129.不用品は処分して
皇帝陛下のお気に入りという触れ込みに目が眩み、これほど振りまかれたヒントをすべて見逃した。同情する余地はないし、今後彼がオレ達の役に立つ未来はなさそう。ならば不用品はゴミ箱へ。
「シュタインフェルト?」
「そう、シュタインフェルトだよ。本当の家名はそっち。えっと……不敬罪だっけ? 一国家の侯爵風情が、北の王族となったオレより偉いの。ねえ……異世界人だから知らないんだけど、皇族の分家のエミリアスの家名って、そんなに軽い扱いされるのかな」
笑顔でクラッケン侯爵に首をかしげる。
「ひっ……あ、あああ」
失禁するほど喜んでくれたのはいいけど、化け物を見るような目つきは失礼だぞ。オレは異世界人だけど、一応人間分類だからな? 多少魔力多かったり、聖獣従えたりしたけど、人間扱いして欲しいなぁ。
にやにやと黒い考えを滲ませた笑みで近づき、立てなくなりへたり込んだおっさんの肩を叩いた。真っ赤な血がべったりとつく。普段近くで血を見ることがない貴族じゃ、さぞ怖いだろうな。でも切ったの、おっさんの短剣だから諦めろ。
「安心してね、オレは手抜きはしない主義だから。では後はよろしく」
捕縛するのは近衛兵や騎士のお仕事なので場所を譲ろうとしたら、しっかりと足元にしがみ付かれた。振り払うために蹴飛ばし、転がったおっさんの言い訳に口元が緩む。
「っ、あ……知らなかった! だから」
「へえ。知らなければいいの? オレの時は随分と罵ってくれたけど、自分は知らないで押し通せるつもりって、逆にすごいな。何その自分ルール。オレもあんたに適用してやろうか? 法律無視して格下貴族の資産をちょろまかし、他人の奥さんや娘に手を出しても……あんた、反省もしなかっただろ」
レイルの調査結果の紙を収納空間から取り出し、ばさっと男の上に投げつけた。
近衛騎士が剣の柄に手をかけてオレの後ろを守る。王族であると公表した以上、オレは警護対象だった。この辺は隊長のシフェルに言い聞かされていたのだろう。見せつけるように柄に置いた手が、彼らの心情を物語っていた。
最上の存在である皇帝陛下を蔑ろにし、国を食いつぶす害虫をようやく処分できるのだ。自然と口元が緩むくらいは、互いに見ないフリでやり過ごそうじゃないか。
「安心していいよ、オレはあんたの娘も嫁も興味ないから。無理やり手を出した挙句に、飽きたら奴隷として売り払うなんて真似……しないであげる」
ざわついた貴族が顔をしかめて、クラッケン侯爵を睨む。一部の男爵家や子爵家から啜り泣く声が聞こえた。家族に手を出された被害者かも知れないが、オレは何も気づいていない。そうじゃないと、他の奴がさらにちょっかい出すかも知れないから。
最上位の人間が「許す、手を出すな」と命じたら、それに従うのが階級社会のはずだろ。オレは階級社会自体を否定したりしない。これは必要悪なのだ。国のトップが明確で、その人物にきちんとした理念や能力があり、支える貴族や官僚がしっかり働くなら……最高の国づくりができる。
ラノベだと階級制度自体が悪だと断じてる場合もあるけど、この世界だとかなり昔から当たり前に存在した制度だった。それを外から来た奴がルール無視して、数年で無理やり方向転換したら、世界という船はひっくり返る。ここで必要なのは現状を活用して、全員が幸せになれる方法を考えることだった。
授業で習った失敗談がある。小作人だった奴に良かれと思って土地を与えて放り出した結果が、有名な農地改革だ。土地をもらい農作物をすべて自分達の手取りに出来る。一見素晴らしい施策に思えたが、種をまいて刈り取るまでの1年間に食べる物がない。小作人ならば食事も住居もすべて地主負担だったが、面倒を見る者がいなくなった小作人はその日から困窮した。
この世界でも同じことが起こりうるのだ。貴族を排除して皇帝も王族もなくしたら、誰が世界の悪を取り締まり、誰が農民や平民の生活環境を保証する? 税を納めて道路を整備してもらい、危険な魔物や敵国の侵略を防いでもらう。彼らはそうやって生きてきた。
何もない荒野に「明日から自由です」と身分制度を排除して放り出される改革など、国どころか世界が亡びるだろう。
『主殿、手をこちらへ』
イケメン聖獣のヒジリがぺろりと指先を舐める。少し指先がしびれてるから、もしかして護身用に痺れ薬でも塗ってやがったか? まあ問題なさそうなので、ヒジリに左手を咥えさせた。
「いてっ」
もぐもぐする口の中で噛まれるのは理解できん。いや、噛むかな? と思ったよ。コイツ、噛むの好きだから。でも本当に噛む必要ないだろ。傷の上に牙刺さったぞ、それ、かなり痛いからと心の中で文句を並べる間に、聖獣の唾液塗れの手は治癒された。
「もう終わったのか?」
残念そうな声で近づいた赤毛の青年が2人。オレの想定では駆け付け役は1人だったんだけど。顔を上げた先に、情報屋レイルと北の王太子シン。こうやって正装して並ぶと、どこか似てる。
「うん、シンの服カッコいいな」
「ありがとう」
落ち着いた所作で会釈するシンは、北の王太子だけのことはある。注目されることに慣れているし、見られる立場だったから立ち姿に隙が無い。北の王族であると示す民族衣装での正装は、どこか中国っぽい感じだった。日本と中国が混じった感じで、着物に近いが……ちょっと違う。
同郷の奴なら一発で伝わる『孔明の服』が使えないのは痛い。もしかして……転がる青猫を手招きすると、嫌そうに近づいてきた。ほんと、お前は何でオレと契約したんだよ。
「ブラウ、孔明わかるか? 諸葛孔明……」
『……げぇむにいた子なら』
子? 人じゃなくて? まあ、ブラウの知識は偏ってるから仕方ない。少しでも共有できるだけ良しとしよう。
「やった!! じゃあ、シンの服が似てるって思わない?」
じっくり上から下まで確認した青猫が首をかしげた。
『僕が知ってるのは女の子で、胸が零れ落ちそうなビキニ姿だったけど』
「オレの知ってる孔明じゃない」
がくりと項垂れた。前世界の話が通じるくらいの利点しかないくせに、肝心な時に役立たずな猫め! ごろんと転がして腹を撫で、首を擽り、悶えさせてみる。腹いせにはこれが一番だ。
「キヨ、キヨヒト!」
何度も呼ばれたらしく、オレは慌てて立ち上がった。苦笑いしたレイルがくしゃりと髪を撫でる。ちょ、今日はメイドさんが本気で整えたからやめてあげて! あとで叱られるのオレじゃん。
「聞いていなかったな。我が弟よ」
王太子シンの言葉に、素直に頷いた。何やら提案した様子だが、レイルがいる理由も知りたいのでもう一度の説明をお願いします。あと「我が弟よ」って強調してくれてありがとう。お陰で半信半疑の貴族も納得顔だった。
「ごめんね、シン」
「セイ、余とシン殿、レイル殿を交えたお茶会を行うゆえ……こちらに参れ」
「うん?」
オレ、リアム、シン……ここまで理解した。レイルって孤児で傭兵だよな? なんで皇帝陛下が、殿の敬称付けてるのさ。疑問を顔に盛大に表明しながら、いそいそと手招きに応じる。近づいた先で、リアムの白い手がオレの手を掴んだ。
「夜会まで時間があるゆえ、余に付きあえ」
嬉しそうに宣言してオレを連れ出すリアムの頬が少し赤い。よく見れば耳も赤い、かも。どうやら先ほどのやり取りの興奮冷めやらぬ様子だ。微笑ましい気分でオレも頬を緩めながら手を繋いだ。王族の肩書があれば、リアムと公式の場で手を繋いでも咎められない。
あのおっさんをやり込める前から、このための段取りをしてきたので喜びも大きかった。リアムの肩書は大きくて重い。それを担う婚約者となり夫に収まるには『英雄殿』では身分が足りないのだ。聖獣の主という称号が思ったより不安定だったのも影響していた。
一緒に庭園に出る。ぞろぞろと数十人を引きつれたリアムは、慣れた様子で庭の奥へ入っていった。途中で薔薇のゲートを潜れば、いつもの踊る薔薇が生い茂る秘密の庭園だ。ここは話が漏れない利点があるけど、なぜか聖獣とオレに蔦が絡んでくる欠点があった。まあいいけどね、払いのけるから。




