103.毒は宮廷のスパイス
「キヨは知らないでしょう。北の王太子と言えば、他国人はすべて皆殺しにすると言われるほど残酷で厳しい男です」
「それ、オレと一緒で噂が誇張されてない? 部下も大切にしてたし、傭兵だからってオレの部下をバカにしなかった。アイツは真っ当だと思うよ」
騙されていると糾弾することを、シフェルはしなかった。つまり彼も人から伝聞した王太子の話しか知らないのだ。そんな噂を信じて、彼を断罪するなら抗議させてもらう。徹底的に邪魔してやる。
「傭兵の扱いも考えてみて。さっきの孤児の話に戻るけど、彼らだって教育を受けてご飯食べられるなら、盗みはしない。殺されるのが確実な捕虜だからこそ、生き延びて祖国へ帰ろうとクーデターを計画するんだよ。平民は交換して国に帰して、王侯貴族は人質として預かっちゃえばいい」
「ヒトジチ?」
あちゃー。この言葉も異世界にはないのか。人質をどう説明したら伝わるんだろう。リアムが差し出した菓子を齧った瞬間、妙な違和感があった。さっきと同じお菓子なのに、味が違う。
「このお菓子、いや……オレの口が変なのかな?」
無意識にぼやいていた。新しいお茶を飲んだ辺りから、舌の上で感じる味が違う気がする。眉をひそめたオレの姿に、シフェルが自分のカップのお茶をすべて捨てた。多少飛んだのか、迷惑そうにブラウが唸る。
「聖獣殿、申し訳ありません」
律儀に謝罪したシフェルだが、焦った様子でポットから注いだ紅茶を口に含む。飲み込まずに味を確認して、首をかしげた。
「リアム、ちょっと待って」
飲もうとしたリアムの手首を掴む。繋いだ左手と、掴んだ右手。両手が塞がった状態で、シフェルの判断を待った。口の中で転がした紅茶を、彼は吐き出す。それが答えだ。
リアムの手を離して、シフェルが指示する前に彼女のカップを自分の前に避けた。手が届かない場所に置いて、リアムの顔を覗き込む。
「リアム、具合悪くない?」
毒が入っていたのは、オレやシフェルの行動で理解したのだろう。少し青ざめている。カップの中はまだ半分以上残されていた。自分が注いだから覚えているが、たぶん2口くらいか。
「皇帝陛下、失礼をお詫びいたします」
一礼したシフェルの言葉に、目の前で紅茶を吐き出す行為は確かに謝罪に値すると苦笑いした。今はそんな場合じゃないのに。でも逆に安心もする。シフェルがすぐに吐かせない程度の、軽い毒なのだと。
「おそらく遅効性の毒ですね」
「リアムが飲んだのは2口くらい」
先回りして量を伝える。ウルスラが紅茶を運んだ侍女を捕まえるよう手配した。薔薇の向こう側にいた護衛達が騒がしく動き出す。侍女の特徴を聞いた騎士達が走り回る音が聞こえた。
「キヨ、あなたは吐いた方がいいかもしれませんよ?」
にっこり笑う騎士様の笑みが黒い。しかしヒジリがのっそり起き上がると、オレの膝に手をついた。黒猫サイズから黒豹に戻っている。
「どうした? ヒジ……リっ!?」
ぐいっと身を起こした黒豹のベロが口に侵入する。話してるときに開いた口内をべろべろ舐めまわし、舌は出て行った。お前、オレのディープキスを何度奪ったら気が済むんだ?! つうか、舐める前に生肉食いやがっただろ!!
「うっ……う゛」
吐きそうになったオレの肩にチビドラゴンが降り立ち、とんでもない発言をした。
『ヒジリ殿の唾液は解毒作用があるので、吐かないで我慢して飲んでください』
「え゛?」
驚きすぎて喉がゴクリと鳴った。つまり、口の中に注がれた唾液は喉の奥に流れていく。びっくりしすぎて言われた通り飲んでしまった。
なにが悲しくて嫁の前で、獣にキスされて唾液を注がれて飲むなんて苦行を……頭を抱えるオレの膝に、白い手が置かれた。慰めるように左手を繋ぎ直すリアムが、にっこり笑って爆弾発言。
「よかったな。ヒジリ殿のような優れた聖獣と契約したおかげだ」
「……ごめん、この場面では怒って欲しかった」
衝撃的すぎて、口の端から本音が溢れてくる。ヒジリに解毒や治癒能力があるのは知ってるし、毒を消そうとしてくれたのも理解できた。でも別の奴にディープキスされて、唾液まで飲まされた婚約者(仮)への反応としては怒って欲しかったのだ。
「なぜだ?」
全然わかってない。それは純粋な証拠なのか、彼女が初心だからか。それともオレに興味がない、とか。暗い方向へ進みそうになるオレの耳に、「くくっ」と笑いを噛み殺すシフェルの声が届いた。
「笑うな! マジ、凹んでるんだからな!!」
「それだけ怒鳴れれば平気でしょう」
まだ笑いを滲ませながらも言い返され、唇を尖らせて抗議する。不思議そうなリアムが皿の上のお菓子に手を伸ばしかけ、シフェルに尋ねた。
「紅茶に毒はわかったが、菓子も危険か?」
「出来ればお止めください」
確認できるまで食べないで欲しい。ウルスラの要望に、リアムは残念そうに頷いた。迷って収納口に手を突っ込む。まだ菓子が残っていないだろうか。紅茶のクッキーじゃなくても、他になにか……。
手に触れた袋を引っ張り出す。前にお菓子の材料として受け取ったマシュマロだった。このまま食べるのも味気ないので、収納空間から焼肉用の串を取り出す。魔法で洗浄すると臭いも消えるのって、凄いよな。前世界で魔法が使えたら、チート過ぎて金が貯まりそうな気がした。
突き刺して、コウコを手招きする。ミニチュア龍のせいか、蛇のような移動はせずに浮遊してきた。水の上を漂うようなイメージだ。コイツら芸が細かいな。
「コウコ、すこしだけ炙って」
炙るという表現に、表面に焼き目がつけばいいと気づいたコウコが細い息を吐く。温かな空気の後で、オレンジ色の炎がちらちら踊った。
「助かった」
表面がすこし茶色くなった辺りで、自分が串を避ける。
「熱いよ」
注意してからリアムに渡した。見たことがないのだろう、目を輝かせて噛み付いたリアムの唇を凝視してしまう。ピンクの唇がやばい。なにがやばいって、とにかく可愛い。触りたいと手を伸ばしかけ、鋭い視線に貫かれて止まった。ギギギと音がしそうなぎこちなさで振り向くと、シフェルとウルスラが睨んでいる。
「すみません」
思わず謝ってしまう。
「主殿、今のを我も食べたい」
「僕も」
聖獣達のお強請りに、助かったと視線を逸らす。マシュマロは袋いっぱいある。野営のときに使ったお湯を沸かすすこし小さな鍋にならべ、コウコに頼んだ。
「この表面がさっきの色になるまで炙って」
「わかったわ」
コウコ自身も興味があるらしく、微妙な力加減をしながら鍋の中に炎を満遍なく吹きかけた。こんがりと焼けたマシュマロから甘い香りがする。
「マシュマロをこんな形で使うのは、異世界の知識ですか?」
ウルスラの質問に、オレは逆に驚いた。マシュマロって焼いて食べるものだと思ってた。外でバーベキューすると必ず焼いてたから。
「え? どうやって食べてたの?」
「食べずに溶かして飲むことが多いですね」
シフェルの説明に納得する。カフェオレみたいになるんだっけ? コーヒーみたいに苦い飲み物なら合うのかもしれない。
「オレは焼いて食べてたからな。柔らかくなるし、いい匂いするじゃん。甘さもちょうどいいから、クッキーとかに乗せて炙ったりね」
「それを試そう!」
女の子らしいというか、甘いものが大好きなリアムが大喜びする。まあ、コウコも炙る加減がわかってきたから、頼めばいくらでも作れそうだけど。
足元では熱いと騒ぎながら、聖獣達がマシュマロに夢中だった。こんなお手軽調理で乗り切れるなんて、前にきた異世界人はなにを伝えたんだ?
「宰相閣下」
敬礼した騎士に呼びかけられ、ウルスラが立ち上がった。漏れ聞こえる単語は「侍女」「死」「すでに」など物騒な響きばかり。知らん顔をするリアムだが、シフェルは顎や口元を隠すように手を添えて考え込んだ。
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