2 一瀬春の記憶
一瀬春
女子
石鍋垣高校一年生
幼馴染みの柊ツカサとは何でも言い合う仲だった。
夢で見た景色は起きればいつの間にか消えている。何度も見ているのであれば別だろうが、大抵はそういうものであるはずだ。だから、内容を事細かく覚えていなくとも、事後に何か思い出したとしても、一瀬は咎めないでほしかった。そもそも優しそうな二宮にそんな心配をすること事態が一瀬にとっては無駄なことだが、二宮があまりにも幼馴染みに似ているものだから、緊張しているのだ。
「何もないな」
生徒昇降口と同じ階の教室を調べてまわり、最奥の教室で二宮は言った。
ホラーゲームなどのイメージでいえば、壁に紙の一枚や二枚平然と貼ってあったり、机や棚の中に鍵が入っていたりするものだが、何一つ興味を惹く物は無かった。不審に思っていた二宮が二周目をするかどうかを一瀬に尋ねる。
「あんなに見たのにまだ足りないの?」
「足りないっていうか……。なんかおかしいじゃん。薄気味悪いだけで、何も起こらない」
一瀬にとってそれは愚問である。ついつい冷たく受け答えてしまうと、二宮は不満気に机に座った。
「そもそも、一瀬さんもなんか変」
「うん」
一瀬は認めた。
「この状況下で焦りも恐怖も窺えない。冷静だけど、脱出には消極的。でしょ。当たり?」
「テレパシーまで使えるとなるとますます不思議だ」
「二宮くんも同じでしょ。冗談まで言えるほど落ち着いてる」
変なところなんて誰にだってあるでしょ、と付け加えると、二宮はそれもそうだと頷いた。
次の階へ行こうと教室を後にすると、既視感__デジャブというのだろうか__が一瀬の動きを止めた。
「ここ……」
一瀬も二宮も異変に気づいた。床はタイルで、さっきまで居た木造校舎は現代風の学校に早変わりしていたのだ。夢で見たような見てないような、何故だか知っているような知らないような、不思議な感覚に混乱する。締め付けられるような痛みに、一瀬は腹を押さえ込んだ。
「僕の小学校の校舎に似てる」
「えっ」
二宮の衝撃発言に一瀬は顔を上げる。二宮は廊下の端から端までを見渡して、尚も続けた。
「あそこが六年の教室で……この階段、そうだ、この階段を上れば……」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
全速力で階段を駆け上がる二宮を、一瀬は追いかけた。子供用に造られた校舎の階段は小さく、途中躓きそうにもなりながらも上り終えると、先程とは違った造りの階に出た。大きな両開きの扉が立ちはだかっていた。
「屋上の扉だよ」
なるほど、ここから出られるかもしれないということか、と一瀬は納得した。
しかし、鉄製の扉は冷たく、他の場所同様鍵穴はない。
「行き止まりかな。開く?」
二宮が扉を押すと、軽い力でも扉は開いた。
そこには屋上へ続く大きな階段があった。まだ上るのか、と落胆する二宮とは裏腹に、屋上という場所に行ったことがない一瀬は少しわくわくし出していた。
小、中と、学校に屋上というものはあったが、屋上へ続く階段には必ずロープが張られていて、立ち入ることは一度として叶わなかったのである。しかも、先代の生徒さんたちは大変真面目だったようで、見える範囲でだが降り積もった埃の上に足跡は無かった。それ故一瀬は屋上へ侵入しようだなんてことは諦めていたが、思わぬところで運が回ってきたようだ。
「おかしいな。こんなに高くない場所のはずだけど。無限ループ入ってない?大丈夫?」
「詰み防止のために戻ればちゃんと元の位置にいる仕様だと思うよ」
次の扉に一瀬は手をかけたが、二宮が何か言いたそうにしていたから、開けるのは少し待った。
「一瀬さんさ」
「うん」
視線が床と一瀬を行ったり来たりする。
「やっぱ変」
「何回言うの」
二宮が苦笑いして、一瀬も微笑んだ。
きっと二宮は、一瀬が何か隠していることに気づきつつあるのだ。そして、そう思ってしまうのは自分がそうだからである。
一瀬はもう全て言っても良さそうな気がしてきた。初めは言っても、信じてもらえなさそうだったからそんな気なかったのだが、今なら大丈夫な気がした。スーッと高ぶっていた気持ちも元のテンションになり、今しかないと思った。
「行こっか。まあ、この先が本当に屋上ならどうやって降りるかが問題になるだろうけど」
二宮は一瀬に変わって扉を開けようとしたが、その手を一瀬が止める。
「大丈夫。この先は屋上じゃないよ。ついでに言えば、階段でもない」
それだけ言って一瀬は扉を押し開ける。
「扉を開けて出ることが脱出と言うのではない。それは新たな始まりでもあるのだから。ここから先は私も知らない、見たこともない」
「どういうことだよ」
二宮が一瀬に向けて放った言葉は、少し憤りが込められていた。一瀬は小首を傾げて、だから知らないって、と逆ギレ気味に言った。
「私が見た夢はここのシーンまでだったから」
「夢!?」
「ほら、正夢とかいうヤツよ。私が焦らないのも怖がらないのも合点はいったでしょ。実を言えば理由は他にもあったけど」
予期しない答えだったのだろうか、一瀬が告白すると、二宮は困ったように生唾を飲み込んだ。
「二宮くんの秘密は……まあいいか。後で聞くよ。死なない内に教えてよね」
その言葉に身震いする二宮を後目に、一瀬は広大な草原に足を踏み出した。
何も無い、誰もいない。短く刈り揃えられたような草だけが風に吹かれている。