128.もったいぶるほど価値が上がる
掴んだ刃を離さないオレの後ろで、貴族達が右往左往した。悲鳴を上げて卒倒するご令嬢や奥様を、それぞれのパートナーが駆け付けて抱きかかえる。会場の壁際に置かれたソファはすぐ塞がり、仕方なく旦那や婚約者は女性達を外へ運び出した。
次期当主として参加した子供を守りながら逃げる侍従達。駆け付ける騎士が、人の流れに邪魔されて近づけない。慌ただしい状況をよそに、オレは刃を離さなかった。訓練でレイルに言われたとおり、強く握っても痛みは変わらないが刃は肉に挟まれて動かなくなる。端的に言うなら、抜けなくなった。
前にテレビドラマで観た、筋肉が硬直する云々を自分が身をもって試すことになるとは……あの頃は想像も出来なかったな。まあ、今でも出来るだけしたくない方法だけど。画面越しに観る分にはカッコいいよ、なんか主人公っぽいじゃん。
短剣を捨てて逃げるしか手がないおっさんが後ずさり、柄から手を離れる。そこを狙って、短剣を男の足元に突き刺した。青猫が『ちょ、僕の尻尾が……っ』と叫んで飛び起きた。短剣が刺さりそうになったのではなく、男に踏まれそうになったらしい。
「いっそ踏まれたら不敬罪が適用できたのに……」
ぼそっと文句を言えば、青猫が不満そうに唸った。
『僕の尻尾に、爪先が掠めた時点で不敬だからね』
床で寝ていたくせに叫ぶ青猫の不条理さに、くすくすと笑ってしまった。その間に指先から垂れた血がグラスを赤く染める。そうさ、赤ワインがないなら作ればいい。
「騒がしい」
皇帝陛下の一言で、ざっと場がひらけた。リアムの座る玉座から正面の奥に当たる、突き当りのテーブルまで見渡せる状態になる。クラッケン侯爵が短剣を抜いた時点で、ダンスフロアは人が消えていた。己の婚約者や奥方を連れて下がった貴族は壁の花と化し、関わらずにやり過ごそうとする。
再び日和見状態だ。その場に皇帝陛下のお声があれば、人がいないダンスフロア越しに当事者まで視線を遮らぬ形で避けるのが、貴族の保身方法だった。うっかり皇帝陛下の前で視線を塞いだら、とばっちりを受けかねない。
「お騒がせして申し訳ございません」
優雅に一礼して、血塗れの左手を後ろに隠して膝をつく。流れるような所作は、叩きこまれた礼儀作法に加え、戦場で鍛えた筋肉と体幹の賜物だった。ぐらつき、ふらりと傾く無様はない。こればっかりは、この世界で毎朝の戦闘訓練を潜り抜けた日々に感謝だ。
「エミリアス辺境伯、ケガをなさったのですか?」
シフェルが丁寧な口調で尋ねる。これも罠の一環だ。皇位継承権2位のメッツァラ公爵家当主が、公式の場で辺境伯に対する態度ではなかった。本来なら「ケガをしたか」と尋ねるだけで敬称すら不要だ。
にっこり笑うだけで即答しない。
「セイ、その血はどうした?」
こうすると事前に説明したわけじゃないから、不安そうにリアムが声をかける。こちらは皇帝陛下直々のお声がけなので、答えない選択肢はなかった。この世界で最大の領土と国力を誇る中央の国の、最高権力者のお言葉だ。オレにとっては最愛のお嫁さん候補でもあるが、答えない理由がない。
「短剣を受け止めただけです」
刃傷沙汰になったと聞いていても、ケガをした相手を知らなかった貴族がざわめく。さざ波のように広がる小声での情報交換と、不躾に向けられる視線にクラッケン侯爵が慌てふためいた。皇帝陛下の関心をひく事態になった以上、何もなかったでは済まない。
その途端、目の前のクソガキが『皇帝陛下のお気に入り』だったことを思い出した。焦る男の額に汗が吹き出し、膝をついて控えながら先手を打とうと試みる。
「皇帝陛下、これは……その、辺境伯が侯爵家に対して行った不敬への処罰……でして」
狐顔の男や周辺の取り巻きが慌てて擁護に入った。
「その通りです」
「この子供は身分もわきまえず、上位貴族に盾突き……」
すっとシフェルが手をあげて遮り、優雅に一礼してリアムに尋ねる。
「クラッセン侯爵、アダー子爵、ヤンセン子爵が直答を希望しましたが、いかがなさいますか?」
「知らぬ」
切り捨てたリアムの声はびっくりするほど冷たかった。眼差しはもっと冷たくて、切り刻む氷の刃って表現がぴったりだ。こんな表情や声色を持ってるなんて……リアムは多彩な面を持ってるんだな。カッコイイじゃん、オレの厨二心が擽られちゃうぞ。
ちょっとこう「闇の云々で左目が疼く」系の魔王様っぽい。どちらかといえば、オレが演じたい役だが……ここは将来に期待だった。女帝の配偶者になれば、いずれチャンスが来るだろう。
ほんのわずかに視線を向けられ、しっかりキャッチして微笑み返す。安心したように口角が少し持ち上がった。皇帝陛下として振る舞うリアムに尊敬の念はあるけど、嫌うなんてありえない。そんな可愛い心配をするお嫁さん(仮)が可愛すぎる件について……誰かと熱く語り合いたい。
「セイ、お前から話を聞こう」
リアムは3人を切る発言をした後、オレから話を聞くと言い出した。ダンスの予定をすっ飛ばして断罪へ直行してしまい、申し訳ない。本当なら一緒に踊ってから、やっかまれる予定だったけど。オレとしては必死で覚えたステップを披露したかった。リアムとひらひら踊りたかった。
「オレが、ですか」
にやりと笑うオレの顔は、悪魔そのものだろう。
「オレの説明だと、こちらの侯爵が納得しないのでしょう? それにヒジリ達への不敬もありましたので……」
わざと語尾を濁す。辺境伯は侯爵より下なので、本来は「侯爵閣下」や「侯爵様」といった敬称が必要だった。それを省いたオレの態度は、皇帝陛下のお気に入りでも不敬に当たる。
「構わぬ」
ここまでのアドリブは修正して、当初の予定へ戻さなくてはならない。ちらりと視線を向ければ、心得たシフェルが合図を送った。騎士団長の指示に従い、近衛騎士がオレ達の周囲を囲む。ターゲットを逃さないための包囲網だ。ついでに言うなら、クラッセン侯爵を見限って逃げた連中も外で捕縛された頃だろう。
「では……」
「貴様っ! 敬称をつけぬか!」
叫んだクラッセン侯爵は、自分がこの場で発言を許されていない事実を都合よく忘れたらしい。いままで皇族が貴族にどれだけ侮られてきたのか。この僅かなやり取りで嫌というほど実感できた。
皇帝陛下に直答の許しを得ずに発言し、咎められて謝罪をしない。さらには自分の権威や評判を優先して、皇帝陛下との会話を遮った。
皇帝など貴族の操り人形と陰で言ってのけた男だけのことはある。そのくらいの情報、証人も含めて確保してるんだぞ? 何の目算も証拠もなく、オレやシフェルが動くわけないだろう。バカな奴。
オレはね、ただ我慢してるだけだ。魔力を解放したら、この豚を一瞬でミンチに出来る。そんなことしなくても、聖獣達に声を掛ければいい。彼らも不快に感じているのだから、命じなくていい。勝手な行動を許してやるだけだ。元から我慢強い方じゃないから、そろそろ限界か。
勿体ぶった分だけ価値をあげたオレの、今の正式な肩書をお披露目といこうか。
「……陛下、よろしいですか?」
今まで愛称のリアムと呼んできたオレが、突然呼び方を変える。これが合図だった。頷いたリアムが大きな蒼い瞳を瞬く。視線を合わせて見つめあったまま、その赤い唇が動くのを待った。
「余はそなたにすべて許しておるぞ――キヨヒト・リラエル・エミリアス・ラ・シュタインフェルト」
「もったいなきお言葉です」
最敬礼で肯定すれば、会場内の貴族が一斉に息を飲んだ。集まった貴族には意味が伝わっている。
この長く舌を噛みそうな名前の意味は――キヨヒトという異世界人の個人名、聖獣の主であるリラエルの称号、エミリアスは辺境伯の家名であると同時に、皇族の分家を示す。最後に、王家と皇家しか使用できない『ラ』の尊称と北の王族である『シュタインフェルト』で締めくくった。
皇家の血族である公爵へ手が届く家名エミリアスの意味に気づけば、この作戦はそこで終わりだった。この国の筆頭貴族であるメッツァラ公爵家当主がオレに敬語を使った時点で、違和感を覚えないのは愚の極み。肩書と権力に阿る家業で、この失態は痛い。
一応彼にもチャンスは与えられていた。エミリアスの意味に気づくか、シフェルやヴィヴィアンが出た時点で引く手もあった。脅威でありヒントでもある聖獣を伴い、警告はしたのだから。




