られるだろうが、ヤンデレフラグを収める方が優先事項だった。揶揄いは我慢できるが、ヤンデレに首を掴まれたら闇の底に沈められる未来しか見えない。
深窓のご令嬢よろしく、抱き起された。怖いので手が振り払えずに大人しくしていると、当たり前のように膝の上に後ろ抱きに乗せられる。なぜだ? 解せぬ。
兄と弟の距離じゃなかった。髪を緩やかに編んだために、首筋が露わになったオレの無防備な肌に兄の吐息が当たるとか……マジ怖い。腹に回した手も離して欲しい。肉食獣が耳元に肉薄してると表現したら伝わるだろうか。
「お、お兄ちゃん。一人で座れるから」
「ダメだ。まだ顔色が悪い」
それは兄のヤンデレの闇を覗いた恐怖で、血の気が引いたせいだぞ。口にする勇気はないので、大人しく抱っこされておいた。珍しいものを見つけたような顔しないでくれ、レイルもシフェルも失礼すぎる。逆の立場ならオレも興味津々で眺めるけど。
3人掛けのソファの中央に座る兄の膝に乗るオレ、向かいで行儀悪く足を組んだレイル。姿勢よく立つシフェルに、空いているソファを勧めてみる。公爵家の当主だから、別に他国の王族と臨席してもいいんだよな? 勉強で詰め込んだ知識を、頭の中から引っ張り出す。
「失礼します」
きちっと礼をしてから着座する流れは、スムーズで洗練された感じだった。生まれながらのお貴族様はやはり違う。オレの頑張った感満載の付け焼刃とは、レベルが段違いだった。
「キヨ、まだ具合が悪いですか?」
「ううん。平気」
レイルが目配せしてくるため、ヒジリの治癒解毒能力には触れない。シフェルは知っているが、やはり口にしなかった。聖獣のもつ能力は意外と知られていないのかも知れない。
背中の温もりが眠りを誘う。うとうとしながら寄り掛かると、腹に回された手が外れて優しく頭を撫でられた。ヤンデレも上手に付き合えば使えるかも……使いこなせないと監禁コースだけど。ハードでも使いこなすのが、リアムをお嫁さんにする近道だ。
「髪を結い直す必要があるな」
撫でるのに邪魔な簪を外したシンが苦笑いし、隣のレイルが簪を受け取って溜め息を吐いた。
「お前が撫でまわすからだろ。あまり構いすぎると、ヴィオラの時みたいに嫌われるぞ」
「それはない。キヨはいい子だからね」
頭上で聞こえる声に目元を擦りながら欠伸をする。ヴィオラって、もしかしたら妹……じゃなくて姉? の名前だろうか。中身が24歳でも、25歳の女性は姉だ。
ふわりと花の匂いがした。百合みたいな香りのきつい花……何だろう。もうひとつ欠伸をしたところで、足元にいたヒジリに指先を噛まれた。がりっと骨に届く勢いで牙を食い込まされる。
「痛っ、こら……」
叱ろうとした足元で、ヒジリが唸っていた。何かに威嚇するような低い声の後、影から飛び出したブラウが毛を逆立てる。何かの攻撃があったのかとシフェルやレイルが武器を手に警戒する中、ブラウが風を起こして窓を破った。
「……何やってんの」
傷を癒すヒジリを撫で、起きてこないコウコやスノーの姿に首をかしげる。ヒジリとブラウがこれほど警戒する中、彼らが動かないことに疑問を覚えた。手を伸ばして触れると、爬虫類特有の冷たい鱗がひやりと指先から熱を奪う。
この部屋、寒くないよな? 変温動物の彼らが動かなくなるほど冷たいなら、どうしてオレらは平気なんだ? 指を動かしてぎこちない感じはしない。ならば温度ではないのか。可能性を潰しながら、答えを絞ろうとするオレの前で、ブラウが風を放った。
「ちょ……」
「何事ですか」
「わかんな……い」
レイルとシフェルの文句に、素直にオレも疑問を口にした。まだ状況が理解できていない。ただ分かっているのは、何者かが危害を加えようとした形跡があり……ヒジリやブラウが怒っていること。それからコウコとスノーが戦闘不能の事実だけ。
ひとまず冷たい聖獣を2匹抱き上げる。小型化しててくれて助かった。コウコが元のサイズなら宮殿が壊れただろう。冷たい彼らを胸元で抱き締めて温める。少しずつ温もりを移すオレは、この状況にありながら警戒心が薄い。実感したのは、押し倒された後で……事態は予想外の方向へ進んでいた。




