08.遊びつかれた子供(2)
目が覚めると……なんて表現はいい加減飽きた。
どうせ見えるのは天井だろう。倒れること3回目ともなれば、さすがに慣れてくる。
しかし、今回は今までのどのパターンとも一致しなかった。
まず、目を開けても暗い。
夜ではないらしく、隙間から光がちらほら感じられる。
温かく柔らかいものに包まれる感触は『幸せ』だった。とても心地よい。ハーブ系のすっきりした香りを胸いっぱい吸い込んだ。
光を避けるように顔を埋め直し、優しいものを堪能する。
ずっとこうしていたい。
戦場も痛みも血生臭いのもゴメンだ。
他人を傷つけて、傷つけられて、ひどく腹が立った。苛立ち紛れの八つ当たりが建物の煉瓦を溶かして、片付けたゴミの残骸を踏み躙る。
こんな殺伐とした世界だと知ってたら、異世界なんて来なかったのに。
カミサマってのは、たちの悪い詐欺師だ。
明らかにオレを騙したよな?
別れ際の誤魔化しは絶対、ヤバい部分を故意に言わなかったに違いない。
目の前の柔らかいものにしがみ付く。顔を覆う何かが、少しだけ緩んだ。
「ん……」
「あら、起きた?」
柔らかい声に驚いて顔を上げようとして、顔を押し付けていたモノの正体に気づいた。女性のふくよかな胸の谷間に顔を埋めている、らしい。
「もうちょっと大人しくしてなさい」
ローズマリーに似たさわやかな香りと、過去も合わせた24年と少しの短い人生で縁のなかった柔らかな感触……うっとり目を閉じる。
そう、名目は彼女の優しい声に従った……という形で身体の力を抜いた。
うとうと…また眠りの腕に引き込まれていく。
分かるだろうか。二度寝した朝の、身体が浮遊するみたいな快感……ふわふわして、気持ちよくて、手放したくない、短くも長く感じられるあの瞬間に似ていた。
引き込まれる意識に『逆らう』なんて野暮な選択肢は存在しない。
そんな幸せを野太い声が引き裂いた。
「おう! 小僧は起きたか?」
「……起きたけれど、また寝ちゃったわよ」
もう少し寝かせて欲しい。この胸の持ち主が、たとえオバチャンでも構わなかった。
綺麗なお姉さんなら最高だが、あまり高望みはしない。この世界に落とされた時点で……いや、その前の人生含めてもオレは外れクジばかりだった。
髪を撫でる指先の心地よさに、ぎゅっと抱きつく。
「ほら、起きてください」
丁寧な口調で、無理やり引き剥がされた。
ぬくもりを求めて差し出した手が、胸のふくらみを掴んでしまう。
驚いた顔のお姉さんは……大当たり。すっごい美人でした。しかも、金髪金瞳の白人系。前の世界なら抱き締められるどころか、近づいただけでパンチくらいそうな……モデル系美女です。
……ほんっと、ご馳走様でした。
「あ……ご、ごめんなさい」
反射的に謝ったのは、胸を握ってしまった為だ。でも驚いたフリして離さないのは、故意である。離せと言われるまで手のひらで包んでいたい。
「いいのよ、気にしないで。シフェルも……そんな乱暴に扱っちゃダメよ」
優しいお姉さんでよかった。まだ手に触れている膨らみの感触を堪能していると、あっさりシフェルに引き剥がされてしまう。
なんだ? 子供相手に焼きもちか?
すっかり子供である特権を享受し始めたオレを睨み付け、シフェルは金髪美女を後ろから抱き寄せる。ベッド脇の椅子に座っていたお姉さんを椅子ごと抱き寄せて、その首筋にキスをした。
くそっ……なんて羨ましい。
オレだってキスしたい。
ジト目で見つめるオレの頭を、後ろからがっしり掴まれた。
油の切れたロボットみたいなぎこちない動きで、こわごわ振り向く。固定された頭と彼の身長の関係で、上目遣いで見上げる羽目になった。
「元気そうで何よりだ、キヨ」
ジャックの手に力がこもる。
「ちょ……、痛いっ」
抗議をしてみるが、手の力は緩みそうになかった。
まあ、盛大に心配させた自覚はあるので我慢する――いや、無理無理。マジ痛い。
「無事でよかったが……」
後ろにまだまだ大量の文章が残っていそうなノアの声に、必死で助けを求める。伸ばした手を掴んでくれるが、諦めろといい笑顔を返された。
う、裏切り者……。
意味不明のクレームを付けたところで、ようやくジャックが手を離してくれた。
オレの頭が小さいのか、奴の手が大きいのか。判断に困るが、がっちり掴まれるくらいのサイズ差があった。
「うぅ……痛い」
「痛いで済んで良かったな。おまえを攫った奴は、奴隷商人の中でも性質が悪くて有名だったぞ」
セキマさん……じゃなかった。レイルが呆れた口調で調査資料をジャックに差し出す。
どうやらオレを拘束した男の情報らしい。紙じゃなく、半透明のシート状のカードだった。名刺くらいだが、あんな小さなカードにどれだけの情報が詰められるんだろう。
「見せて」
子供らしい態度で強請れば、ジャックがぽんとカードを放った。右手を出すが受け取り損ね、カードは手にぶつかって床に落ちる。
「あれ? おかしいな」
このくらい余裕で受け取れる筈なんだけど?
思いっきり首を傾げる。ちゃんと受け取れると思ったのだ。根拠は、こちらの世界へ来てからの運動神経の良さだった。
投げられたのを軽く一回転して起き上がるとか、ちょっと以前のオレより数倍レベルで運動神経がUPしている。それなら飛んでくるカードくらい、片手で余裕で受け取れるのに?
「……キヨ、でしたか? あなた、左利きでしょう」
「え?」
左利き? いつから?
淡々と指摘するシフェル。盛大に顔に疑問を書いて、目を見開けば……呆れ顔のメンバーがしっかり頷いて肯定した。
ジャック、サシャ、ライアン、シフェル、豊満な金髪お姉さん、レイル。ノアは真横にいるので視界に入らない。この異世界に来てから知り合った人が、ほとんどこの場にいた。
なんでしょうか……。
――嫌な予感がします……。