123.舌戦は低レベルなほどダメージ大(2)
いい加減、限界なのだ。この国の腐った特権階級は、崩壊寸前だった。あれだ、フランス革命前夜の退廃した雰囲気。日本史はあまり詳しくないが、世界史はまあまあ得意なんだよ。お陰で西洋っぽいこの国の感じもぼんやり掴める。
爵位は公侯伯子男――習った順番で行くと、このふんぞり返った男は上位の公爵か侯爵あたり。シフェルが特に注意勧告しなかったから、アイツより下……侯爵か。
力を持ちすぎる宰相には、公爵家は就けない決まりがあるらしい。過去の皇家の方々が決めた細かな決まりが、崩壊しかけたこの身分制度をぎりぎりでもたせていた。ウルスラが侯爵なのは、この決まりの所為だ。そうでなければ、シフェルの兄が宰相だっただろう。
裏を返すと、目の前のおっさんは侯爵(たぶん?)家に生まれただけの無能者だ。優秀なら宰相に上り詰めたはずだからな。貴族ってのは、よほどのポカやらかさないと降格はない。無能でも家格の維持は可能だった。
「……っ、貴様のようなガキが」
「うーん、ところでおっさん……いい加減名乗ったら? オレ、この宮殿来て日が浅いから……下っ端の人まで覚えてないんだよ」
そう言いながら、近くを通った年老いた執事さんに手を振る。彼も小さく振り返してくれた。この宮殿の執事や侍女は本当に礼儀正しくて、オレとしては変な貴族より好感度が高い。
「セバスさんと違って、おっさんは初対面じゃん」
にこにこしながら、煽る為に執事の名を出す。分かりやすく不機嫌になった男が口を開いた。
「なんだ、セバスというのは」
「え? 知らないの? ああ、そうか。皇帝陛下であるリアムの近くに寄れないんだもんね。ごめん、リアムと親しい人は全員知ってると思ってた。リアムの専属執事の名前」
「執事風情と我が名を同列にするか!?」
「いや、本当だよな。だってさ、あんたの名前を覚えてオレに利益ある? セバスさんはご飯やお茶の手配してくれるし、いつもリアムの隣にいるからオレにとって、優しいお爺ちゃんって感じだもん。あんたを覚えても役立たないし、無駄だよね」
同意するフリして、相手を徹底的にこき下ろす。悪いが半分以上は本音だ。隠す余地のない本音に、通りがかった男性が吹き出した。すぐに表情を取り繕うが、書類を大量に抱えた文官さんに見覚えがある。
「リサリスさん、書類大変だね。お疲れ様」
笑顔で見送ると、彼も作った笑みを崩して微笑んだ。手がふさがってるが、指先をちらちらと動かして挨拶してくれる。とばっちりを避けるため、彼は足早に離れていく。あとで焼き菓子を分けてやろう。ナイスタイミングで通り掛ったお礼だ。
豪華な宮殿の入り口付近は、様々な階級の人が通る。執事や侍女はもちろん、出仕した貴族や騎士も含めれば、そうとうな数の人間が行き来した。そんな衆目の中で、侯爵位(かな?)の貴族が、黒豹に乗った子供の安い挑発でやり込められてるのは、いい笑い物だ。
「こっちへこい」
「え、やだ」
人目が多すぎることに気づいた男の誘導に、首を横に振った。大人しくしているヒジリがちらりと顔を見て、のったりと尻尾を振る。首の裏を撫でてやり、オレは男の次の一手を待った。さあ、餌をたくさん撒いたんだから、食いついてこい。
「オレはリアムに会いに来たんだぞ。邪魔する権限があるの? あんた、そんなに偉いわけ? それと、『知らない不審者について行っちゃいけません』って教育されてるからさ。悪いね」
ひらひら手を振って背を向ける。怒りが頂点に達して言葉も出ず、真っ赤な顔でぶるぶる震えるおっさんを置き去りに、ヒジリがすたすた歩きだした。ぐるぐる喉が鳴っているのは猫科がご機嫌な証拠。どうやら無礼なおっさんをやり込めたのが気に入ったらしい。
さすがはオレの聖獣様だ。
「待て! 貴様、このままで済むと思うなよ!!」
「あ、悪役の捨て台詞だ」
取り繕うことなく本音が漏れた。いやぁ、本当に使う奴がいるんだな。驚きすぎて、考えを纏める前に口から零れ出てしまったじゃないか。
「このくそがき……っ!!」
攻撃を仕掛ける男の手を、オレはそのまま見逃した。ここは一発だけ殴られて、加害者をぎゃふんと……そんなつもりでいたら、シフェルが邪魔をする。振り翳した拳を受け止めたシフェルが、淡々と話をぶった切った。
「その辺にしなさい、キヨ。陛下がお呼びです、遅れるわけにいきませんよ」
行儀悪いのを承知で舌打ちしてしまう。ヒジリに手出しを禁じておいたのに、こいつが手出しするとは。オレが危害を加えられても助けに入らないと思っていた。油断大敵って、この場面でも使えるんだろうか。
オレが身分差を利用して相手に手を出させる作戦だって、理解してるくせに邪魔するなんて。意外とあのおっさんは大物だったってこと? 今はまだ手を出すな、とか。
「わかった」
むすっとわかりやすく唇を尖らせて、不満を表明する。殴られたら伝家の宝刀を抜いてやろうと考えていたため、どうしても不満が顔に出た。さすがに名乗らないおっさんも諦めたらしく、いつの間にか消えている。
並んで歩きながら「邪魔するなら連絡しなきゃよかった」とぼやく。危害を加えられた明確な証拠を元に、やっつけるつもりで人通りが多い場所を選んだのに台無しだ。
ブロンズ色の髪をかき上げ、苦笑いしたシフェルが少し身を屈めた。足がつかないほど大きい黒豹の背に乗っても、オレが小さすぎるらしい。
「……この後、最高の舞台を陛下が用意してくれるそうですよ」
「ん? リアムが?」
用意してくれる……そこで気づいて笑ったオレの顔は、わかりやすく悪徳代官だったらしい。黒い悪だくみを匂わせる笑みに、シフェルが肩を竦めて姿勢を正した。
「そういうわけですから、少しの間は自重してくださいね」
先ほどの小声でのささやきが聞こえない周囲は、ヤンチャが過ぎたオレが叱られ中に見えただろう。しかしこの場で一番悪い企みを楽しんでいるのは、絶対にオレだ。
「うん。リアムのために我慢する」
そうだよな、折角の舞台だ。用意してくれた恋人に、最高の演技を見せたいじゃないか。これはもっと作戦を練って、おっさんをやり込める語彙力を増強しておかなくては。昔から勉強嫌いだったので、国語は苦手だが、オレはやれば出来る子である。
無理だと思った指揮官も、ドラゴン退治も、なんだかんだ片づけてきた。過去は自信を大きく育てて、肥大させている。それにふさわしい準備もした。
「それにしても……随分低レベルの言い争いでしたね」
どこから聞いていたのか尋ねれば、最初からだと言う。途中で助けずに見てるあたり、いい根性してる奴だ。まあ、邪魔されずに煽れたので、リアムの用意した舞台で踊って派手に転んでもらおうか。足を縺れさせ踊れなくなる無様を見せつけ敵をけん制するのは、宮廷内で有効な手段だった。
オレが読んだ「ざまぁ」系の知識を総動員してやる。当時は現実逃避で読んでいた本だが、何事も無駄な知識はない。
「オレは子供だからいいけど、今夜はあのおっさん寝られないだろうな……悔しくて。子供と同レベルの会話でやり込められたわけだし?」
にやりと笑ってシフェルを見上げる。ご機嫌で尻尾を振るヒジリがようやく口を開いた。
『我は主殿が誇らしかったぞ。さすがは聖獣の主だけのことはある』
「ありがとう。そういう褒めて育てるヒジリの優しいとこ、大好き~」
首に抱き着いて頬ずりしていると、上から呆れ声が降ってきた。
「確かに彼は眠れないでしょうね。こんな腹黒の子供に言い負かされるなど、屈辱で腸が煮えくり返る思いですよ」
リアムの部屋に着くまでの廊下で教えてもらった知識は、おっさんの地位や派閥に関するものだった。意外と大きな派閥の2番手なのだという。元派閥の長がシフェルのお兄さんなので、現在は彼が事実上のトップだった。人前で恥をかかされて、我慢できるわけがない。
侯爵家当主の面子はもちろん、派閥のトップとして傷つけられた誇りを取り戻そうと口撃してくるはずだ。にこにこ笑いながら聞くオレに、シフェルは苦笑いして髪をくしゃりと撫でた。
「あまり無茶はしないでくださいね。庇いきれなくなります」
「うん、わかった」
お返事だけは優等生で応じた。
いつもお読みいただき、ありがとうございます(o´-ω-)o)ペコッ
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