135.毒はほんのり甘口で
夜会では入室の順番が変わる。下位の者から入り、上位貴族は控室で順番を待つのが決まりだった。近くの部屋がざわざわうるさいので、伯爵や侯爵の入室が始まったらしい。まだ音が遠いので、公爵家は残っているだろう。
部屋に用意されていたお茶のポットを手に取り、中に入っていた冷たい紅茶をカップに注ぐ。騒いでいたら喉が渇いた。自分の分だけ用意できないのが日本人の性だ。後ろを振り向いて声をかけた。
「お茶飲む? レイル、お兄ちゃん」
「……次からは私を先に呼んで欲しい」
なぜか切なくお願いされてしまい、慌てて言い訳をした。
「え、こういう場合オレの世界だと、親しい人を最後に言うんだけど」
そんな習慣に心当たりはない。さらりと嘘をついて誤魔化した。やばいぞ、オレの性格変わりまくりだ。人殺しが平気になって、引き篭もり野郎が断罪ゲームできるコミュ上級者にジョブチェンしてる。ついに笑顔で嘘をつけるようになった。
人でなし路線まっしぐらだ。
「でもお兄ちゃんが悲しむなら、次はお兄ちゃんを先に呼ぶね」
笑顔で懐柔しておくに限る。オレの汚い言い訳を信じたシンが、すまなそうに眉尻を下げた。
「そうか、キヨは私を親しい大切な人と思ってくれたのだな。異世界の習慣は知らないが、今後は先に呼んでくれると嬉しい」
いつの間にか「親しい人」が「親しくて大切な人」に出世してた。まあ、誤差の範囲だ。笑顔でスルーして小首をかしげる。
あざとい仕草だが、シンには効果が高い。
「お茶飲む? お兄ちゃん」
「ああ、キヨが淹れてくれるのに断る理由がない」
ちらっと視線を向けると、レイルが肩を竦める。久しぶりに再会した従兄弟の変貌ぶりに、距離を置いているが飲むようだ。
カップを3つとポットを乗せたお盆を運び、目の前で注いだ。思ったよりポットが重くて、多少こぼしてしまうが……そこは子供だから容赦してほしい。都合のいい時だけ子供扱いを望むオレは、左側のカップをシンヘ、右側のカップをレイルに渡した。
「ありがとう」
「お、悪いな」
受け取ったカップを口元に運んだレイルが、一口含んで噴き出した。カップを投げ捨てて、隣のシンのカップを叩き落とす。一緒に叩かれた手が赤くなっている。
「飲むなっ! 毒が……」
「え……毒?」
飲み干したオレは、顔を痙攣らせて空のカップをテーブルに置いた。喉が渇いていたので一気飲みしたが……確かにちょっと変に甘かったかも知れない。
口の中を舌で辿って、やっぱり甘いとベロを出す。甘いのは好きだが、この……子供の風邪シロップみたいな甘さはべたべたで苦手だ。そんなオレの仕草に、シンがあたふたしながら水を持ってきた。
「の、飲めるか?! いや、それより吐かせた方が……キヨ、どうしよう……私の弟がっ!」
「落ち着け、シン。まずは人を呼んで来い」
レイルが淡々とした冷たい声で放った言葉に、慌ててシンが外へ飛び出した。広い控室のドアを開き、廊下で警護する衛兵に身振り手振りで伝えている。焦り過ぎて、相手が理解しづらい状況なのは見て取れた。お陰で意図せぬ時間稼ぎをしてくれている。
慌てふためく兄を尻目に、従兄弟と毒の判定を始めた。
「そんで? 毒は何だった?」
「この甘さと匂いは……蛇毒だろ。あの赤と黒の毒々しいやつ」
すでに服毒の授業は終えている。ちゃんと単位も取ってるぞ……なんて茶化しながら、ヒジリを手招きした。心得た黒豹がべろりと顔を舐める。そのままのしかかって、獣臭いベロチューをかまされた。まあ今回は誘い受けた状態なので、生臭いのは我慢だ。
「うっ、ありがと……ヒジリ……でも今度口臭消し作ろう」
『主殿は迂闊よな。我が居るからよいものの、もし我と契約しなかったら、いかがする気だ』
「いや、ヒジリがいるから安心して飲めるんじゃん」
ぴんと尻尾と耳が立つ。喜びの感情を露わに尻尾を振りながら、首や頬についた唾液を舐め取る黒豹はご機嫌である。猫ってキス嫌いなはずだけど、なぜかヒジリは平気らしい。もしかして毛繕い感覚か?
残ったお茶を指先で味見したレイルが「げぇ」と渋い顔をした。
「この濃度だと殺す気だな」
大量に入っていると指摘され、収納からアイスクリームの木べらに似た金属を取り出す。色の違う金属で作られた大量のヘラは、キーリングのように輪に通していた。その中から銅の赤い板を選んで突っ込む。3秒数えて取り出すと、真っ黒に変色した。
「本当に致死量だ」
疑うわけじゃないが、きちんと証拠品を作っておく。ついでに残ったお茶をポットごと回収した。念のため、シンやレイルのカップやポットの中身も確かめたが、同様に一瞬で変色する。
証拠品を纏めて収納へ放り込んだオレの肩を、レイルがぽんと叩いた。顔を上げると、にやりと悪い笑みを浮かべた友人が、短い赤毛を弄りながら高そうなソファにオレを突き飛ばす。ごろんと転がったオレの上に、容赦なくカップの残りが掛けられた。
「服が汚れるだろ!」
「しぃ……苦しんだフリしておけ」
「え? 通用しないんじゃない」
オレが聖獣の主なのは誰もが知る情報だ。なのに毒殺未遂の被害者ぶるのは無理があるだろう。
「任せろって」
なかなか様になるウィンクを寄こしたレイルは、ソファで丸くなったオレの髪を優しく撫で始めた。
「キ、キヨ……もしかして」
「いや、まだ生きてるぞ。解毒したが、まだ回復してないだけだ」
けろりと舌先三寸で嘘を吹き込まれ、シンが青ざめたまま歩き回る。檻の中をぐるぐる歩く猛獣じみた迫力ある美貌の兄は、ぶつぶつと物騒な言葉を吐き始めた。
「キヨを狙うとは……絶対に許さん。殺す、いや、簡単に死なせんぞ。じっくり甚振って懇願するまで痛めつけて、泣き叫ぶ喉を切り裂いて……いや、磔にして殺す手も……見せしめは必要だ。だが……あまり本性を見せると、嫌われるかも……。そんな……弟に逃げられるなら、閉じ込めて! そうだ、閉じ込めればいいのか!?」
「落ち着け」
レイルがヤンデレ兄のセリフを止めた。やばい、マジに監禁されそうなんですけど? 恐怖で肌が粟立って、震えが酷い。ぶるぶる子猫みたいに震えるオレの髪に、シンの手が触れた。優しいんだけど、緊張や怒りからか冷たい指が、頬や顳を撫でる。
「キヨ、キヨ……助かるのだろうな、レイル」
「助けるさ」
「失敗したらお前の命もない」
血の繋がった従兄弟に対し、先日出来たばかりの弟を優先しないで欲しい。震えが酷くなるオレの様子は、よほど重症に見えただろう。実際、ある意味ハートブレイクだった。北の国の王族を選んで喜んでた少し前のオレ、今のオレに全力で謝りやがれ。
優しそうでちょろい兄だと思ったら、監禁系ヤンデレ野郎じゃねえか――怖い。
「こんなに震えて可哀想に。苦しいのなら代わってやりたい」
それは王太子として弟王子(意訳)に対して使う言葉じゃないと思う。2カ月前は存在すら知らない赤の他人だったからな? 落ち着け、シン。
心の中でぐちゃぐちゃ呟くオレの顔色は、恐怖で青ざめていく。異世界物で読んだ監禁系ヤンデレが脳裏を過った。手足切られたり、首輪つけられたりしない……??
「医者が来ました」
「おや、毒を飲んだのはキヨヒト殿でしたか」
医者を呼んだらシフェルが付いてきた。まあ騎士団長だから、城内で他国王族が毒飲まされたら駆け付けるのが仕事だろう。でも今はリアムの警護が最優先のハズ! 文句を言って追い返そうとしたら、レイルにぐっと体重をかけて押し戻された。
起き上がれずに薄く目を開くと、黒い笑みを浮かべた赤毛の悪魔が2匹いた……。視線をそらした先で、緑の目の鬼も微笑む。
「診察させていただきますね」
なぜか医者役を兼ねているらしいシフェルの手が首筋に触れる。そのまま編んだ髪を避けて額に手が置かれた。後ろで扉の締まる音がする。何やらシンが命じたらしく、部屋から人の気配が消えた。




