126.赤がないなら白でいいじゃない
旗色が悪くなったとみるや、狐男が後ろに逃げ込む。すると数人が同じようにじりじりと退いた。だがここで逃してやるほど、オレは優しい人間じゃない。
「あれ? 皆さん、どうしたんですか? どこへいくんです?」
わざと大きな声で呼び止めることで、注目を侯爵から逸らした。後ろで逃げようとしていた10人ほどの貴族は、あたふたしながらも動けなくなる。ここで逃げれば集まった貴族に注目され、クラッセン侯爵からも睨まれるのだ。忌々しいとオレを睨みつけながらも、動けなかった。
味方についたお嬢様が1人、そっとオレの肩に触れた。ブロンズ色の髪を上品に結ったメッツァラ公爵家所縁のお嬢様が、扇で口元を隠しながら嫌味を口にする。
「皇帝陛下からの賜り物を貶すなんて……このヴィヴィアンには理解できませんわ」
さりげない自己紹介ありがとう。そうか、これが噂の妹君ってわけね。熊のお兄さんスレヴィ、次男はイケメン竜のシフェル、最後が愛らしい牙のヴィヴィアン。属性違いの兄妹で有名なメッツァラ公爵家の話は、レイルから仕入れ済みだった。
「ヴィヴィアン嬢、責めては可哀想です。彼らは良いものを見分ける目を持っていないのですから」
高価な品も低価格の庶民の品も区別がつかないのだから、ここは上質を知る我々が譲歩すべきです……そう含ませた貴族らしい副音声付きの会話に、周囲がくすくすと忍び笑う。こういう陰険なイジメはどの世界でも観衆受けするものだ。
幸いにしてオレは前世界で、陰湿なイジメは受けなかった。根暗すぎて多少無視された程度だ。それはそれで辛かったが、今になってみればこういう言葉でのイジメがなかった分、トラウマになってない。幸運だったんだろう、たぶん。
「……貴様、辺境伯のくせに侯爵に逆らうのか」
侯爵家と対等に近いが、あくまで辺境伯は伯爵家だ。正式な場では侯爵と伯爵の間に位置する。ようやく男が口にした言葉に、オレの唇が弧を描いた。
最高のシチュエーションだ。準備はすべて整った。しかし用意される赤ワインがない。見回した先でクリスティーンと目が合うが、彼女は困り顔だった。予定と違うので困惑し、しかし警護対象の西の王族を置いて離れるわけにいかない。そんな彼女を安心させるように頷いた。
「ちょっと失礼」
ヒジリの上から下りてグラスを探しにいくわけに行かないので、オレは一番近いテーブルに手を伸ばした。しかし白ワインだけだ。スパークリングワインの、フルートグラスを見つけて魔法で引き寄せた。
周囲がざわつく。こういった場で魔法を使う者がいないからだろう。マナー違反ではないが、魔法の制御は高等な技術とされていた。本業の魔術師であっても、人が多く魔力が入り混じる舞踏会のような場所で、魔法は使わないと聞いた。だからこそ使ったんだけどね。
制御と魔力量には自信がある。
ワインを引き寄せる魔法にざわめいた会場の空気を、今度は別の声が切り裂いた。
「皇帝陛下のご来場です」
慌てて臣下の礼を取って迎える集団に、オレもヒジリから下りて頭を下げた。ちらりと上目遣いで窺えば、小さく手を振るリアムがいる。指先をちらっと動かして返してから、後ろのシフェルともアイコンタクトした。右手のグラスを見せれば、見下ろした会場の状況を把握したらしい。赤いワイングラスを手配してくれるといいのだけど……正直、間に合いそうになかった。
予定変更だ。いい流れのいま、リアムと踊るより先に騒動を起こすしかない。
「みな、此度は戦勝祝いだ。楽しんでくれ」
声をかけて玉座に腰を下ろす。美しく麗しい皇帝陛下は、今日も立派な少年姿だった。当然なのだが、彼女がこの場の誰より可愛らしい女性だと知るオレには、痛々しく見える。早く元の性別である女性として振る舞えるよう、ひとつずつ課題を片付けるとしましょうか。
目先のおっさんから行くぞ。
「ヒジリ、陛下にご挨拶に行こうか」
こういう場での挨拶は、まず上位貴族から向かうものだ。同じ公爵ならば血筋や役職で順番が変わるが、侯爵より辺境伯が優先されることはない。ただし、これには例外も存在した。そう、皇帝陛下がお声がけくださる場合は別なのだ。
「エミリアス辺境伯キヨヒト様、陛下のお召しです。こちらへ」
呼びに来た近衛騎士に誘導され、ヒジリを従えて歩き出す。黒豹の足元にはいつのまにか青猫がいた。右肩に白トカゲ、右腕に赤蛇サイズの龍を巻き、オレはおっさんににっこり笑顔を向けて通り過ぎる。これで準備はほぼ終わった。
セットした爆薬に火をつけるのは、おっさんの役目だ。宰相を務めるローゼンダール侯爵ウルスラが挨拶を済ませた後ろに割り込む形で、辺境伯であるオレが挨拶する。他の侯爵家への根回しはウルスラの仕事だった。いわゆる皇帝派の貴族達は動かない。何も知らずに騒ぐのは、敵対する派閥の連中だけ。
「エミリアス辺境伯、ドラゴン殺しの英雄キヨヒト様をお連れしました」
「……なぜ我らより辺境伯が先なのだ」
不満を漏らしたのは、新しい獲物だった。ほっそりした長い手足と病的に白い肌の男は、薄茶の長い前髪の間から睨みつける。ぎらぎらと光る緑の瞳は、ねちっこさを感じさせた。同じ緑でもシフェルとは大違いだ。
「オレは陛下に呼ばれたから来たんだけど、文句があるなら陛下に言えば?」
直接言えるもんならどうぞ。軽くケンカを売る口調で突き放し、にやりと笑った。オレに直接文句を言わないのは、聖獣を従えているからだ。目に見える形で抑止力が仕事をしていた。このあと彼らに姿を消してもらえば、オレに絡んでくれそうだな。
リアムには言えない黒い想像を逞しく育てながら、オレは教えられた作法に従い頭を下げた。
「エミリアス辺境伯、キヨヒトにございます。陛下にはご機嫌麗しく。本日は晴れの場へのご招待をいただき、ありがとうございます」
「セイ、楽しんでおるか?」
「はい。とても」
わざと特別な呼び方をするリアムの口元が笑みを作る。ああ、うちの嫁は煽る気満々だ。あのシフェルが近くにいたのだから影響は受けただろうが、見た目が麗しく大人しそうでも中身が伴うとは限らない。そのよい例だった。
「あとで余のダンスに付き合ってもらえるか?」
通常ここで誘われるのはどこぞの貴族令嬢や、招待された他国の王女だったりする。今回なら西の国の王女が来ているのだから、同性の友人と判断されるオレの出番なんてない。子供同士であっても、ここは対外的な外聞を気にするものだ。
「陛下の御心のままに」
一礼して申し出を受ける。当初の予定でも、王女をすっとばしてオレと踊る予定になっていた。この世界では男のダンスパートナーが女性とは限らない。そのため、男女ともに異性用と同性用のパートをそれぞれ踊れるように習うのが一般的だった。
ましてや王族や皇族が選ぶファーストダンスの相手は、特別な意味を持つ。オレという子供の価値観を跳ね上げるお誘いだった。
好戦的な皇帝陛下の煽りに、周囲がざわめく。これで貴族達は己の身をどこに置くか、派閥形成に大きく影響する一手が投じられた。現在の最高権力者である皇帝陛下に阿るため、オレに近づこうとする奴もいれば、逆にオレを排除しようと動く連中も出る。互いに微笑み合って、一度距離を置いた。
挨拶が終わると、今度は先ほどのクラッセン侯爵の順番だ。屈辱だろうな、自分より下位だと思っていた相手に先を越され、ましてやすれ違いざまに子供に嫌味を言われるなんて。
「ご苦労さん」
労う言葉のようだが、こちらの立場が上だぞと相手を見下す単語を選ぶ。宮廷に上がる貴族なんてのは見えない場所で陰湿なイジメを繰り返して、相手を精神的に追い込むのが当たり前だ。ここでお上品な手を使ってたら、押し負けてしまう。
ぐっと拳を握りしめたおっさんを見送り、その先で手足の長い猿っぽい侯爵に向き合う。無礼なおっさんと手を組まれる前に、各個撃破と行こうか。
いつもお読みいただき、ありがとうございます(o´-ω-)o)ペコッ
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