127.赤くすればいいんだよな?
挨拶の後、ヴィヴィアン嬢に預けた白いスパークリングワインが返ってきた。周りのテーブルにも白ばかり。考えてみれば当然なのだが、始まってすぐは色が薄い白ワインが振る舞われる。赤ワインや蒸留酒など色の濃いお酒は時間が遅くなって出てくるのが一般的だった。
つまり作戦を作った時点で、シフェルに何らかの謎かけをされたらしい。視線を流せば、壇上で挨拶を受けるリアムの斜め後ろに立つ騎士と目があった。ブロンズ色の髪を丁寧に撫でつけ、澄まし顔で意味ありげに微笑んでくる。
妹であるヴィヴィアン嬢投入も、赤ワインが出ない時間と知りながら赤を指定したことも、彼なりの試験だろうか。この程度の困難は自力で乗り越えろと……要は皇帝陛下であるリアムの隣に相応しい存在の証明をすればいい。
意地の悪い教官に、察しの良すぎる生徒。
日本人の空気を読むスキルを舐めるなよ! 乗り越えてやろうじゃん。最低限必要な武器はすでに手元に揃ったのだから。
「調子に乗るなよ、くそがきが」
分かりやすい罵りをありがとう。先ほどの病的に白い肌の男に、オレは首をかしげて大きめの声で注目を集めた。オレが何かされる場面の目撃者は多い方がいい。逆もしかり、絡まれたオレが反撃するのも多くの目が必要だった。正当性を主張するために。
「……あんた、誰? オレにそんな口を利ける立場の人?」
皇帝陛下のお気に入りだぞ。そんなニュアンスに聞こえるよう、尊大な態度を作って応じる。貴族年鑑の顔はばっちり覚えさせられたので、当主クラスなら全員わかるが知らないフリをした。上位貴族にとって、己の顔を覚えられていないのは屈辱らしいから。
「にわか辺境伯よりは上だ」
「ふーん。でも名乗る家名がないんでしょ?」
名乗れるようなご立派なお名前ですか? 丁寧に翻訳しても嫌味でしかないが、男は瞬間湯沸かし器並みのスピードで赤くなった。うん、お元気そうで何より。
「おまえっ!!」
かっとなった男が殴りかかるのを、ひょいっと避けた。戦場に出たこともないお貴族様の拳なんて、オレに届くわけがない。弾丸が鼻先を飛んでく状況で生き残ったんだぞ? 舐めるな。ついでに牙を剥いたコウコがシャーと威嚇した。
「ひっ、ひいいいっ!」
すごい勢いで逃げられる。いや、コウコに失礼だろ……その態度。今の見た目は小さいから蛇だけど、世界で最高権威をもつ聖獣の一角だからな? むすっとしたコウコの頭を撫でて「さすがはオレの契約した聖獣だ」と褒めれば、彼女のご機嫌は上向く。
『当然よ』
『出遅れました』
『……我はあのクラーケンをやっつける』
コウコ、スノー、ヒジリのセリフに頷きかけて、引っ掛かった単語を問い返す。
「ヒジリ、クラーケンって海にいるやつ?」
『……違う名称であったか?』
「うん?」
2人して不思議そうに顔を見合わせていると、挨拶を終えたクラッケン侯爵が立ちはだかった。
『主殿、これだ。これがクラーケンぞ』
「ああ、なるほど。クラーケンじゃなくて、クラッケンね」
漫才をするつもりはなかったが、結果的に周囲を大爆笑させてしまった。斜め後ろのヴィヴィアン嬢なんて扇で隠し切れない笑みが、零れるどころか溢れている。先ほどのテナガザル系の男に続き、赤い顔で憤慨するおっさんが叫んだ。
「名誉ある我が家の名を嘲るとは!」
無礼打ちにしてくれる! みたいな勢いで喚いた男へ、ヒジリが淡々と切り返した。
「間違えたのは我ぞ、何か不満か」
皇帝陛下より地位の高い聖獣様のお言葉に、クラーケン侯爵 (やばい、この呼び名受けるじゃん)が焦って手を振った。いやいやそんなことは……みたいな言い訳を繰り返す。
このままでは地で笑いを取れる黒豹に見せ場を奪われそうだ。オレの貴重なお遊戯会の邪魔するなんて、困った聖獣だな。擽って黙るよう合図すれば、ヒジリはあっさり口を噤んでくれた。
まだお貴族様の挨拶が終わりそうにないのを確認し、再びクラッケンに向き直る。確か下の名前がオットットだったか。間違えると失礼になるから、ちゃんと思い出さないといけないが……なんだか記憶が怪しいので名前には触れないで行こう。
「下位の辺境伯風情が、上位の侯爵家に無礼な態度が許されると思うなよ!」
笑われたことに怒り心頭のおっさんが、伸ばした手に触れたカトラリーを投げつける。先ほどの腕輪と違い、ケガ人が出そうなので数歩飛び出して受け止めた。飛んできたナイフを左手の指先で弾いてから受けるが、右手のグラスの中身は零さない。うん、スマートに決まった。
「おお!」
「さすがは英雄殿」
感嘆のセリフに申し訳ないが、レイルから飛んでくるナイフに比べたら鈍らもいいところ。スピードも遅く、先が丸く手が切れないナイフなんて相手にならない。受けたナイフを手首の捻りひとつで近くの皿の巨大な肉に突き刺した。
「他の人がいる場所で、武器をオレに向けたよね? オレは宮廷に招待されたんであって、戦いに来たつもりはないんだけどな」
これは受け止める人間によって聞こえ方が異なる言葉遊びだった。シフェルやリアムが聞けば「よくもやりやがったな。お前みたいに招集されたんじゃなく、招待された客だぞ? 喧嘩売るとはいい度胸だ」をお上品にした反論が並ぶ。しかし何も知らない貴族にしたら「もし人に当たったらどうするの。戦うつもりなんてないのに」と可愛い表現に受け止めただろう。
さらに当事者であるおっさんは別の受け止め方をした。曰く「人がいるのに危ないじゃん。招待されたから来たのに、こんな風にケンカ売られるなんて怖い」程度か。つまりオレが怯えたように感じて図に乗るはずだ。頭に血が上った人間の状況判断能力は下がり、自分に都合のいい妄想に浸りやすくなるから。
「侯爵家に逆らうからだ」
ふんぞり返って得意げな男の態度から、オレが掘った墓穴に足を突っ込んだことが知れる。
忘れてるかもしれないが、オレの斜め後ろにいるのはヴィヴィアン嬢――メッツァラ公爵家令嬢にして、あのシフェルの妹姫だぞ? あんたが放ったナイフはオレが止めずに避けたら、公爵家のお姫様に直撃コースだった。下位の侯爵が上位の公爵令嬢を傷つけたら……どうなったんだろうな?
にやりとするが、これはさすがに実行しない。シフェルも怖いが、ヴィヴィアン嬢に一生モノの傷をつける気はなかった。もちろんヒジリの力で治癒できたとしても、だ。やっぱり女性に傷はよくないし、痛い思いさせるのも気の毒だし。
「……スレヴィ兄様の配下は、本当に使えないクズばかりね」
妹だからこそシビアに2人の兄を見比べてきたヴィヴィアンの小声は、氷点下の冷たさだった。飛んできたナイフも避けるつもりがない。この覚悟と思い切りの良さは、間違いなくシフェルと血を分けた妹だ。同じ髪色と瞳がなかったとしても確信できた。性格がそっくり……。
「姫、危険ですので少しお下がりください」
ヴィヴィアンが心得た様子で後ろから横へ数歩動く。これで彼女にケガをさせる確率が格段に減った。青猫がひとつ欠伸をして床の上で丸くなる。
「気取りやがって」
びびってるくせにと副音声付きで、男が飾りの短剣を抜く。正装の際に持ち込める武器は短剣のみ。騎士だけが長い剣や銃を持てるが、オレは手ぶらで来た。飾りの短剣すら持たないのは……立場による理由がある。それに気づける男なら、こんな場所でオレにケンカを売らなかっただろう。
「っ……」
まっすぐに突き出された短剣の刃を、ぎゅっと左手で掴んだ。相手が投げたわけではないので、弾いて受け止めるわけにいかない。当然だが刃を掴んだ左手は切れて血を滴らせた。見た目カッコいいけど、想像してたより痛い……凹むわ~。
『主殿に何をする……』
「やめろ、ヒジリ」
唸る聖獣に目配せして下がらせた。不満を訴えるのはヒジリだけではなく、肩や腕に乗るコウコやスノーも鱗を逆立てたり威嚇し、襲い掛かりそうな態度を見せる。
「ざ、ざまあみろ」
まさか避けずに握ると思わなかったらしく、声が上ずっている。それでも虚勢を張る姿勢は敵ながら感心するが、理由もなく刃を掴んだわけじゃない。血が垂れる真下へ、右手のグラスを近づけた。ぽたり、ぽたり……赤い血が混じるとグラスの中がロゼに変わる。
いつもお読みいただき、ありがとうございます(o´-ω-)o)ペコッ
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