15,敵か味方か
美菜の、恵の武勇伝……かどうかは判らないが、冗舌に語り終えて、その後。
「……その、なんだ……向こうでいろいろと大変なんだな……」
つい先ほどに浮かんだ、恵に対するふしだらなイメージを思い直すシュン。手には二つ目のとなるケーキを鷲掴みしており、それをかぶりつく。ちなみにショート。
「んもう……はあ……萎えちゃったわ……」
恵は啓次を無事解放。元、座っていたパイプ椅子に、乱暴に腰を下ろす。その拍子にガタついた、パイプ椅子は大きな金属音を立てて軋んだ。
力なく座る様子、まるで魂が抜けたかのようにも見えてしまう。
「でもよ……んぐっ……」
シュンは食べながら喋る。口を開ける度に中のモノが見え、大変行儀悪い。
「それを先に……よっ」
ケーキに乗った大粒イチゴを摘み、真上に放る。
宙を舞うイチゴ。やがて勢いを失い、自然に重力に従い落ちてゆく。その落下点にはシュンが大口を開けて待っていた。
「…………パク」
「わぁーーすごーーーい!!」
「ちょっと、食べるか喋るかどっちかにしてよ」
「恵に同じ」
見事お口キャッチに成功。拍手して感激する美菜。冷たい目で注意する恵。その意見に同感の啓次。右の二人、左の二人で、どうも温度差が激しいようだ。
ただ、口でキャッチしたはいいが……。
「……ゴホッ!!ゴホッ!!」
喉元に、直撃とまでは往かないが触れてしまったようで、むせて咳き込んでしまった。
「だっ大丈夫!!??」
「ほら見た事か」
「恵に同じ」
横で美菜が心配し、背中を擦ってあげる。それでも、中々治まる様子は無い。たまにイチゴの汁が混じった唾が飛んだりする。少し汚い。
発作が治まった後も、恵は冷徹な目線をシュンに送り続けていた。啓次は、まあ、いつも通り静かにして存在感が消えかけている。前回の展開ならば、一番騒いでいなければならない存在あろうはずなのだが。
「……ふぅ〜……落ち着いてきた……サンキューな、美菜」
「ど〜致しまして、だよ」
「それで?シュンはさっき、何を言おうとしたの??」
話を戻す恵。
「ん、ああ……先に言ってくれりゃあよ、付き合ってやっても良かったのにな、って事だ」
「………」「………」「………」
「……何でお前ら反応無いんだ??」
シュンからしてみれば、かなりの重大発言を述べたつもりであった。しかし三人供、ただ何も言葉返さずのまま、発言者を見るだけ。不穏な空気が流れ始める。
それを感じたシュンは立ち上がり、逃げるようにしてこう言った。
「お、俺、ちょっくら打ってくるわ!!」
幸運にもこの場所がバッティングセンターである事が良かった。慌てた手つきで、ベンチ横に立てかかったバットを持ち、ゲージに駆け込むようにして入ってゆく。バチグロは付けること無く、隅に置かれたままだ。
「……頼む、百円あってくれよぉ……」
小銭が何時もより少ないことを思い出し、百円玉の存在の有無を不安がる。
こげ茶色のダボダボズボンのポケットから、小ぢんまりな安物のガマ口財布を取り出し、中身を指で漁くって百円玉を探してみる。小銭同士がぶつかり、辺りに何とも安い金属音が鳴り響く。
「…………おっしゃ、みっけ!」
十円の大群の中から唯一の銀色を見つけ出したシュン。
「…………ご、五十円かよ……」
確認すれば穴が開いていたようで。残りを漁ってもそれらしいものは無く……。
「…………あれがカシオペアかー……」
諦めた。ホームベースを跨いで仁王立ちし、両手を腰に当てて空を仰ぐ。当分、これを続けるつもりなのだろう。
しかし、見捨てられたわけでは無かった。
「俊輔、俊輔」
ひもじく、切ない、そんなシュンの元に救いの手が差しのべられた。シュンの様子を察知した啓次が百円玉を持って金網のドア越しに呼んでいる。
「……おおっ!!それは!!」
「どうぞ」
「すまねえ、恩にきるよ」
「いえいえ……これぐらい、どうって事ありません」
ホントに気が利く。仕事柄、いつでも非常時には対応できる性分なので、きっと彼にとっては容易いものなのだろう。美菜にもこういった気配りを、常日頃してきたに違いない。礼儀や配慮、シュンも少しは見習うべきだろう。
「百円、サンキューな」
啓次から百円玉を受け取ると、それを指で摘み見えるように掲げて見せ、頭を一つ下げて感謝を意を表した。
有難い百円玉はすぐさまマシンのコイン投入口へ入れられる。カチャリとコインの音が鳴り、同時にマシンが起動する。うねりを上げて動くマシン、シュンも打撃を開始すべく打席へ入り構えを取った。
ただ、ここから注目するのは打撃を始めたシュンではなく、残る三人の会話だ。
シュンに百円玉を渡した啓次は、もと座っていた場所に戻る。何も喋り出す気配はしないが、別に張りつめている訳でも無い、とても不思議な空気である。
さて、三人それぞれの表情を見てみよう。
美菜は口を尖らす、ちょっと不機嫌な時にするいつものアヒル口。少し眉をしかめて打撃を行うシュンを見ている。
啓次は暇なのか、手帳を広げ、万年筆を指で挟んで揺らし、考え事をしている。多分、明日の美菜のスケジュールについてであろう。
そして恵はと言うと、一見すれば無表情に見えるが、よく見れば口元が緩み少しニヤけている。顔はシュンに向けているが、目線だけは何故か美菜だ。何か言いたげに見えなくも無い。
そしてシュンの打撃ワンセット目は終了する。当然、シュンは三人の元へ戻ろうとゲージの扉を開けたが、嫌な予感がした為にまた閉ざしてしまった。
百円はない、また黒子の如く啓次の出番となるわけだ。啓次はシュンが打つ場所の扉へ音立てず近づき、極僅か扉を開け百円玉を数枚を置く。置いた際にふと目を挙げてシュンと目が合い、優しく微笑みを返す。
「……コクリ」
「…………コクリ」
頷き合う二人に、アイコンタクトのどんな意味があったのか、頷きの意味も不明だが何かを通じあったのだろう。
自分の仕事を果たした啓次、来た時と同じようベンチに戻り、存在感を消した。これでシュンは空気が変わるまで席を外すことが可能となったわけだ。
「啓次、私にも百円!!」
受け渡しを黙視していた美菜が啓次に百円をせびる。手を差し出し、よこせと言わんばかり態度だ。
「すいません、俊輔に全て渡してしまいました。出来れば……俊輔から貰っていただけると……」
「ああもういいっ!!」
やけに苛立っている。啓次に出していた手を戻しもう片方と組ませ、頬を膨らました。明らかに不機嫌だが、その横、恵が声を掛けた。
「美菜ちゃん……」
「な〜〜に〜〜……」
やる気無くだるそうに反応。
「さっき、シュンがあんな事言った時、私が、解ってない!!って言ってぶん殴るべきだったんだけど……正直言うと……ちょっと、嬉しい……」
「………」
美菜はまだ何も言わない。無表情のまま恵を見続けている。
「でね??……前言撤回……ってダメ??」
「ダメ!!!!!!絶対ダメ!!!!!!!」
「だっ、だよねー……ハハ、ハハハハハ!!」
彼方を見る目は笑っていない。
それより美菜の叫び声が大きすぎてシュンにも届き、バッティングの最中にも関わらず、何かあったのか、と思い、ベンチへ余所見をしている。一応バットは振っている、当たってないが。
美菜と恵もシュンがこっちを見てるのに気付いて、二人してシュンに向け小刻みに首を横に振った。シュンは意味の判らない行動に首をかしげるもマシンへと目線を戻した。
「ふう……じょ、冗談だよ、美菜ちゃん!!そう怒んないでよ」
「ゼッタイ冗談じゃないし……」
気まずい二人。一向に美菜の機嫌が変わらないままである。
そこで忘れそうになるもう一人の存在が、険悪なムードを切り裂くため、救いの手を差し伸べるように口を開く。
「そろそろどうでしょう、もうご帰宅しませんか」
確かにもう夜となり風が涼しくなってきているぐらい。いい加減、帰ってもよい頃で、シュンの家では晩御飯の時間なので帰らないと不味いはずなのだ。
「……そうね」
「あ、じゃあ啓次君。帰りもよろしくね」
「もちろんです」
三人、いざ帰らんとして立ち上がる。シュンが打つマシンも止まったみたいだ。
「お、もう帰るのか??」
バットを下ろし、ゲージの中から直接三人に声掛ける。ほっとしている見たくも見える。
啓次が応えた。
「はい。あ、そうだ俊輔。ケーキどうしましょうか」
「おう、俺が貰ってくよ。葵の奴も喜ぶだろうしよ」
美菜の顔がより一段と険しくなる。
「そうですか。じゃあ残りのケーキは箱の中に戻しておきます。俊輔はまだ打つのでしょう?」
「おう、もうちょいやってくでよ。あ、それとよ、啓次……」
「なんでしょう……??」
「恵、頼むな……」
ここまで聞いてただけの恵が二人の会話に割って入って来た。
「ちょっとぉ!!親みたいな事言わないでよ!!どうせ、そんな本気で付き合ってほしいって言ってるわけじゃないんだから!!」「え、違うんですか??」
啓次は本気にしてたらしい。
「まあそうだろうけどよ……」
「ね!!解ってるんなら余計な事は言わない!!シュンへのあの告白だって!!?本気じゃないんだから!!」
「お、おう……」
恵の現状を知らないまでの間はシュン自身、あのときの告白を本気にしていたので、キモチ結構凹む。
言いたい事全て言いきった恵は踵を返し出入り口へと歩を進めた。慌てて美菜も恵の後に続く。横から恵に話しかけた。
「ねえ、恵恵」
「ん、な〜に〜」
「あれで良かったの??」
恵は天を仰いで考える素振りをする。
「ん〜〜……」
「もし恵が私のために、あんな事言ったとしたら、私……」
俯く美菜に、恵は何を思ったか急に抱きついた。
「きゃっ!!どどどうしたの……??!!」
みるみる内に顔が赤くなってゆく美菜。
「……ホントに私が欲しいのは、美菜ちゃん。あなたよ」
耳元で囁く恵の言葉に、美菜は言葉を失った。
「……!!!!」
そっと離れる。
「な〜〜んてねっ!!冗談だよ〜〜ん。私は美菜ちゃんと違って腐女子じゃありませ〜〜ん」
振り返り、美菜の鼻を指ではじいて外へ逃げ出していった。
「あっ、恵!ちょっと待っ……もう!!私だって違うよ!!」
美菜は恵を追いかけて行った……。
残るは男二人。
「まったくなあ……あいつら」
「ははは……」
シュンと啓次は支度の途中である。シュンはバッティングの道具を、啓次はケーキを。
「強弱と言うか、アップダウンの激しい奴らだよな」
「でも楽しいですから。いいじゃないですか」
「楽しいねえ……。確かにそうかもしれんな」
「俊輔も満更でもないようですね。あ、ケーキ、ここに置いておきます」
テーブルの上には、中央にケーキの箱のみとなった。
「おう。悪いな」
「では二人を待たせると自分の身が危険ですので、先に失礼させて頂きます」
「はは、間違い無い!!その顔が物語ってるもんな」
啓次の顔は恵により、まだ腫れあがっている。暫くの間はこの状態が続くであろう。
啓次は軽い一礼をした後、先に車で待って居ろうと思われる二人の元に向かった。
「あいつが一番大変なはずなのにな……」
後姿を見て、シュンは微笑みながら大事に思ったボヤキを呟いた。
バッテングセンターの駐車場。一台しか停まっていない車の前で、美菜と恵は運転手を待っていた。
「どうしてシュンの前であんな事言ったの!?勘違いされたらどうするの!!??」
「まあ、いいじゃない。ね」
「よくない!!!!もう恵、悪い冗談ばっかり言うもん!!!!」
「へへへ……、ごめぇ〜〜んね」
恵は自分の頭を小突く仕草をした。
「ああっ、またふざけて!!もういいよっ!!」
美菜は腕を組みそっぽを向いた。
「怒んないで美菜ちゃん。私は美菜ちゃんの味方である事に嘘偽り無いんだからさ」
恵は背後から美菜の肩に両手を置き、自分のあごを美菜の頭の横にくっ付けた。
「……じゃあさ、葵って誰??」
これを訊いた恵は目を見開きひどく驚いたような表情をした。
「ええっっ!!まだ知らなかったの!!!??」
「え、何でそんなに……」
「……あははははっ!!!!」
「何が可笑しいのよぉ!!!」
困惑する美菜。恵は彼女に置いていた両手で肩を二回ほど叩き、少し距離を置くため後ろに離れていく。
「はははっ!!ごめんごめん。その子は、葵ちゃんはシュンの妹よ」
「え、そうなんだぁ……。よかったぁ〜……ん。でも何でそんな笑うの??」
「だってねえ……。あなた達知りあって、もう何か月ぐらいになるの??」
「三か月くらいだけど……そんなに可笑しいかな……」
「そう、三か月……。じゃあ今までどんな話してきたの??」
「あ、その、大学の事とか、えっと最近だと音楽の事とか話したりするよ」
「こいばなは??」
「……しない」
「まあだろうね。そこまでは何となく解る。じゃあシュンの話って本人から直接訊いたりした??」
「……してない」
「まあそうよね、私でもあんまり聞き入った事しないし」
「……ねえ恵、何が言いたいの??」
「いや〜〜大差だな〜〜って」
「大差??」
「私、以前にさ、ライバルは二人いるって言ったわよね」
「…………うん」
「葵ちゃんはその一人よ」
「えっ??!!で、でも妹さん、でしょ??何??何で??」
「ははっ、その内きっと解るわよ。あ、啓次君が来たわよ」
自動ドアが開いたその向こうに啓次の姿が。気付いた恵は指さし、美菜の肩をたたいて存在を教えた。
「え、あっもう啓次、バカ……」
啓次は急ぎ早足で車まで駆け寄った。
「お待たせしてすいません」
「ほら早く開けて開けて。あ、そう言えばケーキ、シュンが貰ってくんだってね」
ドアを開けるよう急かす恵。
「はい、さぞかし葵様も喜んでくれるだろうと思います」
笑顔で応える啓次。後部座席のドアを開け、車へ招く。
「へえ〜……葵ちゃん、甘いもの好きだもんねー……」
「ええ、この間に俊輔の家へ招かれた時も、プリンをお土産に持って行ったら大変に喜んで……あ」
「……啓次、シュンの家行った事あるんだぁ〜……知らなかったなぁ〜……」
「あ……その……ははは……」
見事な、流れに乗った誘導尋問。啓次は余計な事実まで吐いてしまった。
二人が車に乗り、ドアを閉める。閉め終え、啓次は深いため息をついてこう漏らす。
「つい余計なことまで言ってしまった……」
恵が居なくなってからの家路が恐くなる。
そして美菜は……。
「なんか、なんかなあ……はあ〜〜……」
啓次に妙な敗北感を抱いていた。そんな美菜に恵は励ましの言葉を耳元で囁く。
「まだこれからよ。いくらだって巻き返せるんだから」
恵の励ましは心に入らず、そのまま通過した。
やがて車は発進する。シュンも数分後にバッティングセンターを出た。そしてカウンターのばあちゃんも家路につき、今日のバッティングセンターの一日はこうして終わった。
次なる物語の日は、二週間後。シュンの当たり前がまたどう変わるかは、この時点ではまだ言えない。