恐怖の権化…田中城に走る緊張
突如、田中城……田中の作り出した屋敷が強烈な家鳴りを放つ。
パキパキパキパキと絶え間なく続く音に、城内の全ての者に緊張が走る。
直後、キーンという耳鳴り……ただ事ではないのは明白だ。
「一体どうしたというのですか?」
ブルータスが、荒神に問いかける。
田中が南の町に観光に出ている今、この城に居る責任者は荒神と辰子になる。
とはいえ、辰子はまだ子供だ……自然と注目が荒神に集まる。
荒神は腕を組んで、目を閉じたまま静かに頷く。
「問題無い……迷い家が、巨大な魔力を感知した。真っすぐこっちに向かっているとの事だ」
「問題無い事ないね! 一大事ね!」
荒神の言葉に、ネネが青くなる。
もしかして、ここが大魔王様にバレたのではという不安が脳裏を過ったからだ。
「そうなのですね! 落ち着いている場合では無いのですね!」
「そうですよ! そもそもこの城は、タナカ様の結界によってその存在を隠しているんじゃないのですか?」
カイザルと犬男も、凄い剣幕で荒神に詰め寄るが当の本人は、フンッと鼻で笑うだけだった。
「荒神さんの余裕は当然! あの田中様が、そんなに簡単に侵入されるような結界を作る訳が無い」
ボクッコだけは、荒神と同じように落ち着いている。
出会ってまだ僅かなのに、ここまでの信頼を寄せている事に周囲は驚きを通り越して呆れている。
そして、ボクッコが魔族の中で荒神の次に田中と正確な発音が出来た事に誰も気付いていなかった。
荒神以外は……
唯一、荒神だけはボクッコが田中と呼んだ事で片眉を上げて、笑みをこぼす。
「まあ、荒神殿がそうおっしゃられるなら、ジタバタしてもしょうがないだろう」
ブルータスも若干顔が強張っているが、荒神に従う様子だ。
「それにしても、辰子殿も、ウララ殿もこんな時でもスヤスヤと寝て居られるのは、流石だな」
それから、荒神の膝で揃って寝ている辰子と、ウララを眺めてフッと柔らかな表情を浮かべる。
荒神も、2人を優しく撫でている。
「というか、それよりもだな……敵の接近を察知して警報を鳴らすこの館の方が驚きなのですが」
それから、ブルータスが周囲を見渡しながら一人ごちたように漏らす。
その言葉に、周囲の4人が頷く。
この館に住めなかったのは、魚さんと、かに太、それから人間3人組にとっては変な不安を煽らない分幸せだったかもしれない。
「ああ、迷い家は田中様が作られて人造魔族みたいなものだからな……下手な魔族ならば、この館が本気を出せば永久に異空間に閉じ込められ、ジワジワとその魔力を吸い取られる未来が待っている」
その言葉に、その場に居た全員が身震いをする。
田中を筆頭に、荒神やカイン、辰子基準で考えるとどう考えても漏らさず全員が自分が下手な魔族に分類されると認識しているからだ。
ますます田中を裏切れなくなったことに戦慄を覚えながらも、裏切る必要が無い事を思い出して安堵の溜息を吐く。
その時、再度キーンという耳鳴りがしたかと思うと、強烈な振動が館を襲う。
というよりも、この付近一帯に響き渡ったという方が適切だろう。
それほどまでに、すざましい衝撃だった。
「これ、本当に大丈夫なのね?」
「フフッ……どうやら力づくでこの結界を打ち破るつもりのようですね……」
ネネの言葉に対して、荒神が笑いながら呟く。
いや、ちょっとそれ洒落になっていないからといった視線がその場の全員から向けられるが、この突然の来訪者との対面を楽しんでいるような荒神を見ていぶかしげる。
『見つけた』
全員の頭に響き渡るような、綺麗な女性の声がしたかと思うとピキリという音がする。
「女性? いや、この声は聞き覚えが無い……という事は大魔王様の手の者ではない?」
「……もしかしたら、新たな幹部を生み出したのかもしれませんよ」
次の瞬間、バキッという音がしたかと思うと結界に穴が開けられたのだろう。
突如現れた禍々しい程の巨大な魔力に、荒神以外の全員が立ち上がる。
「なんだこのバカげた魔力は! こんな魔族が、将軍クラス以外にこの世界に居たというのか?
「くっ! タナカ様が居ないというのに!」
「ここは、逃げるのが一番ね?」
「バカ! そんな事したら、田中様に怒られる。捕らえるのが正解!」
ネネの及び腰な発言に対して、ボクッコが一喝すると館から飛び出す。
それと同時に、庭に何かが落ちる音がする。
「あら……どうしたのかしらお嬢ちゃん? 妾は、タナカ様に会いに来たのですが……」
庭を覆う砂煙の中から現れたのは、妖艶な美しさを放つ絶世の美女だった。
あまりの美しさに、男女問わずに思わず見惚れてしまう。
しかし、その顔の頬の辺りからは凶悪な虫を思わせる顎が生えており、その下半身は黒く妖しい光を放つ百足のようだ。
そのアンバランスながらも調和が取れた姿は、禍々しくも美しく……そして力強さを感じさせる。
この女は危険だ……決して田中様に合わせてはいけない。
そう、彼女の目に宿った執着の光に、全員の意思が一つになる。
「くっ! 大魔王様の手の者では無いとしても、こんな危険な魔族をタナカ様に合わせる訳にはいかないね!」
「ですね! 私も、同意なのですね!」
「先手必勝!」
ネネとカイザルが殺気を女性に向けると、カイザルが有無を言わさずに突進する。
タイガーマスク顔負けのショルダータックルを放つが、人と百足を合わせたような魔族が手を振るだけであっさりと捌かれる。
「せっかちな殿方ですね……名乗る暇くらいはおくんなまし」
そう言ってそのままカイザルの身体を、その無数ある足で踏み付けると口元を手で覆いクックと笑う。
「それにしても中央の魔族というのは、こんなにも脆弱なんですね……我が同胞たちはこんな矮小な存在に何を怯えていたというのでありましょうぞ」
そう言うと、ムカ娘が口から糸を吐き出し5人を拘束しようとする。
「くっ! 放せ!」
「うわっ! なんなのね! 身動きが取れないのね!」
犬男とネネがその糸に捕らえられる。
必死にもがけばもがくほど絡みついてくる糸。
粘着性がある白い生糸のようでありながら、力に秀でた魔族が引きちぎる事も出来ない固さも兼ね備えているようだ。
その様子を横目で見ながら、上手い事かわしたブルータスと、ボクッコが思わず身震いをする。
ブルータスが氷で出来た剣を作り出し、しっかりと握って構える。
ボクッコは捕らわれたネネの救出に向かったようだが、手が届くより先にネネの身体が宙吊りにされる。
「虫族とお見受けする、ならばこの極寒の剣技には耐えられぬはず! 喰らえアイシクルエッジ!」
ブルータスが剣を振るうと、氷の結晶を舞散らしながら冷気を纏った斬撃が放たれる。
だが、ブルータスの必殺の剣技すらもその女性の前では無力。
女性が左手で口を覆い、思わず出た欠伸を隠しながら右手で障壁を作り出し簡単に受け止める。
「この程度の児戯で極寒とは……片腹痛いとはこの事ですわね。少しはその頭を冷やしなさい」
それから下半身がモコモコと膨らんだかと思うと、完全に百足そのものに変化しブルータスに襲い掛かる。
新たに現れた百足の頭、そしてその口からは強酸性の液体が吐かれブルータスに襲い掛かる。
間一髪直撃は免れたが、袴の裾に液体が掛かったのかジュウという音とともに、凄い勢いで煙を上げている。
「あら、立派な防具をお持ちですのね……タナカ様のものですわね」
自慢の溶解液が掛かったはずの裾が、貫通することなく溶けた先から再生されていくのを見て嬉しそうに声を上げる。
「流石我が君……相変わらず出鱈目なものを作っておられる様子」
それから満足そうに微笑む。
「クッ……なんだというのだ一体! 何故これほどの魔族が誰にも見つからずにこの世界に潜んで居たというんだ!」
「この世界? これは異な事を申す方ですね……妾は北の世界からタナカ様の為に馳せ参じたというのに……」
思わず漏れ出たブルータスの言葉に、巨大な百足の上で女性が首を傾げる。
そしてその言葉にボクッコが動きを止める。
「という事は、田中様の部下?」
「ええ、左様ですよ……妾はムカ娘と申します」
その場に居た全員が動きを止める。
と言っても、動けていたのは二人だけで、他の3人は暴れまくったせいで糸が絡まりに絡まり、全く身動きが取れなくなっていたが。
それからすぐに、館の方から手を叩く音が聞こえる。
「流石はムカ娘様です……5人を相手に息も切らさずに対処されるとは」
そう言って肩にまだ眠そうなウララを乗せ、辰子を抱っこした荒神が館の外まで降りてくる。
「あら、そなたは?」
「お久しぶりですと言ったものか、初めましてと言ったものか……」
そう言うと、荒神が大蛇形態に変化する。
「ああ、その姿はウロ子の所の……それにしても変わり過ぎじゃないですか? 妾が知っているのは、ちょっと大きい蛇だったはずですが?」
「田中様のお陰で、このような力を手に入れる事が出来ました……いまは、この館の守護を任されております」
そう言って荒神が深く頭を下げる。
「ちょっ! 荒神殿! 知り合いなら知り合いと言ってくだされば良かったのに」
グルグル巻きにされたまま、犬男が喚いているが荒神は素知らぬ顔だ。
「フフッ、私は心配無用と申したはずですが? 勝手に出て行って、勝手に襲い掛かったのは貴方達でしょうに……とはいえ、少しは北の魔族の力を知ってもらいたかったのもあって黙っていたのは事実ですけどね」
それから、巨大な大蛇が悪戯っぽく笑って見せる。
「まあ、貴方少し性格が良くなったんじゃなくて? 昔はもう少し可愛げがあったと思うのに」
その様子を見て、ムカ娘がちょっと不満げに漏らす。
「申し訳ありませんムカ娘様……どうもこの世界の魔族は他の世界の魔族を見下す帰来がありまして……田中様に直接強化されていない、純粋な北の魔族を是非一度見て貰いたかったのですよ……これも田中様の為です」
「本当に良い性格になったわね……そう言われてしまっては、妾は何も申せません事よ」
そう言ってムカ娘が悪戯っぽく笑う。
その笑顔に、ブルータスが思わず見惚れてしまっていたが、すぐに他の魔族の呻き声に我に返る。
「あの、ムカ娘様……そのそろそろこの糸を解いて貰えると有難いのですが……」
「そうね……なんか、動けば動くほど絡みついて、締め付けて来て苦しくなってきたのですね」
「ですね……私はもう1mmも動かせないのですね……」
3人が呻くように声を漏らすと、あらあらと困ったように笑いながらその糸を消し去る。
解くのではなく、消し去った事に荒神を除いた他の魔族がさらに驚く。
「消えた……という事は、この糸は魔力で作り出していたのですか?」
「ええ、私の本気の粘糸は捕らえた獲物をそのまま溶かす事ができるゆえ、新たにタナカ様に仕えたであろう其方らを殺してしまいかねぬからのう」
その場の新参魔族達は呆れてものも言えなくなってしまった。
来襲者が身内だと知って、謀っていた荒神。
自分達がタナカ様の新たな部下だとしって、言い訳もせずに反戦してきたムカ娘……
でも、よくよく考えると問答無用で襲い掛かったのは自分達であって、そのうえ全く相手にもされずに無力化されたとあっては、文句の言いようも無い。
「お詫びに田中様にすぐにメッセージをお送りしましょう。どうぞこちらでお待ちください」
そう言って荒神がムカ娘を館に上げる。
次の瞬間に館がまたキーンという音を放つ。
「ほら、この館は田中様が作られた人工魔族のような物でして、主である田中様に近しい方の来訪に喜んでおります」
「まあ、本当にそら恐ろしいものを簡単に作ってしまわれるのですね……」
ムカ娘がしきりに感心したように、館を見つめてその柱を優しく撫でる。
またまたキーンという音が、周囲に鳴り響く。
「ほほう……こんなに嬉しそうに鳴く迷い家は初めてですね……歓迎されているようですよ」
荒神の言葉に満足そうに頷くと、ムカ娘がカサカサと階段を上がり畳の上で寛ぐ。
その後ろ姿を眺めながら5人は同じことを思う。
あれって、喜んでたのか……
「皆さんが迷い家の言葉が分からないのは、この館も大事な仲間として認識していない証ですよ! 皆さんももう少しこの館が生きているという事を考えて接してくださいね」
荒神に微かに微笑みながらも、笑っていない目を向けられた5人がショボーンとしている。
それから、荒神がお茶を立ててムカ娘をもてなす。
そして、田中の転移が発動される気配を察知し、より一層大きな家鳴りが響くのであった。
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