09,ウーロン茶の行方
美菜と啓次は帰ってしまった。バッティングセンターに残るはシュン一人となる。
「……打つか」
遠ざかって行った二人が乗ってる車がついに見えなくなり、これ以上、駐車場に居る理由は無い。シュンはバッティングセンターの中へ戻る事にした。
バッティングセンター内、ベンチの前、テーブルはどかしたままだ。
「元に戻さねーとな……」
シュンはテーブルを持ち上げようと両手を広げ、両端に手を掛けた、しかし。
「重っ……」
彼自身、薄々持とうとした前から判っていたが、重厚なテーブルがあまりにも重すぎて持ち上げることは叶わなかった。
「……ま、だろうな。仕方無い、ひきずるか…………このウーロン茶、邪魔だな」
上に置かれていた飲みかけのウーロン茶をベンチにそっと置く。シュンはこの時、特に気にすることも無かったが、このウーロン茶は美菜が飲み欠け、残したものだ。まあ、あとあと気付く訳ではあるが。
「よし」
再び、テーブルに手を掛ける。持ち手側の足をほんの少し浮かせ、後ろへ引く。地に着いている方の足が地面を引っ掻き、辺りに響き渡るほどの物凄い騒音を立てる。音の大きさはかなりのものであったが、ばあちゃんは起きず。歳にとれば耳は遠くなるものだ。
「……ふう、こんなもんだな」
ほぼ最初と変わらない状態までテーブルを戻す。シュンは手を放し、頭を掲げ、腰をさする。不安定な体勢での作業なため、腰への負担はかなりのものだった。
「……俺も歳だな」
ふと呟くが、まだシュンは24である。ただ、最近は体が硬くなってると嘆く事があり、そのせいで自分は老けていると自覚しているらしい。
「……いかん、疲れた。少し休憩」
ベンチに腰を下ろし、体を大の字の体勢にする。その姿、とてもだらしのない猫と言った感じだ。
「……んん?」
シュンは横に目をやり、ベンチに置かれたままのウーロン茶に気付く。先程持った時にかなりの量が残っていたことを知っていたので、零れたらいけない、と思い、テーブルの上にそれを戻した。そろそろ、ある事に気付き始めるわけだ。
「これまさか、美菜が飲んだやつか?」
美菜の飲み残しがそこにある。健全な男子ならば思うことはただ一つ。
「……も、もし、これが美菜が飲んだやつだとして、だ。俺がこれを飲んだら…………」
一々、シュンは目の前にあることを口に出して整理する。言わずもがな、それが何なのか既に判っているはずだ。
「…………いやいやいや、どうせ啓次が飲んだやつだろ」
ウーロン茶の缶が置かれていた場所、美菜が座っていた目の前にあった。もちろんシュンは、この事は頭の中にある。一応、筋金入りの硬派であるため、中々素直に飲めないようだ。
「……だいたい勿体ないしな」
やはり飲む気満々である。最終的に水の貴重さを言い分に、等々ウーロン茶に手を出す。
「シュン兄!!ここに居たな!!遅いっ、とっとと帰るぞ!!」
シュンが手を伸ばした矢先、女の子の声が、静かなバッティングセンターにこだました。バッティングセンターの入り口には、声を発した張本人が立っていた。その人物は、女性にしてはかなり長身の女の子。短髪でTシャツにジーパンの格好が、ボーイッシュな雰囲気を醸し出され、二重の大きな目がややつり上がり気味なのは、勝気な性格の表れなのだろうか。その姿は、可愛いや綺麗など、女性に対し多く使われる言葉よりも、カッコいいや逞しいと言った言葉の方がふさわしい。タイプとしては、恵と同じであろうと思われる。
そんな彼女に、帰るぞ、と言われたシュンは、見事にウーロン茶を掴み損ね、その手を不自然にそのまま頭へおいた、そして掻いた。
「な、なんで来たんだよ!!」
シュンは明らかに動揺している。
「親父に言われたんだよ。“あのアホ、道具の手入れ終わらせてねぇのにどっか行きやがった。葵、お前連れ戻してこい”ってな」
「お前、本当にそれだけか?」
葵、ことシュンのたった一人の妹。兄妹であるが為、シュン自体、葵がタダで動くような人間ではないのを十分に承知していた。だから、ただ親父に言われただけではここには来ないはず。シュンは、葵が口にした理由を疑問に思って問いたわけだ。
「……別に」
「嘘つけ!!どうせお前……。いくら貰った?」
「あぁ?!この馬鹿兄!!金なんか貰ってない!!」
「嘘つけ〜〜。俺を逃してくれたら千円やるぞ〜〜」
目の前に出された千円札に、葵の心は揺れた。こづかい制度の厳しい秋田家では、たとえ千円であろうとも貴重なのだ。
「マジ?!……じゃなくて、ああもう!!」
「ほれほれ〜どうだ〜?」
シュンは千円札を揺らしてなびかせる。
「……むう。……あ、あたしが今見逃したとこでさ、結局さ、後で帰ってきたらシュン兄は親父に怒鳴されんだよ。いいの?」
「別に構いやしねえよ。今は仕事する気分じゃねえんだ。」
シュンの思考は、ウーロン茶の事でいっぱいだ。変態だ。
「だめだ!!大体、お金があっても、今は遊び行けないんだよ!!」
葵は首を大きく横に振り、買収を拒否する。葵は高校三年で、この時期は受験シーズン真っ只中にあり。
「おお?そうか。だったら要らないか。ほれ、ガキは帰った帰った」
「シュン兄も帰んだよ!!」
シュンのTシャツの襟元を掴み、引っ張った。
「お、おい!待て!!引っ張るな、服が伸びる!!」
強行手段に打って出た葵を、何とか静止させようとするが、まるで聞く耳を持たない。
「くそ……早く来い……!!」
「だぁーーーー!!待て待て待て、わかったよ。帰るから」
「だったら早く立て……」
葵はさっきのような大声を張り上げず、低い声でシュンを帰るよう促した。
葵が低い声で喋る時、キレる一歩手前だ。このままではまずい、とシュンはいち早く察知した。そして少し趣向を変え、別の方法で交渉に出る。
「俺さ、まだ来てから一度も打ってないんだよ。いっぺん打ったら帰る、でどうよ」
少しでも長引かせようとする魂胆。
「そう……。いいよ、打ちなよ」
葵は以外にもあっさり承諾する。
「おお〜〜、わかる妹をもって良かったな〜」
「早く行け……」
「はいすいません行きます」
どうやらシュンは、妹には頭が上がらないらしい。何か弱味でも握られているのだろうか。
素直に従ったシュンは、再びバチグロを両手に装着し、バットを取り出す。準備を終え、ゲージの扉を開け、ボックスに立った。そこで素振りを繰り返す。
「早くしろ」
なかなかバッティングを始めないシュンに、苛立つ葵。催促の一言がかかり、潔くバッティングを開始した。
まずは一球目。体に近い球、高さは甘め。シュンが打った打球は、ショート方向へのぼてぼてのゴロであった。
「はい、アウト〜〜」
「ぐ……」
後ろから葵がアンパイアをする。頼んでも居ないのにわざわざ行う。その判定は間違ってはいないが、シュンは少し凹んだ。
続けて二球目、三球目、四球目。
「ストラーイク」「はい、ストラーイク」「ストライク。バッターアウト。はい終〜了〜、出てきて〜」
「まだ終わってねえよ!!」
三球続けて空振り。色々な意味で追い込まれるシュン。精神にかなりのダメージを負いながらも気を取り直し、次なる五球目。
「くっ…………いよっしゃあーーー!!!」
ボールがバットの芯にヒットし、その快音と共にシュンの雄たけびがこだまする。打球は、低い弾道で真正面に飛んでゆく、とても鋭い当たり、のはずだった。
「はい、アウト〜」
「ちょっと待て!!お前、それはおかしいだろ?!!」
「センター、ジローだから」
「な、なんだよそれっ」
ジローとは、走攻守と三拍子揃った、日本からアメリカへ渡った名プレイヤー。特に俊足強肩を生かした外野守備には定評あり。そのジローがセンターを守るのはあり得ないだろと、シュンの抗議はまだ続く。
「ストラーイク」
「なっ!!?」
抗議中、無情にもマシンは次の球は放る。無駄球にシュンも気づき、急いでバッティングに戻っていった。しかめっ面しているところから、どうも納得はしていないようではあるが。
フォームを構える間もなく次の球が来る。打つタイミングもずれ、ただバット当てただけに過ぎない。当然、打球も大したことないわけで、シュンはまたアウトと言われるのでは、と思った。
しかし、声はかからない。どうせ飽きたのであろう。シュンはそう思い、振り返ること無くバッティングを続けた。
空振りと凡打で数球ほど済ましていく。だがついに念願叶い、会心の当たりが飛び出る。ようやく出た、絶対のヒット性の当たり。シュンは、思わず振り返り、葵に向けて叫んだ。
「どうだ葵!!!見たか……っていねえ!!!」
てっきりベンチにいると思っていた葵の姿は無く、ただ空しく叫び声が響くだけであった。妹を見返すことが出来ず、シュンはかなり凹んだ。
仕方ないのでその後も無難にバッティングをこなしていき、ついに最後の一球。打球は特に面白みも何も無く、それなり、であった。
「……終わりか」
ワンコイン分を終了。シュンは、ベンチへと戻った。いつの間にか葵もベンチに座っていた。
「……ん、あれ?ウーロン茶がない……」
ついさっきまでテーブルの上にあったウーロン茶がない。シュンのボヤキに対し、葵が漂々と言った。
「あ、それ、飲んだよ」
「なっ!!何ぃぃ!!?」
「へ?な、何でそんなに驚くんだよ」
「ああ……俺の楽しみが……」
「あれ?シュン兄、そんなにウーロン茶、好きだっけ?」
当然ながら、シュンは特別ウーロン茶好きではない。訊かれたシュンは本心が口に出てしまったのに気づき、慌てて誤魔化しにかかった。
「ち、ちげーよ!お前、あ、あれだ。バッティングの後の一杯は茶だろーが何だろーが最高なんだよ。そんぐらい葵にもわかんだろーが」
「ふーん……まあいいや。そんだったら、家であたしが美味しい麦茶でも入れてやっからな」
「………」
シュンは葵を無視し、じっとテーブルを見つめていた。
「……嫌なのか?」
気づいた。
「ん、あぁ!お、おう、頼む」
葵の言葉は、一応は耳に入っていたみたいであった。
「んじゃあほら、さっさと家に帰っぞ」
「な、なあ葵、カンカンどうした」
ウーロン茶の行方を尋ねるシュン。未だ諦めきれていない様子。
「ん、トイレの横にあるごみ箱に捨てたよ。……何でそんなこと訊くんだよ」
「なっ、お前がちゃんとごみ箱に捨てたか心配だったんだよ」
「はぁ?!訳わからん。馬鹿兄じゃあるまいし」
「もういい!!家に帰っぞ!!」
シュンはバチグロ、バットを片付け、荷物を持って先に出入り口へと向かう。
「……マジ訳わからん」
意味不明の言動にあきれ顔の葵。葵も後に続き、出入り口に向かった。
「あ、そうだシュン兄。あたし、歩きで来たから。帰り、後ろよろしくね」
「……やだ」
「あ、この野郎!!乗っけろぉ!!」
葵はシュンの後頭部にげんこつを食らわす。シュンは殴られた場所を手で押さえ、後ろを歩く葵に振り返り、吠えた。
「痛え!!お前、兄ちゃんに向かってこの野郎とは何だ!!」
「うるせえ!!馬鹿のくせに兄貴面すんな!!大人しく乗っけろ!!」
シュンは大げさに天を仰いだ。
「ああ……むかしはシュン兄ちゃんシュン兄ちゃんって俺の後をついて来て可愛かったのになぁ……」ここで拝み始めた。「ああ……神様。あの頃の葵を返してくれ」
葵は無言でシュンの背中を蹴り飛ばした。
「………」
「ぐえっ!!……ハァ……」
シュンは蹴られた背中を擦りながら、マイバイクの元までたどり着く。
シートの上に置いたままであったヘルメットを手に取り、また新たにシートを開けてもう一つのヘルメットを取り出す。取り出したヘルメットを葵に投げた。
「ほれ」
それを、葵は両手でしっかりと受け取った。
「おっと……サンキュ」
二人、ヘルメットを装着し、マイバイクのシートに、前にはシュン、後ろに葵が座った。
「……フフフ」
葵は指先で口元を押さえ、微笑みを浮かべる。背中越しに聞こえてくる笑い声を不気味に思ったシュンは、葵に静止するよう、こう言った。
「…んだよ、気味悪ぃなー。その、フフフってのやめろよ」
「シュン兄、ウーロン茶ごちそうさん」
「ん、ああ…………ちっ」
「な、この野郎!!人が折角感謝を述べてるのに舌打ちしやがって!!」
「わっ馬鹿!暴れんな!!」
この兄妹、必ずと言っていいほど一日一回は喧嘩をする。家でも騒がしい限り、その度に物もよく壊れ、両親も頭を悩ませている。まあ、ケンカはするほど仲が良いとは言うが……。
原付の二人乗りは道路交通法違反です。決して真似しないように。




