それぞれの準備と戦い
田中が連れ去られて1ヶ月…特に変わったこともなく、全員が全員田中が居ないという状況に慣れ始めていた。
「薪はこのくらいで十分か?」
「あっ、グレズリーさん有難うございます。みんな、薪を運ぶのを手伝って」
人間の子ら住む区画に、薪を担いだおっきな熊さんがやってくる。
この区画の家は、田中城の温泉と違って薪で沸かす方法だ。
子供達が集まって来て、それぞれの家に薪を運び始める。
「いつも有難うございます」
「うむうむ、仕方あるまい。大きな子らは、辰子ちゃんと一緒に日々修行しているわけだし、そうじゃなくても魔族の対応をしているのじゃからのう」
グレズリーは目の前で薪をえっちらおっちら…もとい、田中城で鍛えられ身体強化を使える幼子らが、ヒョイっと自分の身体程もある薪の束を担いで、スタスタと歩いて行く様子を、目を細めて眺めている。
ちなみに、グレズリーは万が一敵の侵入を許した際に、この区画をピッグと一緒に守る手はずになっている。
とはいえ、まずこの空中要塞に入り込める敵がいるのだろうか?
実際には、この大陸の近くにまで来る魔族は居た。
だが、そのことごとくが辰子に撃ち落とされたり、酷いときはマヨヒガが捕まえて自分の糧にしたり、ヒモロギに捕らえられて、栄養とされていた。
本当に可哀想な話だ。
捕まる、もしくは撃ち落とされるその瞬間まで、田中の結界に包まれたこの城の存在に気付ける事が出来なかったのだ。
急に空中に生えて来た手に掴まれて、ポイッと異空間に放り込まれたり…突如、火炎魔法が飛んで来たり、いきなり現れた植物の蔦に巻き取られたり…究極のゲリラ戦法である。
勿論、田中にそんな意図は無かったわけだが、割と攻めれる要塞である。
「にしても、タナカはんが居なくても案外なんとかなるもんやな」
「そうですね…この城はなんとかなってるかもしれませんが、自分達は違う意味でどうにかなりそうです」
「無理っす…なんすか、このバカげた特訓は…」
マヨヒガの作り出した異空間…ここで、いまシャッキとブルータスとオウガは秘密特訓を受けている。
タナカの魔力の20%を注がれたヒモロギが、その魔力の2%を使い作り出した蛇吉とモー太、絶倫のコピーとの実戦訓練である。
当然、絶倫のコピーによる時間停止型の幻惑魔法内での訓練がメインになっているが、この1ヶ月の間でそれぞれ3桁は臨死体験を済ませている。
「【秘技見えない縦斬り】!」
蛇吉の見えないシリーズである。
ちなみに、リアルタイムで現状の3人の魔族をトレースしているため、その技も実際に彼らが編み出したものばかりだ。
「縦切りだったら横に躱せば…グハッ!無理っす!」
半身をそらして見えない斬撃を躱したつもりのオウガの身体に4本の裂傷が走る。
「誰が一撃だと言ったでござるか?とはいえ、12発のうち8発も躱すとは精進したでござるな」
ただの偶然である。
当然見えてない訳で、蛇吉が何発の斬撃を放ったかなんかオウガには分からない。
「【破滅を呼ぶ隕石】」
「ちょっ!だからなんで隕石が隔絶された異空間に堕ちてくるのですか!」
「知らないモー!そういう魔法だモー!」
凄い勢いで振って来る、巨大隕石群を必死にブルータスが躱している。
しかし、隕石ばかりに集中していると…
「全身がお留守だモー!」
「ぐはっ!」
モー太のショルダータックルが直撃する。
ブルータスが地面を数度刎ねた後、先に振って来た隕石にぶち当たって止まる。
さらにそこに襲い掛かる隕石群。
「また死んだモー」
「まだ死んでません!」
無我夢中で突き出した剣が、隕石を破壊しどうにか直撃を免れる。
しかし、その衝撃の余波は当然大きくなる訳で…
ブルータスの全身の骨が粉々に砕かれる。
「グッ…というか、なんでモー太さんは隕石が当たっても平気なんですか…隕石無視して突っ込んでこられたら躱せないですよ…」
「自分の魔法でやられるとか、どんな間抜けだモー」
モー太がキョトンと首を傾ける。
言ってる意味が分からない。
この可愛い仕草すらも、その意味不明な言動と相まって不気味なものに見えてくる。
「いや、隕石を召喚する魔法であって…隕石は物理、無属性扱いのは…ず…」
それだけ言うと、ブルータスの意識が完全に消えてなくなる。
「てやっ!」
「どこを狙っているのですか?」
シャッキが繰り出した槍が、絶倫の身体を貫くがすぐにその身体が霧散する。
「くっ…これも幻術か!」
「違いますよ?」
そう言った直後に、霧散したはずの絶倫がすぐに現れて斬りかかって来る。
咄嗟に躱そうとするが、背後から爪で斬りつけられる。
「不意打ちとは!」
「不意打ち?いえ、ここに居る分身は全て実体を持っていると何度も教えてあげたでしょう?」
シャッキの目の前には絶倫が30人くらい立っている。
ちなみに、斬れば霧散するから幻影かと思いきや、それがそのまま襲い掛かって来るから性質が悪い。
「大体、それぞれが将軍級に強い分身とか反則やろ!こんなんタナカはんでも無理ちゃうか?」
シャッキが背中の傷を瞬時に治しながら、目の前の絶倫達から距離を取ろうとする。
しかし、すぐに何かにぶつかる。
「後ろも確認しないとだめですよ?」
そこには、シャッキを抱きとめた絶倫を含めさらに20人の絶倫が立っている。
死んだ魚のような眼になるシャッキ。
「俺だけハードル高すぎやしないかい?」
「いえ、タナカ様なら全員を1秒で消しされますから…制限時間30分もあげてる分、イージーモードですよ?」
爽やかな微笑みを浮かべる黒い顔。
ただの悪魔である。
「ちなみに、蛇吉殿も、モー太殿も、私もあと1回変身を残してますから」
「えっ?」
「はっ?」
「っす?」
絶倫の言葉に、3人がポカンと口を開ける。
「だったら、この分身体だけでタナカはんの救出が出来るんやないか?」
「自分もそう思います」
「っす」
3人が同時に同じ感想を口にした瞬間に、突如上空から巨大な手が降って来て殴られる。
余計な事を言って無いで、とっととこの試練をクリアしろと言わんばかりに空間が揺れる。
マヨヒガの仕業だ。
ちなみに、城を浮かせるのに10%、そして分身体に2%の魔力しか使っていないヒモロギも余力十分なのは3人は知らない。
「ふう…タナカ様の救出なんて必要ですか?」
絶倫が3人に向けて冷たい視線を送りつける。
それだけで、3人は股間がヒュッとなるのを感じる。
「そうだモー!タナカ様が捕まっているという事は、きっと何か楽しい遊びを思いついたんだモー」
モー太も嬉しそうにしている。
そして…
「あー、拙者も同意でゴザルな。もし、本当に助けが必要なら、どんな手段を使ってでも指示出してくるはずでゴザル」
偽物ながら、その忠誠心はもはや妄信的と言っていいレベルである。
…が、この偽物たちは忠実に現在の3人をトレースしている。
という事は…という事なのである。
「さてと…【秘技見えない突き】!」
「突きは駄目っすーーーーーーー!」
オウガの懇願虚しく、全身が穴だらけにされる。
モー太も絶倫も容赦なくブルータスと、シャッキを粉々にする。
そう文字通り、モー太は【破滅を呼ぶ隕石】を際限無く放ち、絶倫は全ての分身体から、【重力の墓場】を放ち、ただそれだけでその場に存在することも出来なくなるほど3人は弱い。
いや、この3幹部が異常ともいえるが。
そしてパチンとならされる絶倫の指。
またも、やり直しである。
3人の鬼が、この3人の幹部を倒せる日が先か、全てが終わるのが先か…
―――――――――
「いやー、やってみるもんだな…」
タナカは今、目の前の巨大モニターで日本の某ドラマを見ている。
触手たちがせっせと、食べ物をタナカの口に運び、飲み物を口に運び、一生懸命尽くしている。
中野に送られる魔力に、【魅了】の魔法を掛けてみたところ、全ての触手が田中の支配下に置かれる事になった。
とはいえ、折角ゆっくり出来そうなので触手達に身の回りの世話をさせて、こうやって巨大モニターで日本の番組を見ているわけだ。
異世界という事で無理かと思ったらしいが、召喚魔法があるならそこから日本の地上波を召喚出来ないか試してみたところ…出来た。
相変わらず出鱈目である。
こっちに転生してから忙しすぎて、余計な事を考える時間が無かったのが、ここに来て急に暇になったために色々と考えたり、試したりしてみたらしい。
とはいえ…
壁に爆発の魔法を掛けるが、すぐに不思議な文字が光りその魔力が吸収され中野に送られる。
転移魔法も、壁の文字に吸収されるようになっている。
触手は直接的に魔力を吸収し、この壁が転移や破壊を防いで吸収しているようだ。
ちなみに、触手には今まで通り中野に魔力を運んでもらっている。
ただ、捕まって30分で完全状態異常無効がまたも仕事をはっちゃけて、魔力を吸い取られないようにしちゃったので、わざわざ自ら魔力を注いでいる。
まあ彼にとってみれば無尽蔵に湧き出る訳だし、魔力を払って休暇を貰っているような感覚だ。
「しかし、二重に対策されてるって事は、触手はいずれ攻略されると思ってたんだろうな…まさか30分も掛からないとは思って無かっただろうけどね…ははは」
田中にしては珍しく、乾いた笑いである。
どうやら、本人も完全状態異常無効が凄すぎて恐ろしいぜとか思っているのだろう。
自画自賛である。
様々な実験をした結果、【三分調理】も問題無く発動した。
北の世界でプールした魂を使って、魔物を作り出す事も出来た。
その魔物は、隣で一緒にテレビを…もとい、中野の作り出した映像魔法を眺めている。
せっかく作り出されたのに、命令を待って跪いて田中を見つめて居たら、苦笑いされながら「いや作れるかなと思って…別に、頼みたい事もなにも無いわ」と言われては仕方ない。
さらに、風呂も作り出せた。
遠くのものを魔法を使って取ったりすることも出来る。
ただ、攻撃系の魔法や、脱出用の転移魔法を発動させようとすると、すぐに壁の文字が光って吸収される。
という事は、外に出ようとしたり、攻撃の意思を感じるとこの壁が効力を発揮するらしい。
「中野もたいがい、ご都合主義だな」
ポテチを食べながら、ビール片手にぼやく。
「あの、自分は本当に何もしなくて良いのですか?」
「うん、特に無いかな?」
田中が作り出したのは、普通のゴブリンである。
ちなみに性別はオスである。
女の魔族を作り出したら後で揉めそうな予感しかしなかったからである。
決して、爬虫類の視線や、複眼の気配を察知したわけではない。
断じて!
ちなみに注ぐ魔力より、回復する量の方が多い為、定期的に魔力をこのゴブリンに注いで強化し続けている。
しかも、一時とはいえ魔力を吸収され続けたため、絶対量がさらに増えてもう本人も自分の魔力量を把握していない。
なので、暇潰しがてら自重の無いゴブリン強化に走ったのだ。
当のゴブリンだが…
私の戦闘力は53万どころじゃありません!といった強さになっているが、それは本人も知らない。
何故なら、彼はこの部屋と田中しか知らないからである。
ゴブリンとしての常識は知っており、自分達ゴブリンが冒険者たちの餌でしかない事も知っている。
スライム以上、コボルト未満の最弱の魔物である事も。
当然、田中には絶対に勝てないどころか、田中にとっては虫けら以下の力しか持っていないの事も本能で察している。
彼は知らない…現時点で唯一田中に傷を負わせられる可能性のある存在がこの世界で自分しか居ない事を。
彼は知らない…田中がどうやったら自分と戦って楽しませてくれるかを考えたスキルが付与されまくっていることを。
彼は知らない…全属性魔法適正と、全属性魔法耐性を与えられている事を。
彼は知らない…物理攻撃無効を施されている事を。
彼は知らない…状態異常無効を施されている事を。
彼は知らない…田中の配下の魔族の戦闘の技術と記憶を埋め込まれている事を。
彼は知らない…ピンチの時にゴブリンと魔神クラスのハーフとして、デミゴッドゴブリンに進化するよう身体を細工されていることも。
彼がこの事を知ったとき…彼はどういった行動に出るだろうか?
それすらも、今の田中の楽しみの一つである。
「このポテチというのは凄く美味しいですね…」
呑気にポテチを口に放りながら田中とテレビを楽しんでいる彼が、実質世界ナンバー2の実力を持っていることを…世界は知らない。
「そうだなゴブリン」
名前は…まだ無い。
更新遅くなりました。
忘年会からの二日酔いCOMBOでしたm(__)m