3 時間の流れ
二宮凉季
男子
マルナ学園一年生
幼馴染みの桜木実福は最初で最後の大切な人。
どれだけ歩いたかわからないが、ちっとも疲れていない。一瀬は、二宮が付いてきていることを確認しながら、己の信じる方へ歩き続けていた。会話はない。
ふと一瀬が立ち止まり、後ろを振り返ってみると、学校は無くなっていた。それほど歩いたのか、消えてしまったのか。
「本当、夢みたいだ」
二宮が言う。
「どこが現実でどこが夢なのか。スタートもゴールも見えやしない。そしてその問いに答えなど存在しない」
「一瀬さんって厨二?」
「誰もが考えることを口にしただけだよ。違うと言うなら考え無しすぎやしないか」
「ディスるね」
一瀬は休憩を提案し、草の上に寝転がった。ふわふわしていて、少しでも気を緩めたら寝てしまうだろうほどに暖かい。
「制服汚れるよ」
「大丈夫大丈夫。二宮くんも寝ようよ。気持ちいいよ」
目を閉じて一瀬が待っていると、しばらくして少し離れたところに二宮も寝転がった。
「暖かい」
「ねー」
そよ風が鼻先を撫でる。浮かぶ雲と果てしない蒼。この数年間、まともに空を見上げたことがなかった一瀬にそれは感動に似たものを与えた。
だが、この澄んだ空が果たして本当の世界なのか、という疑問が一瀬の中に残った。そもそもの話、夢での出来事など起きてもほぼ覚えていないのだ。夢の世界がこのようにくっきりしていたとしても、起きれば徐々に記憶から消されていくのだから、現実だと錯覚してしまうのかもしれない。
いや、と一瀬は考えを否定した。ここは今の自分にとっては現実だ。誰が何と言おうと自分がここに生きていることに変わりはない。どこだろうとも自分がいる場所こそが現実である。
「幼馴染みに実福って奴がいるんだけど、一瀬さんにそっくりなんだよ。なんか、久しぶりに話できたような感じ」
「こんな性格してたら疲れるでしょ」
一瀬が返すと、二宮は返答に困って苦笑いした。まあ、とフォローするように一瀬は続ける。
「私も嬉しいって言えば嬉しいかな。二宮くんも私の幼馴染みにそっくりだから」
「不思議な話もあるもんだね」
二宮が身体を起こして、制服に付いた草を払った。
そこだけ日陰が出来て、一瀬を覆う。一瞬で冷えた地面がじわじわと自分を浸食していっているような感覚に陥り、一瀬の眠気は嘘のように飛んでいった。
「行かなきゃ」
「そうだね」
立ち上がり、一瀬は応えた。
だが急に立ち上がったせいか、視界がぐわんぐわんと揺れた。立ち眩みだ。運動不足も理由のひとつかもしれない。一瀬はおさまるまで目を閉じていたが、斜めに傾いていくような錯覚から心臓の鼓動が速くなった。何かを思い出せそうだ。しかし思い出せそうなだけでは出てこない。
「一瀬さん、あれ……」
二宮の言葉で我に返る。
目を開けて見ると、広大な草原の中に、さっきまでは無かった建物がポツンと建っている。不思議なこと続きでさほど驚いてはいないが、記憶にないことが起こると不安になってくる。
「お店かな」
「小屋っぽいね。これも夢通りなの?」
学校を出てから先は知らない、と既に一瀬は二宮に言ったはずである。それでも聞いてきたことに、一瀬は不審感を覚えた。自分が神経質すぎるだけなのかもしれないが。
「いや……」
二人は少し早足で小屋に向かった。緑色のログハウスで、入り口の前にはちょっとした階段が付いている。白いランプが壁にかかっており、扉は押しても引いても横にスライドさせようとしてもビクともしなかった。
「またか。ホラゲー名物開かない扉だね」
「一瀬さんって結構そういうの好きだね」
いつの間にか陽は落ち始めた。ついさっきまでその前兆はなかったというのに、蒼がだんだん赤みを帯びていく。夜が来る。
「入らないと」
でも……、と二宮は焦っていた。それを横目に、一瀬は冷静にポケットからライターを取り出すと、ランプに火を着けた。
辺りが暖かい光で照らされると同時にカチリという金属音がして、扉がひとりでに開く。一瀬が滑り込むようにして入るので、二宮もそれにならうと扉がまたひとりでに閉まった。
ランプと同じ光で満たされた店内で二宮がへたり込み、肺の中の空気を全て吐き出すようにため息をついた。
「なにあれ。夜ってこんなに怖いもんだっけ。ていうか一瀬さん絶対何か知ってるでしょ」
「さあ。衝動的にやった結果」
二宮が今度はがっかりしたようにため息をついた。一瀬はもう一度ポケットに手を入れて冷たいライターを握った。
「何も持ってないんじゃなかったっけ」
「無いと思ってたんだけどね」
二宮は自分のポケットをひっくり返し、何も入っていないことを示した。一瀬はもう一度ライターを仕舞い、店内の様子を見回した。
喫茶店のようである。カウンターがあり、レジがある。そして木の壁の本棚はびっしりと本が詰まっていた。広い店内の割にはテーブル1個とイス3個の1セットが2つだけという、非常に広々とした様子である。これだけ少ないと店として機能するかが不思議だ。
一瀬は目についた本を一冊、手に取った。
「二宮くんはあっち探してもらっていい?」
「探すって、何を」
タイトルだけ見ても興味がそそられない本だったから、一瀬はその本を仕舞ってまた別の本を取り出した。二宮の問いに曖昧な言葉で、しかしはっきりと答えて作業の手を早める。
一瀬の考えが正しければここは夢ではない。初めに確信したはずのことを改めて確信した。